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皇后讃良は父(天智帝)の怨霊が乗り移ったか。夫(天武帝)の皇子達を狙い定める訳は‥?

「天地創造は、全て【気】より成り。というのが、唐国の【道家】の伝えである

と、帝がおっしゃっていた。吾もその【道】を少々かじったが、未だよく解しておらぬ。陰陽寮の博士たちならその点は良く承知しておると思う。ただ、国づくりに他の国々まで思う事はない。この大八州国おおやしまのくに、我らの国。この日本国だけを考えれば良いのじゃ。神代かみよの事も、この帝位のいわれの神々を創れば良い。その為には先程申したように、各氏族の謂れを、しっかり掴むのじゃ。氏族の神々を、上手く神代より、天皇の神々に仕えていた物語を創れば良い」

 段々、帝(天武)の口調に似てくる。

「神々から、この現人神(

あらひとがみ)へは【天照す大神あまてらすおおみのかみ】と【国照す大神

(くにてらすおおみのかみ

)】との差を考えるのじゃ

所謂いわゆる、天皇家の【天つ神(あまつかみ

)】、氏族の【国つくにつかみ】のことじゃ。

例えば、【出雲いずもの国づくり】があった。それを真似て、その出雲の国照す神に対して、天照す神が、従えさせるようにすれば良いのじゃ。神照す大神が天皇の先祖として、崇めていくように創作するのじゃ。初期の帝が、何時、誰かは探っていけば、自ずと現れるものじゃ。事実は【一系】でなくとも良い。どこかで結べば良い。

唐国や三韓のことは、後で繋げば良い。唐国では、各帝位の変遷後に【史記】を作っている。皇子も王も皆

、良くご存じで有ろう。その文章は習っても、吾が国についての記述のある所は

一切目をくれる必要は無い

。無視するのじゃ。何故なら、彼の国は我国については、ほとんど想像でしか表記していないからじゃ。それに合わせて、我国の【記

】を作る必要は無いと言うことじゃ。ただし、三韓に対しては、彼地に宗主権を持っておった。調貢ちようぎは必ず記定きじょうせよ‥‥、」

 大津の弁舌が急に止まった。

涙があふれている

 一同はびっくりした。一生懸命メモをしていた王も居た。眼を大津に向けて

「あっ!!」と声が上がる

大津皇子は涙ながら

皇子みこ王方おうきみがた。此が、まだ病に伏せられる前に、吾におっしゃった帝のお考えです。吾は、明日より朝政に列席相成らん、とのお告げが、皇后様よりの使いが申し付けに参った。今日の出仕しゅっしした帰りのことです」

「おお‥!?」

と、驚きの声が上がり、悲痛などよめきと成った。遂に来たか‥‥、

 皆、皇太子草壁に眼を遣る。

「許せ!吾も知らなかった事じゃ。この集まりの前に、大津から聞いたばかりじゃ。吾は母様の考えが解らぬ‥‥、」

と、皆に眼をやつて俯いた。

 舎人は、何がどうなったか、よく解らなかった。後日、川嶋皇子から聞いた。大津皇子が、次の日から宮廷に出仕しなくなったと。

 それから、二ヶ月もせぬうち、帝(天武天皇)は身罷みまかられた。


 「皇子‥皇子様‥、如何為されました」

従者の帳内の声に、舎人は

、ようやく大津皇子の事を思って居たのに気が付いた

。その後の大津皇子の悲惨な出来事に、思いをかき消し、

「おお‥、どれ程の刻を過ぎたか‥?」

と馬の向きを変えた。


「何い‥!皇太子が身罷ったと!?」

 まだ、日が明けぬ口に、血相を変えた帳内の急信を聞いて、高市皇子たかいちのみこは、唇を噛んで悔しがった。

 ふひとめ、謀おったな!病には伏せておったが、草壁皇子の病はそんな急なものでは無かったはず

 そんなばかな!!

如何に天下の事とは云え、腹を痛めた皇子まで見切った。と言うことか。今度は史の後ろに控える皇后讃良に非難を向ける。

 大津といい、今度は子息の草壁までも‥‥、

 高市は、同じ帝の子でも母が身分が低い出なので、すべからく遠慮して事に当たっていた。それでも長子であったせいか、先帝(天武)は良く可愛いがってくれた。

 古から、王の跡継ぎ争いでは、常に豪族達の思惑であらそいが起こっていた。

先帝はいつもおっしゃっていた。

王は飾りじゃ。そう成らない為にも、政事まつりごとは皇族王族を要に配さないと、同じ事を繰り返すばかりじゃと。父帝は先帝の叔父(天智)に、その苦い思いをさせられたのを、非常に口惜しがって居られた。自分が天下を取った時は、決して身内争いが無いような仕組みを作りたい‥、と。

[高市、そちは長子じゃ。

壬申(じんしん、壬申の乱)での修羅場もくぐって来ておる。誰が帝に成ろうとも。そちがまとめるのじゃ。そちが先行き帝に成ったとしても、周りを纏められる者を大事に育てるのじゃ]と。

 先帝(天智)の時は、唐国と新羅しらぎ国の連合軍との戦(白村江、はくすのえの戦)に敗れ、帝の死後国内でも内戦(壬申の乱)があり、陰では百済派と新羅派とに別れてのいびつな戦いがあった。

 先帝(天智)ゆかりの御世みよでは我国は危ない、と感じた百済派も多かったと聞く。

 あっけなく父帝が勝った。父帝が基礎を作って皇族・王族中心の国づくりを始められていたのに‥、と口惜しい。

 先帝には皇女様ひめみこさまが沢山居られたが

、皇后讃良様は格別だ。まるで父帝(天智)の怨霊(

おんりよう)が乗り移っているようだ。遣り口がそっくりのように為って来たわな。

まあ、みことのりが出るまで動かぬことにしよう。そうだ、帳内達にも申して置かねば成るまい。他の皇子の使いが来たら、決して動くまいぞ、と伝えるように。


 史は皇太子草壁が身罷ったのに、皇后讃良からは何のお呼びも掛からないので不審がっていた。【安殿】

(帝が朝政の後憩所、帝の住居)にお伺いしよか、迷っている間に、昔の事を思い浮かべていた。


 あの時、大海人おおしあま様が出家されて吉野へ向かわれる事に成り、妃の讃良姫様も同行することに為った。出発直前に為って、日頃、可愛いがってもらっていた姫から呼び出しがかかった。

 大変な命令を下さった

新羅人ではない、百済人で

、日頃帝(天智)に対して不満を述べて居る者達を集めて、頃の良い時、帝を

言朱(ちゆう、殺害)せよとの依頼だった。

 我はまだその当時十五歳の若輩。びっくりして、何の意味か解らなかったが、

姫は

[史、そなたは妾の弟じゃ

とはっきりおっしゃった。

[いづれかは、宮へ呼ぶ時まで、勉学に励めよ]ともおっしゃった。




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