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儒家は「気」と陰陽で人の道を説き、仏は「気」と五行の「空」の探究で人の生死を説く。しかし「神」は人に何も説かない

 大和を制覇した部族は世界を知っている。体制を整えると、まず韓国へ使いを走らせた。

 吾はそう思っている。

何ゆえにこの大和が、我国の中心に為ったかは、葛城を破った部族が、この日本の地形を知っておったからで有ろう。

 大和は他部族が攻めるには難しい場所だ。この大八州の中心の地点にある。

 吾は思うに、その葛城勢の中心部族は今の和爾わに氏ではなかったか。もっと古の祖先は韓国かは解らぬが、大和にくにが出来た頃には定着しておったのであろう。

 ただ、十八氏に和爾氏が入って居なかったのは、和爾氏の墓誌に、我らの祖先は王家であったという記述があったかも知れん。

帝(持統)には、認められん事じゃ。

 又、吾が探った墓標は

三十程であったが、六ヵ所に集まっておった。

一つは橿原近辺、一つは御所ごせ近辺、そして三輪近辺、河内に走って古市近辺、百舌鳥もず近辺と〈近く飛鳥の川内科長(ちかつあすかのかわちのしなが、羽曳野、富田林市)〉と大きく別れておった。

ただ不思議なのは、山背(やましろ、京都)に近い奈良山ならやまの大和側に点在しておった五つばかしの墓じゃ。皆、墓標を見ると、作られた年月が大きく違うのじゃ。

 まだ幾つか見て居らぬので、先程のものも含めて、後日探って見よう。

例え、氏上様達が援助たすけてくれなくとも、吾は続ける積もりじや。

 そう言えば、もう一つせぬ墓標があったわ。

男大亦王(おおどのおう、継体天皇)の御陵としているのが、遠く離れて河内の三島(高槻市)に在る事じゃ。磐余の地に【宮】を建てたと聞いて居る。継いで王に成った皇子達は皆、大和か古市に御陵があった。

男大亦王の嗣子(しし、跡取りの子)と召される広庭王(ひろにはおう、欽明天皇)は実の子か疑わしい。

現王朝(敏達びたつから持統じとう)が崇めるのは広庭王であって男大亦王では無い。

 飛鳥の地を大王家の故郷

(こち)として確定した偉大な大王、又、蘇我氏族のの繁栄の礎と成った祖王と云うだけでは無い。他者(

よそもの、男大亦王)を追い出した王であった。と云うような気がする。

 墓標は果てしない謎に包まれているのだ。

 舎人は、胸がわくわくする代償かわりに阿倍氏族の叔父達に眠れぬ夜を提供すごさせる日々に、

思い悩むのだった。


[儒家は、【気】と〈陰陽おんみょう、万物は対称の構成に成り立つ〉を横目に見て、人の道を説き、仏は【気】と〈五行ごぎょう、木火土金水〉の

【空)(万物は幻想なり)

を探究する事によって、人の生死を説く]

 舎人が問うに、では【神】は人に何を説くと云うのだろう。【神は人に何も説かない】

何故なら、神は人の心の内に宿るものゆえ

己が封じ込めば、神は宿る場所を見失い、降り立っては来れないのだ。

[神は、儒家や仏の力を借りて、人々の心に宿るのだ]

 人に説く教えが未だ無い時、又いづれ亡くなれば、人は暗闇のなかで、神を探そうとするだけなのだ。

又、舎人は問う。吾は我国の成り立ちを知りたいだけなのじゃ。神が我国を如何にして創ったか、と。


広瀬の大忌神おおいみのかみと竜田の風神を祭り奉ることも神のご加護を願っての事である。

 両社ふたやしろ

、高台の斑鳩(いかるが

)の地の近在に位置する

。広瀬の地から竜田の地の間は、北は佐保川、富雄川

、竜田川が、南からは初瀬川、寺川、飛鳥川、葛城川の上流の山地から流れてきた川の合流する地だ。その地から一本の大河【大和川

】と成って難波津へ向かうのだ。

 幾本もの川が合流すれば

、度々氾濫が起こるのは常であろう。その地は川の海と化するので在る。又逆に水を潤す地とも成る。

又、竜田の地は、北西に走る生駒山麓から吹き下ろす

突風の乱舞と真向いから立ち向かう空地からち

。地の者がいくら磐石な防御を呈しても、幾度も幾度も打ち負かされて来た。

 すべはない。が、

風は雲を呼び、雨をもたらす。それは、大和国には恵みの雨に繋がるのだ。

 そして、我らが厩戸王(

聖徳太子)は、【其を御(

ぎよ)するは、天をつかさどる王家の務めで有ろう】と、竜田と広瀬の起点に斑鳩宮を造営つくられた。

[【仏】の知恵と慈悲をもってすれば、如何なる難儀も明らかとなり願いは達せざる事なし、と]

 地の者とで、風水害の被害を軽減する為の防御壁の造築や、水路の変更等、【宮】の造営と伴に、広瀬、竜田の地をこおりあげての開発に取り組んで築き上げた。

 勿論、時には恵みの雨を

、時には被災の軽減をと、ひたすら【仏に帰依】する事によってこその祈願成就である。と説くのであった。

 しかし、庚牛(天智帝九年、六七0)に、斑鳩寺(法隆寺)は全焼してしまった。


 先帝(天武)の四年(

六七五)四月。

「悪しき風、荒き水」の神

【風神】を竜田に。又、「水田を潤す水の神」の

【大忌神】を広瀬の川瀬に祭らせた。

 太子(聖徳)の鎮魂も含め、天帝の務めを果たすべく、重要な地と為ったのである。

【風神は、雲を呼び起こし、水の神を伊邪那ふ(いざなふ】

 舎人皇子の頭に、強烈な電撃が走った。

吾が探し求めていたのは、

王族の熾烈しれつ継嗣けいし争いと、王位の安穏に根ざした言-朱罰

(ちゆうばつ)を、目の当たりにみたざんにんさに憤り、正義の王とは何ぞや。という事ではなかったか。

 その為に、古の王達の墓標を探って正義を探して居たのかも知れん。

 政治まつりごとに正義などない。

己の立場をどれだけ守り、どれだけ引き離つか、と云う事ではないか。

 そうだ。吾に出来るとしたら、兄の皇子達(大津、草壁、川嶋)の生きざまを無駄にしない事ではないか。

 【気】と【陰陽】のことわりから言うと、舎人の生きる姿勢みちが【陰】から【陽】に変わった、と云うことか。

 




 

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