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うつそみの 人なる我は 明日からは 二上山を 弟(いろせ)と我が見む

 未だ、蘇我馬子の墓をじっと見ている。

いや、眼をつぶっているので、眠って居られるのか。いやいや馬から堕ちないので耽って居られるので有ろう。

 舎人皇子の従者は、皇子の此のような様子には慣れてはいたが、此処に来ると

、耽るのが長い。皇太子(

草壁)の死に如何ばかりの思いが皇子の胸を掻き立てているのだろう。

と心中を図って、思い遣りの眼差しを向け、舎人を待っていた。

 [大津皇子の【やや】の乳母の思い出から]

斎宮さいのみやのお姉様の所へ‥大津皇子が‥!?」

 妃の山辺皇女は、身が凍り悪寒が走った。

 会っては為らぬ御人おひとに会いに行く

此れは、ご自分の命を覚悟しての事だ。

又、このお歌は、辞世の句ではないか

いったい【宮】で何があったと言うのじや。

[もう姫様は、気が狂わんばかりでした。帳内が、お歌のふみを持って来て、大津皇子様が伊勢に行かれたと、ご報告があった時です。 

それから、これからのお話は、大津皇子様が伊勢から帰られて、姫様におっしゃられた事を、皇子様のお言葉でお話します]


 伊勢への道程(みちのり

)は、この時刻からは厳しい。何も準備は

していない。

「皇子様、ほんの四半時(

三十分)お待ち下さい」

と帳内の道作は、近くの知り合いの住まい(もと)へ走った。

 夜具と食事だ。これさえ有れば何とか凌げる。秋もまだ終わっていない。寒くは無いだろう。

 途中で一眠りしたが、伊勢の【内宮】に着いたのは朝のうまの刻(六時

 まだ、姉の斎宮さいのみやには会えぬ。更ける

(ふける)まで待とう。ただ使いはいる。

 大津は、姉にふみを書いて道作を走らせた。


「まあ~~大津皇子が!?」

大伯おおくは悲鳴のような声を発した。周り(まわり)には誰もいないが、自分の声に驚き、慌てて手で口を押さえた。

巫子みこを呼び、急いで文を書く。

 巫子は、日頃の厳粛で近寄りがたい美しさのなかでお優しく、天照大神(あまてらすおおみのかみさま

)が、ほんに地上に降りて来られたようなお姫様が

、このように乱れるとは。

 他の巫子たちも、素振りは淑やかでも、天と地がひっくり返ったように慌てた斎宮様を見たのは初めてだった。

【今宵、申の刻(午後九時)に、宮の裏の槻の下で待って居ります。裏門の錠は抜いておくようにして置きます。馬ではなく、歩いてお一人でいらっしゃるように】

 大津は姉の文を読み、涙を流した。

 もう十数年前に成る。帝

(天武)が帝位に就かれてすぐの事だった。吾はまだ十歳を過ぎたばかりだった。

 姉大伯皇女への記憶は、いつも側にいて可愛いがって呉れていた、優しい姉。

幼いながらも、美しい天女のようなお姉様に思えた。

 母の大田姫が亡くなってからは、姉弟二人だけに為ってしまい、姉はより一層母親のように愛してくれた。

 先帝(天智)が妹の間人はしひと皇后(孝徳帝の)を愛したように、吾も姉といつまでもご一緒に過ごせたらと子供心に夢見ていた。

 それが姉が十四歳の時、伊勢の斎宮として行かれ(十二歳から初瀬宮にて)

遠い女性ひとと為ってしまった。

 この再会が、最初で最後に成ろうなんて‥‥、日頃

、精悍で闊達かったつな勇者も、さすがこの期(

ご)に及んでは意気消沈の呈だ。敗者の道程みちのり驀地まっしぐら

に進む不甲斐無さを、愛する姉姫にさらけださなければ為らない情けなさと悔しさが、思いを巡らすほどに慟哭どうこくと成っ

た。

 大津は夜目のなか、必死で辺りを見回す。闇夜の中でようやく槻の下に真っ白な天女のような朧(おぼろ

)が見え隠れした。

 急ぎ足に為った

「皇子‥、お静かに!」

近付くと、斎宮が手を口に当て、小声で注意を促した

「どうしたと言うのです。

この様なご無体を為さると

、大事が起きるだけです。

すぐ、お帰りなさい」

と、通り一辺の言葉が出たが、しかし、大伯には分かっていた。もう、弟の大津にとっては覚悟しての決行に違いないと。

「姉上、申し訳在りません

。吾は、万事に休しました」

 大津は涙をこらえながら姉に訴えた。

 大伯は、じっと何も言わずに暫く、懐かしさと慈愛の目で大津を見ている。

 まあ~あんなに妾には甘えん坊な皇子が、こんなに立派な若者に成って。

 斎宮に決まった時は、帝

(天武)の父に駄々をこねて困らしたものだったわ。

 でも、大津皇子の成長だけを楽しみにして今まで神に仕えて来れたのに、こんなことに成って。神をお恨み申し上げます。

 でも、これも運命さだめなのね。

 よく意を決して、此処まで会いに来て呉れたわ。

 弟の大津が、こんなにも妾を愛し慕って呉れていたのが分かっただけでも、神のご慈愛に感謝しなければ

「皇子‥、よほどの事があったのね。妾が、この伊勢の斎宮に成って、一年余り程して、十市皇女(といちのひめみこ、当時高市皇子の妃)と阿閉皇女(あへの

ひめみこ、十六歳)様が来られて以来、京のことは余り耳にしなかったけれど、皇子が二十二歳に成って朝政に例したと聞いた時は、

大変嬉しかったわ。

 そして、父の帝が丙午(

へいご、九月九日)に崩御された時はびっくりしたけれど、それもほんの前まだ

幾日も経ってないわ‥

「父帝が身罷われて‥‥、

皇子には‥‥、よほどの事があったのね」

 大津はこっくり頷いた。

「もう覚悟は出来ていると言うことね‥、」

と、大伯は喋っていても、

たまらなく、言葉は沈み嗚咽に成る。

 もう自然に涙が出てきて

、弟にも見せたくない程の

顔に成って行くのも構わず

、思いっきり大津を抱きしめた。

 大津は、幼い頃に泣きじゃくる自分をだきしめて、

いつも庇って呉れた姉のぬくもりを感じた。


 我が背子せこ

 大和やまとへ遣ると

 さふけて

 暁露あかときつゆ

 我が立ちれし


 明け方のたつの刻

に成る前に、弟の大津皇子

を離した。

 あれこれと事情は聞いた

妾の母様(大田皇女)も、阿閉皇女様もご自分達の母様(遠智娘おちのいらつめ

、姪娘めいのいらつめ)が

、辛い思いをしながらも父帝(天智)のむご

仕打ちに耐えられて来られたのを知り、お二人とも同じように、母達と違う、夫への愛を勝ち取る生き方をされたのね。

 讃良の叔母様は、違う生き方をなさって居るのだわ。皇后様にお成りに為ったせいも在るけれど‥、何と強いお方!」

 そも、妾達姉弟の運命なのかも‥‥、


 もう明けて幾日も経ぬ間

(へぬま)に、大伯は弟の大津の死の報を受けた。

 そして、十一月。伊勢の神の祭祀に仕えた皇女大伯が、解任されて京に還った。

悲しい歌だけが残った


 うつそみの 人なる我は

 明日よりは

 二上山を いろせ

 と我見む


「何ですって。【赤兄あかえ】の孫娘を妃にしている居るような皇子に、天下を譲れぬですって!!」

[妾は飛んでもない事を、妃の山辺姫にお伝えしてしまいました。身内の者が、

大津皇子様の断罪の時の立ち会いをしたものですから

‥‥、飛んでもないことをお伝えしてしまいました‥!!]

 乳母は、話の途中で泣き崩れてしまった。

その後のことは、舎人も聞いて知っていた。

 山辺皇女の祖父蘇我赤兄

(そがのあかえ)が有馬皇子を陥れ死に追いやった事

。又、近江の宮時代には、

讃良姫に言い寄って、大海人皇子をないがし

にしたことまで耳に入っている。

 山辺の妃は、自分の為に夫の大津が死をたまわったと思い込み、狂ったように叫びながら、裸足で

、近くの磐余の池に駆け込み身を投じた。大津皇子の後を追ったのだ。

 舎人も、その日から数日は気が狂わんばかりに大泣きして、身内の者を困らせた。

 あんなに仲の良かった夫婦が、あんなに優しかった義姉様あねさままでが

、あんな酷い事を言われて気が狂い、兄様に謝ろうと後を追ってしまった。

 舎人にとっては、いくら泣いても泣ききることはなかった。


 一連の大津皇子の事件をきっかけに、舎人は自分の生きるすべを考えた

 王族とは何ぞや。またこの大八州国(おおやすのくに、日本)をすべらすという偉業を成し得る基盤とは何ぞや‥、と

 






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