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「大化の改新」、「白村江の戦い」、「壬申の乱」と続いた当時の状況は皇后讃良の若き頃の人生の大半を占めた。今、一人に為って弱気に成ったら一気に潰される、と

 あの時、大隅様(おおすみ、田辺氏、史の育ての親

)も言って居られた。

「此れからは、大海人おおしあま様の時代じゃ。帝(天智)は余りにも勝手が過ぎる。この地(近江)にうつって来たのも

、ただ、唐国(からくに、中華)から逃げたかっただけじゃ。そなたの父君鎌足様の地盤(鎌足の祖父は近江を地盤に持つ百済系の有力氏族、鎌足は中臣家へ養子と成る)と踏んでのう。

帝からすれば、鎌足様は謀ごとの上手な知恵者としか見ておらなんだ。用がなければただの老いぼれよ。

あの乙巳いっしの騒ぎ(大化の改新)も、母の宝姫様(皇極天皇)が、長子の漢王(あやおう、宝姫前夫との子、大海人)様を東国から呼び寄せて、力を添えさせたのじゃ。葛城皇子

(天智、中大兄王)だけでは無理だと踏んだのじゃ。それも、鎌足様の口添えだったがな。

宝姫も入鹿(いるか、蘇我入鹿)が山背大兄王(やましろのおおえのおう、聖徳太子の長子)を殺した時から機を狙って居られたと思う。

漢王は、葛城皇子より三歳くらい兄様だったかのう。

勇ましく武は有り、頓甲の術(忍者のようなもの、当時、史もその術を修行していた)も心得ておった。さすが、身の速さには皆も驚いておったと言う事じゃ。

葛城皇子と官衛のものどもが二の足を踏んで居る時に

、大声を張り上げて、入鹿をあっという間の一突きじゃったと、鎌足様はびっくりして居られたわ。

大変なお方だったらしい。その後の事を見れば分かることじやが、葛城皇子は、自分の娘を皆、漢王にくれてやってしもうたわ。

漢王が、いずれ自分に刃向かわんようにな。そなたの父の鎌足様もよう乗り越えて来られたが、そなたの兄様[定恵じようえ](

当時百済に修行して来て僧と成っていた)が殺された時は、流石に参って居られたのう。出る杭は打たれる

で、誰に狙われたか分からん時代じゃったが。それで、恐れてそなたが生まれた時には、我に預けられたのじゃ」

 大隅の話を聞いて、史も父からある程度は聞いていたが、乙巳の変のこと、大海人様が漢王であった事など、始めて聞いた事だ。讃良姫が父帝を憎んでいたことが、何となく分かるような気がした。

 姫様が大海様様に付いて行ったのは、吉野から、もしくは東国から近江を攻める積もりなのだ。昔、古人大兄王(ふるひとおおえのおう、天智の腹違いの兄、

舎-予明じよめい天皇の長子)は、入鹿が殺された後すぐ出家して吉野へ逃げたが、天智に殺された‥、後塵を踏まぬよう‥、先手を打つ積もりじゃ。

 自分に命ぜられた、事の重大さに、史は身ぶるいした。

 そんな事を思い出しながらも、史はまだ朝堂から出ようか迷っていた。皇太子の葬礼に行かれるなら、必ず我を呼ぶ使いの采女うぬめが来る筈じや。もう少し待とう。

 しかし、もう半時(一時間)で子のねのこくだ。今日の勤めは終わって、我も帰らねば為らぬわ。

と、思いつつもあの山階(

山科)での戦慄に背筋が走った。


「朕は先に行くぞ。後の者は大津を頼むぞよ」

と帝(天智)は二人の舎人

(とねり)を連れて、山道にむづかる馬の尻を叩いて、駆け登った。

 史は六人百済人を木に登らせ、曲がりくねった山道の中で、一番狭い場所を選んで、待ち伏せさせていた。

 山の平地の高台から見守っていた史は、赤旗をさっと下げた。

 もう寸刻で、待ち伏せ場所に近づいて来るぞ、という合図だ。

 帝は今日、大津王(この時期ではまだ皇子では無い)を連れて鷹狩たかがりに来て居た。

 帝は、狩場に近づいて箍が緩んだ(たががゆるんだ)

自分の跡継ぎを、太政大臣

(だじようだいじん、首相級)に据えた大友皇子(天智の末の息子)に見せかけて、大海人を追い出したが

、自分の心づもりは、何れかはこの大津に帝位を引き継がせる思いだった。それまで、この大津にあらゆる戦法を教えねば‥、と。

この鷹狩もその一つだ。

いづれ、吉野に行った大海人も処分せねば成るまい。

その時には、自分の父親(

大津の父の大海人)さえも用心して先に倒して置かねば為らぬ事を、解らせる積もりじゃ。大海人はただの種馬よ‥、

と、内心の笑みか顔を綻ばせる。

 もうすぐ狩場だ。そこでは数十名の者に狩の準備をさせいる。

 その矢先だ。今まで二頭も通れる広さの山道が、急に狭く為って曲がりくねている。後ろの者に合図して

、歩調を弛めるように指示しようとしたが、馬は一気に駆け登ろうとして速度を落とさず疾走した。

 寸刻もせぬうち、帝の身体は二人の曲者くせものに馬から弾き跳ばされた

地面に落ちるや否や、一人にさるぐつは、一人に両手を後ろに回され縄で縛られた。余りに敏速な動きに帝は声の出ぬまま、道も無い

横の藪へ、木の枝や葉にぶつかりながら、抱えられるようにして駆け下ろされて行った。

 舎人達はどうした

と思う間もなく、頭をしたたか打たれて、気を失ってしまった。

 馬達は頂上へ駆け上り、二人の舎人は絶命していた

。一人は【大】、一人は【小】に見えるような字を指で書いた跡だけを残していた。


 ふっと、史は我に返る

‥‥、大海人様はあの翌年

、壬申時の戦いで、近江朝を倒して帝位に就かれた。

讃良姫様は皇后に成られ、

我も勤めを無事果たせた訳だ。

 我も二十歳に四つも五つも年を重ねた。そろそろ宮へのお勤めを願い出ようかと思っていたら、姫様が病と聞いた。

 帝が寺を建てるとのもっぱらの噂じゃ。大丈夫かと思い我も河内(かわち、藤井寺市土師はじ)の道明寺に、病気を平癒の祈祷に行って、守りの札を戴き、それを持って【京】へ上った

 あれからでも八年経つか。

 よう、先帝(天武)も皇后も、我を良く可愛がって下さった。

 先帝が身罷みまかわれてからは、皇后様には信をもっとあつく頂いている。

 そうじゃ、待っていても致し方無い。お悩みに為って居られるかも知れない。

【安殿】に伺うことにしよう。

史は、ひょいと立ち上がると、すたすたと歩いて安殿に向かう。動作は機敏だ。無駄な動きは無い。

 安殿に入ると、二人の采女が座して礼をした。安殿の中でも寝室兼用の室に、一人の采女が、手を向けた。

 史だけは、付人、案内無用の唯一の人物だった。

 案殿の別室、御簾みすが上がったその内で、皇后讃良と中臣の史が対座している。

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