妾はそういうお方が好きなの、と思い気つて言ってしまった。まあ~この子ったら。「舎人皇子はもう幾歳に為ったかのう」十八歳に成られたよし。史が答える
「母様‥どうして帝(持統天皇)は、吉野宮に何度もお詣りするの‥?」
と、氷高姫。
阿閉は、
「そりゃあ‥先帝(天武)に、ご相談に行ってらっしゃるのよ。又、ご報告も在るわね」
と。
「でも、もう身罷って居られるのに、お答えが有るのかしら?」
と、分かっていても、子供じみた問いを、甘えて母に浴びせる。
「そりゃあ、身罷られる前は、仲の良いお二人だったわ。心が通じ合うのね。いや、魂がでしょうね」
阿閉は、ちょっと思い浮かべるように、眼を宙に向ける。
氷高は不思議そうに
「そういう事なら、近くの大内陵に行かれても会えるんじゃないの‥」
「吉野は、讃良お姉様が初めて大海人様と二人だけに為った、思い出深い地なのよ。日頃は周りに何時も、側妻達が居たし、妾の父(天智)の政治(ま
つりごと)でのお仕事が忙しかったせいも在るけれど‥‥、」
阿閉も姉讃良と同じく、父帝での良い思い出は少ない。特に阿閉は先帝の晩年の皇女であった為、母姪娘
(めいのいらつめ)の沈んだ顔しか余り記憶が無い。
「そして、吉野はお二人の、新たな出発点の地でもあったの」
氷高はちょっと考えて、
母にもう少し突っ込んだ。
「ねぇ母様‥ご相談、ご報告とは別に、もっと深い訳が有るんでしよう」
眼が少し真剣に成り大人びる。
「そうね‥妾やそなたには少し難しいけれど、天帝は
【天つ神】を祖神として伊勢に大社(
おおやしろ)をお建てに為って居られるけれど、氏上様達の祖神とされる【国つ神】の代表的な御社が無いの。そりゃあ個々には氏上様達も祭って居られるわ。それで帝(持統)は、
吉野宮を国つ神の代表としてお詣りしていると思うの
。氏上様の御先祖様に、お礼して置かなければ、帝としての自分の安泰は無いのよ。形は天下をお治めに為っても、帝を護り、政治の詔を実行させて居るのは、氏上様達であり、百官達(ももつかさ、官僚)なのよ。それで男王より余計に女帝として、お姉様は気をお遣いなさっての、度々の行幸だと、妾は思って居るの」
阿閉は氷高に説明した後
、姉はひょっとしたら、吉野宮を伊勢宮の替わりにと
、度々行って居るのかもとも思った。姉の考えは図り知れない。
氷高は、さすが母様だと感心した。日頃、子供達の世話だけで明け暮れ、政治には、眼もくれないのに、
良くご理解されて居るのね
。
「それでね‥」
と、母の話がつづいた。
「昨年、伊勢の行幸を帝が決めれた時、三輪の中納言様が猛反対したの。
農繁期に入るので、帝の行幸は、伊勢に行く行程の中継や、伊勢の百姓達に迷惑がかかると。
しかし、行幸されたの。帝にして見れば、その時期しかなかったのね。
ただ、伊勢に司った地域や従者達には
、其なりの報酬と税の免除は、帰った後は勅でお返しされたのよ。
女帝に成れば、男帝と違って伊勢宮に斎宮は置かないの女帝は巫女の役も兼ねて居るのよ。それで、今まで余りに忙がしすぎたので、漸く日を取ったのだわ。帝に為って一度もお詣りには行けなかったから農繁期であったけれど、
無理して行かれたの。
そうそう氷高‥」
「はい母様‥」
急に声を掛けて来たので
、氷高はびっくりした。
「そなたが斎宮にどうか、
という話もあったのよ」
「ええ‥!何時‥?」
「大伯皇女様が、弟の大津皇子
様の事件で、斎宮を解任された後の事よ。お姉様が、
大反対されて、お話は無かった事に為ったけれど。
そんな事も、お姉様は帝に成られてからは、早く巫女としと天照大神にご報告に行かなくてはと、気が気でなかったの」
自分が斎宮にという話に
、氷高は少々驚いたが、さもありなんとは以前から思っていた事なのだ。
父(皇太子草壁)がそのまま帝に成られて居たら、
妾が斎宮にされていたかも知れない。大伯皇女様が斎宮に為って十年がとっくに
過ぎていた頃だ。身体の弱かった妾を御祖父様(天武)は大変可愛いがって下さったけれどご心配なさっていた。
[大伯のあとは氷高だ]
と、御祖父様は考えて居られたに違いない。
「ぬえ~母様‥昔、お父様が身罷われた時に、葬礼に来られ大声で泣いて、お父様に抱きついて居られた皇子様は、どちらの皇子様なの」
と、氷高は、何かを思い出したように尋ねた。
「ああぁ‥嶋の宮の時にねぇ。そう、阿倍氏の舎人皇子様だわ。びっくりして、
妾も一緒に為って大泣きしたのね。変わった皇子さまだけど、お父様(草壁)は大変可愛いがって居られたようね。たまに宮廷に来られた時は、いつも父様に付いて来て、あれやこれやお聞きに為って居るらしかったわ。当時の少年としては
、珍しく、難しい事ばかり聞いて来るんですって。父様もたじたじだっておっしゃってたのよ」
「ふぅ~~ん」
御祖父様の時、お父様の時とどちらも葬礼の時しか会ってないが、変わった皇子様だと思っていた。が
、妾をいつも見ていてくれた。
「妾は、そういうお方が好きなの‥!」
と、思い気って言ってしまった。
「まあ~~この子ったら」
母の阿閉は、びっくりして、娘の氷高姫を眩(まぶ
)しそうに見ていた。
「何をやって居るのじゃ」
帝は、朝政の後、大安殿に残した広瀬王と、藤原(中臣改め)史に叱咤した。
先程までの、各官長の集まりでの決め事は、一に軍事の検閲の強化と、二に新羅、唐国への対外交に関する事を太政大臣の高市皇子
、右大臣丹比島に一任と云う事で散会した。
二人を残したのは、新宮
(藤原宮)の工程の確認、
律令の制定の為の準備。そして帝紀記定の進行具合の確認であった。
まずは、帝紀の件での帝の叱責は広瀬王のもの。
十八氏の墓誌の上進の勅から二年経っていた。
「これだけの氏族の様々を列記して、何処で現王族と繋げる積もりじゃ。各氏族の中では古に王位に就いた氏族もあろう。その真偽はともかく、それは無視するのじゃ。どの時点で我らの王族の従者にするか、為ったかを良く検討してみよ」
と、広瀬王に指示したが、史にも、
「史、新宮の件と律令の事は、次の事としようぞ」
帝は腰を上げようとした。
「あいや、帝お待ち下され
」
というや史、広瀬王に声を掛けた
「広瀬王様、舎人皇子様からの書を、帝に申し上げたら如何かと」
「舎人皇子が‥、何の書じゃ‥?」
訝しげに広瀬王に問う。
「ははあ‥、もう少しばかし検索て、帝にご報告差し上げようかと思って居りましたが、実は墓標の調査についての
【意見書】で御座りました
」
「何じゃと‥!あの痴れ者が。二年ほど前に、氏上達への朝廷よりの勅で、もう静ったかと思ったが、まだ良く理解して居らぬようじゃな。そう言えば、もう善き年に皇子も成るに、宮廷へのたまの出仕を促しても、病や何ぞやと申して顔を見なんだが
‥、偽りの届けであったか」
舎人皇子の事よりも、阿倍家の遣りように憤懣やる方なきとの憤りに転じて行った。
「油断成らん相手じゃわ」
御主人(みあるじ、布施
)も少麻呂(すくなまろ、
引田)も、現政権の重臣だ
。帝は、じっと眼を閉じ、心を静めようとしていた。
広瀬王は、横の史に眼を遣り、こっくり頷いた。史が何の合図か右手を差し出し、どうぞ、といった仕草をした。
「帝‥それが舎人皇子様の意見書には、吾も感心致したので御座ります」
まだ、憤りが納まらぬのか
「若輩の痴れ者の見識など、妾は聞く耳持たぬわ」
「いやそれが、吾達が難儀して居ります【帝紀の記定】に重要な構成を、皇子様は逐一理由を入れて、見定められて居られます」
広瀬王も史も感心しているという【意見書】に、帝は漸く
「して、何と言って居るのじゃ」
と興味を持ち出した。
「吾と史様と共に、意見書を読んでお話していたので御座いますが、全てはまだ解しては居りませぬ。帝には、出来るだけ手短に、お話させて頂きます。
【そもそも、帝紀と云うのは、国王だけの史記にて、
百官も百姓も工人達も見て
、何の興味も無い。よって各地の謂れの諸事も取り入れ、興味を持たされる記で無ければ意味がない。王や帝の善政、もしくは悪政であっても、この大八州国が天意によって成り立って居る事を知らしめさせなくては成らぬ。故に、帝紀では無く〈日本紀〉と改めるべし、と。そもそもこの天空と大地は〈気〉の発生に寄って形成され、一つ神達がお出ましに為った。それぞれの役割を持つ一つ神達は、〈陰陽〉の源に気付き、二つ神を創られて、又、それぞれの役割をを持たされたのだ
。この大八州国も、二つ神々達の子孫の神に寄って生まれた。故に、百万神千万神の神代から現人神
(あらひとがみ、王、帝、天皇)に至る神代の物語が重要な事に為って来る。何故なら、神代の時代に全ての氏族の祖神を創る事に寄って、現人神の従者に成り得る理由が出来るからだ。
我国も、日本国として態勢が出来て来ている。未だ不足は在るが、此れから充分補足できよう。故に、要らぬ戦は避け無ければ為らない。その為にも、帝位は
〈万世一系〉にして、古からの血筋で守って来た事を、明らかにする事がこの
〈日本紀〉を作成(つくる
)最大の務めであると。
憂慮する次第にて、この意見書を差し出しました。どうぞ、ご参考にて】と、
この様な内訳だと理解して居ります」
脇に座していた史は、正確に舎人皇子の書を完璧に解して報告している広瀬王に、感心して聞いて居た。
帝に話終えられたあと、広瀬王に深々と頭を下げて労を犒った。
漸く、帝は黙したままだが、顔は緩んで来た。
「もう、皇子は幾歳に為ったかのう」
「はあ、十八歳に成られたよし」
と、すかさず史が答える。
「大したものよのう。あちこち散策して
、妾の批判
も話しておったろうに。
そなた達が、苦労しておった事を察しておったのであろうか‥?」
「はあ‥幾年か前、先帝(
天武)が御生存あそばした時、このような主旨でお話されて居たことが有ります
。舎人皇子様もお聞きに為ったのでしょうか(甘樫丘での大津皇子のことは伏せた)
史は‥一瞬、ひやりとしたが
帝は
「まだ、その頃は皇子は十歳に為ったかどうかぐらいではなかったかのう。もし聞いておったとしても、よく先帝の遺志を、これだけ理解しておったものじゃ」
帝は、先帝(大海人)が
、近江朝を倒した正統性を
、如何にして後世に理解して貰えるか。そればかりが心残りであった事を、骨身に感じていたのだった。




