イスズビメたヒミコ、母娘の対面。そして「魏王」〈曹操〉の死をナンシヨウメから伝えられる
女王のヒミコは、まだうつ伏せしたまま動かない。
暫く沈黙したまま、静寂が続いた。
何ときか過ぎた頃、ヒミコがむっくり身体を起こし
「皆さまには、何事もお変わり御座いませんでしたか
‥、?」
と涼しく尋ねた。
「いえ、皆様は女王がお指図されるのを待っておいでだけです‥、」
と女官は答え、何と恐ろしい女王だと、改めて畏敬の念を深めた。
「で‥、タマヨリ様。何故、私が先にオオヒルメ様が亡くなられたかを知って居なければ為らなかったのですか‥?」
「はい‥私達は、まず、宇佐のツクヨミ様に報らせ、次にオオヒルメ様のご主人アシナカツ様とご長男のニニギ様に【霊位】(たましろ、位牌)をお渡ししてこの大和に向かったのですが、その時にかかる日数を計算して、西都原の大臣ククノチ様とトヨウケジ様が、一月遅れで西都原を出れば、大和にだいたい同時期に着くだろう思って居りましたので、もうククノチ様は、三輪山のナムチ様にはニ~三日前には
【霊位牌】をお預けして、女王には報告済みだと思って参った次第です‥、」
と深々と頭を下げ、段取りが狂ったのが自分の落ち度であつた事を暗に申し述べた。
「そうですか‥、」
ヒミコはじっと目をつぶって、タマヨリの言っていた内容を吟味していた。
第一は、西都原の女王として君臨していたオオヒルメの死を、民達がなぜ沈黙していたのか。〈交易船〉が年にニ~三回は西都原に行っていた筈なのに、大和にそういう情報は流れなかった。今聞くと三ヶ月前には見罷っていたのだから、春先から秋口までしか交易船は動かぬと聞いていたが、オオヒルメの死には遭遇している筈なのだ。
第二に、倭人連合国の重鎮であった西都原の君主の死は、私(女王)がオオヒヒ(政王)に報告せねば成らぬのに、何故、互いに報告を別けてせねば為らなかったのか‥、と。そして隠し子と言われているニギハヤヒが、母のオオヒルメの死を死ってか知らずか、熱田(名古屋)を奪回する為にオオヒルメの思惑で実行したと言ったのか謎であった。
ヒミコは先日ホホデミに
、ニギハヤヒ一族に洗礼として、大和(奈良)から追い出すように指示したばかりであった。
第二の疑問は何となく分かるような気がする。
何故なら、西都原の大臣ククノチは、父ナムチと共に四十年前に宇佐に辿り着いた時の仲間であった。そして、私の昔の介護役であったタマヨリは、自分の娘をも預けた親友なのだ。
西都原からすれば、父ナムチにはククノチとトヨウケジ。私にはタマヨリとイスズビメが報告するのが順当であろう‥、ということか。
じっと目をつぶっていたヒミコが、カッと目を開け
、タマヨリの右後ろに座っていたイスズビメを見て
「タマヨリ様‥ほんに美しいお嬢様におなりで、先が楽しみでは御座いませんこと‥、」
とタマヨリには詫びも含めて、頭を下げた。
イッセイはヒミコ女王に対して怒りがこみ上げて、
今にも叫びたく成るような思いであった。
[誰にでも分かるじゃないか‥イスズビメとヒミコ女王を並べたら、本当に親子って誰でも分かる筈だ。何故‥何故母のタマヨリもヒミコ女王もイスズビメを無視した言葉しか出来ないのだ。
イスズビメ‥、お前は何を思って居るのだ。お前の本当の母親が前に居るではないか。良く見てみろ‥お前とそっくりではないか‥、]
もうイッセイは張り裂けんばかりに
「女王‥、イスズビメは貴女の娘さんでしょう‥!」
と言いたくて‥、身体を折り曲げてしくしく泣き出した。
「イッセイ‥、男の子が何事です!」
タマヨリが厳しい顔付きで、二十すぎの息子の頭を思いっきり叩いた。
今まで見たことも無く、このような叱咤も味わった事もなかった。
イッセイは、母の行動が全てを物語っており、今までの自分の思いなど、母のタマヨリに比ぶればほんの欠片ほどでしか無かったのだ。イッセイは母のタマヨリの思いを無駄にしようとしている自分を
、咎めるようにずずっと後ろに下がり
「母上、女王様‥、申し訳御座いません!?」
と思いっきり頭を下げて詫びを入れた。
「おほほほぅ~~」
とヒミコは笑いで返し
「イスズビメ様もお幸せね‥こんなに優しいお兄様がおいでになって‥、」
もうヒミコの目は、イスズビメを母親の目で追っているのがタマヨリには映った。
「はい女王様‥私には優しい母上と、頼もしい兄上に見守られて育ちましたので
、これからは自分一人で頑張っていこうと、夢が一杯なのですよ‥、」
と、はにかむように答え、じっとヒミコの目を愛おしさと甘えの中に、厳しい別れの悲しさも混じった目で見つめた。
何と、イスズビメはもう自分の実の母が、ヒミコ女王と確信しているのも構わず、他人行儀をよそおって
、実の母を見限った。
[私が娘であってはいけないのだ。あんなに厳しい女王の座にいる実の母に、私のようなか弱い娘なんて‥
翔んでもない‥、]
イスズビメは、実の母の
ヒミコを見ていた目を、そっと後ろ姿のタマヨリに移した。
‥、私の母はタマヨリ様なんだ‥、と自分の育った家庭を嬉しく幸せに思った。
「そうですか‥、〈曹操〉が亡くなりましたか
‥!」
びっくりしたようだつたが、しかし静かに少し語尾にト-ンを上げて、ヒミコは名将の死の知らせをを聞き、感慨深げに呟いて目を伏せた。
巻向(桜井市)の「女王の館」の奥の間に〈ナンシヨウメ〉を十二年ぶりに呼び寄せて〈中華(中国)〉の現在の情勢や、十二年前の〈赤壁〉での戦いの後の状況報告を聞き入ろうとした、冒頭での悲報であった
。
十二年間、ヒミコは直接政情には携わらず、重要な
案件にはホホデミを介して
、間接的にオオヒヒ王に指示を与えるに留めていた。
「十二年前の〈赤壁〉での大敗で、曹操の権威は落ち、失意のままでの死であったのだろうか‥?」
ヒミコは目を開けて、頭を下げたままのナンシヨウメを促した。
ナンシヨウメは、女王が黙祷のような仕草をしたので、思わず自分も頭を下げて、名将の死を悼ばねば‥
と。
「いえ、女王‥曹操は大敗で失意に陥るどころか、益々気を吐いて〈漢帝内〉での権力を独り占めにして仕舞いました」
ナンシヨウメは慌てて頭を上げ、曹操は女王が労るような柔な男では無い事を声を大にして、はっきり言い切った。
「ほほぅ~~ナンシヨウメったら、何をそんなに力んで‥、曹操と言う人は一体何をしたの‥、それほどに曹操と言う人は、悪運の強い人だったの」
「いやぁ~~申し訳ありません。私が何も私情を挟んで申し上げる事では有りませんでした。実は、あの赤壁の戦いの月の始めに〈日蝕〉が起こっておりました
。〈中華〉では我々の国以上に〈日蝕〉を恐れて忌み嫌っております。何時の時代でも、戦いに敗れた責任は〈皇帝〉に波及する恐れがあつたのです。それで、
自ら〈承相(じようそう、首相)〉と名乗って軍を率いた曹操は、当時政を仕切っていた〈三公(大臣)〉を全部罷免するよう〈漢皇帝〉に注進し、敗戦の責任を〈皇帝〉に降りかからぬよう策略したのです」
「しかしナンシヨウメ‥、
それはそれで曹操は、漢の皇帝の忠義者では有りませんか」
ヒミコに取って、大敗した大将が何の責任も取らずに安穏としていることは腑に落ちなかったが、中華の内情としては、曹操の策略も致し方無かったのではないかと思った。
「はい、そうなのですが‥
後が行けません」
「というと‥?」
「曹操はその後〈魏公〉と名乗って、娘達を王の妃や皇太子の妃にして〈漢帝〉の身内と為って権力を増し
、諸侯王よりも上位を占めるように成りました。そしてついには、皇后とその子達を殺してしまい、娘が皇后に成ると、〈魏王〉となって〈漢帝〉をも凌ぐ権力者となってしまいました」
「ほほぅ~~‥すると、その絶頂期に曹操は亡くなった‥と言うことですか‥、
〈漢帝〉はどうなるのですか‥?」
「恐らく、年内には〈漢王朝〉は滅び、息子の曹不一
(ソウヒ)が〈魏王朝〉を樹立するだろうと言うことです」
「〈献帝(当時の漢王)〉が何の抵抗も無しにですか
‥?」
「はい‥曹操は亡くなる前に、献帝に〈譲位(王の位を譲る)〉を承諾させて居たようで、四年ほど前から
もう〈魏帝〉と為って曹操は〈漢帝〉を牛耳って居たようでようでした」
「そうですか‥〈漢〉は滅びましたか‥、」
ヒミコは、何とは無しに大きなため息をついた。
幼い頃から、大国の漢王朝の偉大さに、恐れと憧れを抱いていた自分の気持ちにふっと儚さを
覚えてしまったのだろう。
「それで、ナンシヨウメ、
劉備と孫権はどうなっているの‥、〈赤壁の戦い〉に勝って、両者とも領地を拡大していったのでは‥しかし、曹操が負けたとはいえ安泰であったのであれば、そう易々と思い通りには行かないわね‥、」
「誠に‥、劉備も孫権もすんなりとは領地の拡大を成し得なかったようです。孫権側が劉備軍を余りに警戒しすぎたきらいがあったようで‥、」
「何と‥大敵を倒したあと仲間割れしたと‥!」
「正に‥そのような状況に為ったようです。発端は、赤壁で曹操軍の大船団を、
よもや吹くまいと誰しもが想像していなかった東南の風を利用して放火し、炎にまみれさせ曹操軍の兵士達を蹴散らして勝利が決定した最中のことです。事もあろう、呉の大軍師〈周喩〉は、劉備軍の若き軍師〈諸葛孔明〉の聡明なる知謀と
、自由に〈東南の風〉を吹かせる魔力に恐れを成し、こんな男を放って置いたら将来我国(呉国)が危うく成ると憂い、すぐさま〈南屏山〉で祈祷している孔明に刺客を送ったのですが、見事に逃げられてしまったそうです
。孔明は、周喩のもくろみを事前に察知していたのでしょう。東南の風が吹くやいなや、必ず周喩は自分を殺しに来るだろうと‥、」
「何と‥!諸葛孔明は、何故自分を殺しに来る事を知っていたのですか‥?」
ヒミコは、孔明が互いに力を合わせて曹操と立ち
向かおうとしている仲間に
、不意打ちを食らう事を想定していたのだろうか‥、
それとも霊感が働いたのかと不思議がった。
「それは私には分かりません。但し、赤壁の戦いの後の情勢を見ていますと、劉備軍は孫権とは違い目覚ましい飛躍をして来ました。それは、孔明が常に相手の大将の戦略を読み取り、戦術に於いて裏をかいたり挙に出たりして、常に戦況を有利にしていったと聞いております。天文の占星術を心得ていて、相手の生命力や性格を見抜く力が備わって居るのでは無いかともっぱらの噂です」
「成る程‥、孔明は〈奇門遁甲の術(祈祷によって風を吹かせ、又雨を降らせる)〉を身につけていたと聞きますからね‥、」
ヒミコは十二年前、孔明の奇門遁甲の術が、赤壁での戦を劉備、孫権軍の大勝利へと導いたと聞き、自分が女王に為って政〈(まつりごと)政治〉に奔走し、列島を活力ある力強い国に導いて行こうとしていた信念がぐらついたのを思い出した。〈奇門遁甲〉の術という民を救える占星術を身に付けようとしていない自分に腹立たしさを覚え、占星術に取り組み、霊感を研ぎすます為に、以後、一切政には直接関与せず、以降十二年の歳月を費やしたのだつた。
「しかし、呉の孫権側では
、周喩が中心と為って劉備軍を今のうちに叩き潰さねばと焦っていたので、主力を投じて攻め行っていたのでした。所が、赤壁の戦いのニ年後に劉備軍と戦っていた最中に、周喩があっけなく病死して仕舞いました。
「何と‥!周喩が病死ですって‥、孫権は、大軍略家の軍師を失くしてしまったのですか‥!?」
「そうです‥いくら呉に勝れた軍師が他に居たとしても、とても彼と比較する訳には行かず、今まで周喩と聞くだけで恐れをなして呉に従っていた近隣群小豪族達は、機を見て曹操が攻めて来た時にはあっさり曹操側に付き、呉の敗退を追い込んだようです」
「そうでしょうね‥味方に為って貰える筈の劉備と戦をしていたのでは、曹操が攻めに来たらたまったもんじゃ無いわね‥、」
「そうです。曹操は周喩が亡くなって四年の間に二度も呉に攻め入り孫権を配下に収めたのですが‥、一方の劉備軍には敗退が続いていました。劉備は、数年後、中華中原の〈漢中〉という〈漢水〉上流の地域を
曹操から奪い取って〈漢中王〉と為って益々曹操を追い込もうとしていました」
「すると‥曹操と劉備に絞られて来た訳ね‥、これからの中華は‥、」
「いえ、そう簡単には行かなかったようで‥、」
「すると孫権が力をぶり返して来たとでも‥、」
「いえそうでは有りません
。孫権は、曹操に敗れたとはいえ、呉王では無く〈漢帝〉の大将軍として踏みとどまっていました。それよりも、曹操が劉備をも一時追い込んで優位に立ったかのように見えたのですが、劉備軍が盛り返して曹操軍を追い出す地域が出始めたのです。曹操に取って、呉の領地の〈長江(揚子江)下流〉地域には余り魅力がなく、漢王朝の主要都市
〈洛陽、長安〉の有る〈黄河流域〉と長江を結ぶ〈漢水〉流域が最大の防護壁だったのです。それで、孫権を使って劉備を挟み撃ちにして追い落とす狙いの処遇だったのではないかと‥、
兼ねてから劉備と孫権は、
長江(揚子江)中流で〈漢水〉との合流地域の大都市
〈刑州〉の領有権の取り合いで明け暮れていたので、曹操は自分との対立が無くなれば、孫権は全力で刑州を勝ち取りに行くだろ。今、劉備に手こずっている曹操にすれば
、孫権を手なずけて置いた方が得策であるとの判断からの孫権温存の策だったと思います」
「成る程‥、それで‥曹操の思惑通りにいったのですか‥?」
「どうだったんでしょうか
‥?結果的には、魏、属、呉という三国時代に対立して行くのではないかと思っております」
「ええ~~!ナンシヨウメ‥
どう言う事なの!?」




