母や兄弟達が多いのに誰一人参列しないなか、末の弟の舎人が一人で顔を出し、兄に抱きついて大声で泣き叫ぶのを聞いて葬内は怒涛に包まれた
と、氷高は訝げに、じっと見つめていた。
「氷高、あまり後ろばかり
振り向いたりしなくってよ」
と、母にたしなめられた。
もうとっくに来ても良い時刻なのに、御祖母様が、いつ来るかと何度も振り向いては、まだかしらとしびれを切らしていた。
横に居並ぶ弟妹も、姉と同じ思いのようだ。御祖母様だけでなく、あまりの参列者が少ないこともだ。
御祖父様が亡くなられた時は、いっぱいの人達が来られて居たのに‥、と
弟の軽の方は、まだ当時は幼げながらも記憶はあった。妹の吉備は二才だったので、兄と同じ仕草を、今はとっているだけだった。
「御祖母様の讃良皇后は、きっと来られないと思うわ」
「え‥どうしてなの!?」
と、氷高はびっくりした。
それには答えず、母の阿閉はじっと眼をつぶつた。
帝の大海人が身罷(みまかる、亡くなる)ったすぐ後の事件が、阿閉の脳裏をかすめた。
大津皇子(おおつのみこ
)を謀反の罪で陥れ、抹殺してしまったのだ。何もそこまでしなくとも、と当時を思い起こす。
皇太子であった夫、草壁の強力な対抗馬であったが、皇后讃良の手で、皆の者を押さえれば、すんなり草壁を帝位に就けられたのではなかった。
いくら大津に才覚が有ろうとも、帝位までは考えていなかったはず。草壁も
、日頃は大津に体よくあしらわれて居たけれど、いつも頼りにされて居られたのに。
ふつと阿閉は又、父(
天智天皇)を思い起こした。生存中は自分が幼く、父も晩年に入っていたのでそれほど御無体な事はしていなかったが、母の姪娘
(めいのいらつめ)から聞いた話では、【政敵は育たぬ内に排除すべし】とかで、全て断ち切られたようだった。ただ、百済(クダラ、朝鮮三国の一つ)の
援助への戦い(白村江戸はくすきのえの戦い)が失敗で、寿命を縮まわれた、とのこと。
‥、今日の葬礼は、身内
でしか致し方ないわ‥、
屍の草壁から二間置いて一段下がった座に、阿閉以下子供達。その二座後ろに乳母(めのと、母親の代わりに赤ちゃんにおっぱいを与える)達や現在の養育兼教育係の夫人達。後に居並ぶは草壁の帳内(私的部下)達と家人十数人が座していた。
両側には、僧呂三名と宮廷に於ける、皇太子草壁の直属の部下十数名の参列であった。
氷高は、なんと寂しい葬礼か、と父を哀れんだ。
御祖父様が亡くなられた時は、葬礼の前に御祖母様
が前例の無い、身内だけのお別れにだと皇子達、皇太子の家族、妃達だけを呼んだけれど、あれはお別れだけでなく、大津皇子様に対するお裁きだったようだわ。
御祖父様の屍の間から一段下がって、皇后以下妾達家族、妃達。
右に皇太子の父以下皇子様
方達と向き合って一人づつ
御祖父様(天武天皇)にお別れしたわ。皆、御祖父様にお別れするまではしっかりされて居たけれと、帰りは涙を流してご自分のお席も分からないくらいの皇子様も要らしたのに、でも一人だけ居たわ。行きも帰りも涙一つ流さず、妾はその時七歳だったけれど、妾の顔だけじっと見てご自分のお席に座って俯いていた人が。
そう、あの皇子様だわ。
誰も今日、他の皇子様方が
来ないのにあの皇子様だけが、・・・
あの日もそうだった。大津皇子様が、急に静寂だったなかでお言葉を掛けられた。
「して、夫人方の末席に居られるのはどこのご仁かな
」‥、と
「ははあ、中臣史にて御座ります」
と、平伏した。
「この前例の無い席を設けましたのは、皇后様だけでなくご指示にて、我が各々皇子様方にご連絡させて頂きましてございます」
「ほほう、御義母様のご指示だと。しかし、何故列席しておる」
と、大津は訝って皇后に咎めるように眼を向けた。
「だまらつしやい大津皇子
。今日は大事なお話があって皆の者に集まってもらったのじゃ。史には、その証人として来てもらった」
そして横に座って居る阿閉に、
「阿閉、子供達を連れてお引き取りなさい」
と優しく声をかけた。
母はこっくり頷いて、妾の膝をたたいた。
妾は末の妹吉備の乳母にめくばせし、弟の軽のお尻をつついて退座するよう促した。
その後のことは、どう為ったか分かりませぬ。ただ
、一ヶ月もせぬうちに、大津皇子様がお亡くなりに為ったと、母様から聞きました。
それにしても、あのような席でも、涙一つ流さず、妾をじっと見ていた皇子様
が、今日一人でお越しに為るなんて。
舎人皇子(とねりのみこ
)。その人の名だ。帝家を支える氏族の中でも、筆頭の豪族阿倍
(あへ)家ゆかりの皇子だ
。乳母が、王族出の舎人家
(とねりけ)の出であったので【舎人】の号をもらった。
地方豪族の子息が、官人として帝に仕える公的な身分の者も【舎人】と言って
号は一緒だ。【帳内】は親王、内親王(女性)の従者という私的な性格を持つ。
何故じゃ。なぜ皇后様が召されぬ。しかも他の皇子達も。兄様の高市皇子(
たかいちのみこ、天武の長男)こそ如何したというのじゃ。
舎人皇子は、この葬礼の
異常さにあっけに取られていた。
まだ、無位(むい、自分に与えられる財産も、宮廷 での勤務も無い)の舎人には朝廷での毎日動き、雰囲気はつぶさに計りかねた
が、まさかここまでとは。と絶句した。
あの大津皇子の事件以来、宮廷内では、一挙に
恐怖と疑心暗鬼のるつぼに嵌まっていたのだ。
皇太子の兄様(草壁)も
、まだ幼い子等を残してさぞ心残りだろうに‥、とふと、その子等に眼を向けると、じっと振り向いたまま、自分を見つめる目線と合った。
ほほう、父(天武)が亡くなられた頃は、まだ幼かったが‥、益々見惚れるのう
。舎人が十一歳の時のこと
。弔辞の席ではあったが回りに憚ることなく、余りの可愛さにじっと見惚れていた記憶が蘇った。後で長皇
子や弓削皇
子らにさんざん冷やかされたのも、ほんの少し前だったか。
宮廷で、たまに会う皇太子の兄が、いつも優しく声を掛けてくれたのを、今は懐かしく悲しくもあった。
つかつかと、舎人は正面に横たわっている草壁の屍に向かった。側に来て座り、屍に抱きついて大声で泣き叫んだ。
後ろに居た二人の帳内が
びっくりし、慌てて前に走る。舎人に抱きつき、草壁の屍から引き離そうとした。
「兄様、何故じゃ。どうしてなのじゃ。どうして先を急がれる。大津の兄様も、
草壁の兄様も吾(私)を可愛いがってくれた。二人もの兄様が何故にこうも早くお亡くなりにならねばならん。どうした事じゃ。どうしたと言う事なのじゃ」
と、顔を胸に擦り付けて泣きじゃくった。
帳内達も、涙ながらも抱き抱えるようにして、引き離そうと必死だが、動きは鈍くなる。
阿閉も、氷高も軽も、吉備も周り家人達も、余りにも激しい嘆きにつられ、吾を忘れ、どっと悲鳴に近い声で泣き崩れた。
哭礼(こくれい、葬儀の時に泣く悲しみの儀式)ではない。真の胸から込み上げる悲しき声が、部屋じゅうに響き渡った。
ただ、五才の吉備にはその怒号に近い合唱が恐ろし
かっただけだろう、に。
どれだけの刻が
経っただろうか、いや、ほんの少しの刻にすぎなかったかも知れない。
周りの嘆きの声が静まった頃、舎人はすっくと立ち、草壁の屍に手を合わせ、一礼して振り返った。シ~ンと静まり返った座にも一礼して、今度はゆっくり立ち去った。
氷高は、やっぱり変わった皇子様だわ。御祖父様の時には泣きもしなかったのに。奇異には感じたが、甘い親近感も同時に覚えた。




