イワレヒコとイスズビメの出会い
第二章
第五節
イワレヒコとイスズビメ
の出会い
ヒミコは新たに、イワレヒコの申し出に答え、畝傍山(うねびやま、橿原市)の麓に館を造り、オオヒヒ王から独立させた。そしてその目と鼻の先の〈曲川の里〉にタマヨリ母子の住まいを設けた。
「まぁ~~何と美しい女性ですこと!」
今井村辺りに差し掛かった十人程の軽装の集団から、一人の女性が思わず感嘆の声を漏らした。
「ねぇ~~イワレヒコ様‥あそこで田植えをしている女性を見て‥、」
前に歩いているイワレヒコの側に寄って来て、嬉しそうに声を掛けた。
十反(約三千坪)ほどの水田に七~八人の女性が散らばって作業に勤しんでいた。
その中で少し街道よりに稲の苗を植えていた女性が起き上がって回りの女性達に肥を、掛けているのが見えた。
他の女性達もそれぞれ腰を上げ、うんうんと頷き、又腰を曲げて作業に取りかかった。
一瞬の間だが、ほとんどの女性は15~六才のに見えたが、指示している女性は皆より少し歳が嵩んでいるように見える。
「アヒラビメ‥、あの女性がどうかしたのか‥?」
ちょっと腑に落ちない‥という顔をして妻に問い返した。
「まぁ~~本当ににご主人様ったら無頓着なお方ですこと。あの女性を良くご覧に成られたら‥貫頭衣(かんとうい、ワンピース)の裾を捲って腰紐をきちっと結んでおられるわ。他の女性達とは違い、一つ一つの身の粉しかたがとてもお色気があって気品に満ちているように見えませんか‥?」
「‥、」
「おまけにあの貫頭衣の綿の細かさと織り方を遠目に見ても、どこかのお姫様でいらっしゃると思いますよ‥、」
「いや‥それで‥、あの女性が私とどう関係があると言うのかね。私は只の通りがかりの者だし、ひよっとしたらご主人もおいでかも分からないのに‥、いやまあ~~確かに貴女が言われるようには感じてはおりましたよ」
とニコッと笑った。
「ほら、ご覧なさい‥、」
〈アヒラビメ〉もようやく話が通じたか‥、とほっとため息をついた。
旅の人達が立ち止まって
、こちらを見ているのに気がついたその女性が、起き上がって両手でポンと手をたたき、旅の者達に小さくお辞儀をした。回りの女性達も全員起き上がり、皆、水田に浸りそうなぐらい深々と頭を下げた。旅の人達の一番前にいる男性と女性は、軽装ながら立派な身なりだ。大人(だいじん、高貴な人)に間違いない。側で出くわしたら、当然座って地べたに頭を着けて礼をし、通り過ぎて行くまで
、姿勢を崩しては為らない仕来たりなのだ。
イワレヒコとアヒラビメは、慌てて礼を返し、後ろで待つていた付人達に先を急ぐ‥、と目配せし、イワレヒコは動くと同時にもう一度女性に詫びるようにお辞儀をして、その女性の顔を始めて見た。
女性の方も[いえいえ‥どういたしまして‥]と言うようにニッコリ笑ってもう一度礼をした。
「ええ~~!」
歩きながら、イワレヒコは驚いたように呟き「どうしたことだ‥、いつたい!?」
「どうされたのですかイワレヒコ様‥?」
心配そうにアヒラビメが夫の横に来て顔を覗き込んだ。
[そんな訳が有る訳が無い
‥?]
まだ、歩きながら考え込んでいるようだ。
「ミチノオミ‥、この先は貴方が先に立って、タマヨリ様のおられる所へ案内してくださる‥、」
とすぐ後ろにいた家人に告げた。
「この様子では、主人のイワレヒコはどこへ向かって行くか分からないわ」
実際、今井村からはミチノオミが先頭に立って奴婢達を連れ、〈曲川村〉に居られるというタマヨリ様の〈仮屋〉を探させ無くては為らなかったのだ。
イワレヒコもタマヨリも
、ヒミコ女王の計らいで互いに大きさは違うが新居の館を造設してもらっているが、今は仮住まいの身である。
イワレヒコは二十五才に成った時、嫁を貰っていた。
母オオヒルメの計らいで日向の吾田村(あたむら、鹿児島大隅半島北部)のアヒラビメを、イワレヒコの住むヤマトへ送ったのだ。隼人族の〈久米王〉の血筋をくむアヒラはまだ十六才で、片田舎から一ヶ月半の船旅で、何も分からず都に嫁がされたのだ。当時は決死の覚悟でヤマトへ向かったが、親とオオヒルメ女王の理不尽さをどんなに恨んだろうか。
西都原の女王と言えば、日向(ひゆうが、宮崎県南部と鹿児島県北部)一帯を仕切っていた国だ。アヒラビメの両親も断り切れなかったに違いない。
吾田村を出発する際、アヒラビメは不安でいっぱいだったが、両親は今生の別れを惜しむかのようにオンオン泣いて見送ったものだ
。
「父さま、母さま、私はお嫁入りに行くのよ。泣いてばかりしていないで、笑って見送って下さいませ‥」
と娘が気丈に言うのを聞いて、益々涙を溢れんばかりに流し、二人は娘をひしっと抱いて涙ながらも娘の無事を祈ったのだった。
アヒラビメは、ヤマトに来てヒミコ女王の館に入りオオヒルメからの〈文〉を手渡そうとしたが、謁見の場では御簾が降りていて、素顔を見ることは出来なかった。
「まぁ~~あの南の果ての日向から来られたの‥、」
ヒミコは、伯母のオオヒルメの思い切った決断に舌を巻いた。
「はい女王様‥日向の隼人族のアヒラビメと申します是非お見知りおきを‥、」
アヒラはハキハキと答えて頭を下げた。
「本当に‥しっかりされ、まだ十六才というのによくお一人で‥、無事に来られたのね‥、」
ヒミコも、さすがに、このしっかりした隼人族の娘に感心して、次の言葉に詰まった。
「女王様‥、隼人族と申しますと〈飛鳥〉の東の里に、〈久米族〉の流れを汲む者達が多数住み着いていると聞いておりますが‥、」
「そう‥そうだったわね‥
ミマキビメ様。早速、その村へ行って〈長〉の者を呼んで頂いて下さい。それと〈春日〉に居るイワレヒコにも急ぎ来るよう使いを出して下さい‥、」
と女官の〈ミマキビメ〉に指示した。
「はい‥、女王様」
と立ち上がろうとした。
「それとミマキ殿。このお嬢様を‥おほほほ‥もうすぐイワレヒコのお嫁さんになる人だったわね‥お部屋にご案内して差し上げて」
「アヒラビメさまでいらっしゃいましたね‥、お供の方達は、幾人ほどお連れされたのですか」
ミマキビメは、向き直ってアヒラに尋ねた。
「はい、女性が二人と男性三人でございますが、それと、宗像(むなかた、福岡県)の〈アズミ〉王様のお計らいで、交易船二隻で乗り組員九名ほどでおいででした」
「ええ~~アズミ王様が、ご配慮されて下さったのですか‥?」
「はい‥、乗組員達のお話では、アズミ王は〈宇佐〉と〈西都原〉には、足を向けて寝る訳にはいかんといつも口癖のようにおっしゃっていたとか‥、お陰で私たちは、船乗り様達の警護に守られ、食事も皆様の手早い仕度のお陰で、何不自由なくこのヤマトにたどり着けたので御座います」
と、又頭を下げて、アズミの計らいに感謝している様子であった。
「そうだったのですか‥、いえね‥私も昔、アズミ王様には大変お世話になったのですよ。もうかなりお年を召されたと思いますが
‥お元気だったのね‥、」
ヒミコは感慨深げに昔を振り返った。
「よう御座います。その方達も含めて、お部屋の段取りをさせて頂きますわ」
ミマキビメは、きっぱりと話を締めて、向き直り
「女王様‥、全て段取りを承知しました。アヒラビメ様をお連れして宜しゆゅ御座いますか‥?」
「ミマキビメ‥殿、お願いしますよ‥、良いお式が出来るのが楽しみですわ‥」
と独り言のように呟いた。
「奥方様‥、タマヨリ様のお居でになるところが分かりました」
堰を切ったように走って戻って来たミチノオミが、
皆より先に歩いていたタギシミミに頭をを下げ、アヒラビメに報告した。
むかしのことを思い出して歩いていたアヒラビメは
、びっくりしたような顔をして
「まあ~~ようございましたわ。四半時(三十分)もせぬうちに探し求めたと言うことは‥、もうすぐの所なのですね‥」
「はい、この先の〈カナハシ〉という所にお住まいされていると、田植えをしていた村の民に聞きましたところ、タマヨリ様に仕えている奴婢だと申して居りましたので、間違いございません」
「そうでしたか‥有がとう
‥、」
〈高取〉の村から一時半
(いつときはん、三時間)も掛からないと聞いていたので、だいたいの見当はついていたが、はっきりしたので安心し
「ところで‥イワレヒコ様、貴男はタマヨリ様とはお会いに成ったことが御座いますの‥?」
「いや、お会いしたことはない。ヒミコ女王と十才の頃からフゲキの友としてご一緒に活動されて、ヒミコ様が女王に成られた後は、日向の西都原国の「王族」として母のオオヒルメが、
タマヨリの家族を身内として引き取ったこと‥しか存じて居らんのだ」
「まぁ~~そうすれば、私にとっては義姉上さまに当たる訳だわ‥、」
「ううぅ~~ん‥、母上(
オオヒルメ)の霊位(たましろ、位牌)を持って来られて、取りに行くようにとの指示が姉上(ヒミコ女王
)からあったのでお伺いしに来たのだが、それが無ければ、一生合うこともなかったかもしれんな‥」
「お子様も居られるのでしゅうね‥勿論」
「兄と妹の二人と聞いて居る」
何か余りにぶっきらぼうで、嬉しそうで無いのがアヒラには少し気に成ったがイワレヒコとしては急に二人の姉(ヒミコ、タマヨリ)が増え、おまけに「大物主」のナムチが実の父親と知って、最近、頭がこんがらかってしまっているのだわ‥、と思い。時が解決してくれるのよね‥と一人ニッコリ笑った。
〈カナハシ〉の村に入って田の畦道の先に、屋根を鵜葺草で葺いた平家が数件立ち並んでいるのが見えた。
田には十人程の民が苗を植え込んでいたが、そのうちの三人が、イワレヒコ達を見て平家にに向かい始めた。
他の者達は、先ほど田植えをしていた娘達と同様、中腰に為って深くお辞儀をして、頭を上げなかった。
イワレヒコ一行が住まいが並ぶ所まで来た時、周りの平家の倍は有りそうな家の前に、男性二人と品の良さそうな女性が、イワレヒコを見るなり頭を下げた。
イワレヒコ、アヒラビメ、タギシミミ、ミチノオミと一人の女性の付き人がその家の大広間に案内され残りの者達は、男性と女性に分け別の家に案内された
。
「イワレヒコ様、アヒラビメ様お初にお目にかかります。私はタマヨリと申します。横におりますのは息子のイッセイ、こちらに居られますのは、西都原国の大臣のククノチ様のお子アマツクメと申します」
と頭を下げ、同じく二人の男性も頭を下げた。
「いやいや、誠に南の果ての日向より遠路はるばる、この大和までお越し頂いて有り難く思っております。横に居るのが‥ええっと嫁のアヒラビメ‥後ろに控えておるのが‥、」
「タギシミミと申します」
イワレヒコが詰まっているので、アヒラが後ろにいるタギシミミに自分で紹介するよう指示したのだ。
続いて間髪入れず
「ミチノオミに御座います
」
「タマクシに御座います‥
どうぞお見知りおきをお願い致します」
それぞれ三人揃って頭をさげた。
「姉上‥そういうことで御座います。どうぞ今後とも宜しくお願いします」
イワレヒコにとっては、どうもこういう場は苦手なので、それぞれが自己紹介したのでほっとした。
「おほほほぅ‥ナムチの叔父様とそつくりだわ‥、でもアヒラ様‥とおっしゃいましたわね。今後とも弟を宜しくお願い致しますね
‥、」
しっかりした嫁みたいなので、タマヨリは何となく安心した思いで、アヒラに優しく声を掛けた。
「いえ、飛んでも御座いませんわ、お義姉様!私こそイワレヒコ様にお仕えして
、御迷惑が掛からないようにするのが精一杯で御座いますのに‥、ところでお義姉様‥お嬢様がおいでだとお聴きしたのですが
‥?」
「はい、イスズビメと言いますの。今日はご近所の今井村に田植えの応援に、この村の娘達を連れて行ってますのよ。そろそろ帰って来る筈ですわ。もう夜も開けぬうちから、張り切って出かけましたから‥、」
「ええ~~〈今井村〉にですか‥、!」
急にびっくりしたようにイワレヒコが声を上げたので、皆、びくっとして不思議そうにイワレヒコを見た。
「あら‥貴男、さっきの村で美しい女性が皆を指示されていた‥、あのお方がお義姉様のお嬢様じゃ~~なくって‥、品があつて、身のこなしに色気があつて‥、」
上目遣いでイワレヒコをちゃかした。
「これ、アヒラ!何を言ってるのだ‥、失礼じゃないか‥、」
慌ててイワレヒコは、顔を真っ赤にしてアヒラを叱った。
皆、どっと笑った。
「まあ~~何とお仲のよろしいことですこと‥、」
笑いながらタマヨリは、仲睦まじい二人に声をかけながら、イッセイにこくりと合図した。




