納豆ばかりを食べている。
「君、太った?」
──旦那のその台詞に私がブチ切れる。
土曜日の夜10時。
「誰のせいだと思ってやがる! 毎日毎日毎日毎日毎日……っ」
怨念を込めて 『毎日』 を繰り返した結果、アホの旦那は空気も読まずに鯛焼きが海に出て冒険する歌なんぞを口ずさみやがったので、頭をひっぱたいてやった。
「アンタの帰りが遅いせいで、こちとらおかずを2倍食べとんじゃー!! 要らないなら要らないと、早目に連絡しないか! 何故そのスマートフォンをスマートに使わぬ!? 貴様のスマホはモフモフを観るためだけのモンか!!」
ベッドでうつぶせになりながら、モフモフ動画を延々と見ていた旦那。なんとなくかけてみた逆エビ固めはバッチリ決まり、彼はだらしなく喘ぎながら枕を叩いて降参の意を示した。
「はあ……しょーがないじゃん。 このところ只でさえ遅いのに、急な付き合いや相談が多くてさ……帰ったら食べるつもりでいるから、連絡するころにはもう間に合わないんだもん」
旦那は朝食を摂らないので、朝食に回すことも出来ない。弁当は衛生上の問題で、昨年から禁止になってしまった。
私も元々食が細かったので、朝昼は大して食べなかったのだが……食物を捨てるのは偲びない。朝昼に分けてはいるが、結果的に2倍の夕食を私が摂取する羽目に。
元々食べていたのなら問題ではないが、急激なカロリー増加に私の身体はわかりやすく変化を遂げていた。
「そもそも私は料理がそんなに好きじゃない! 自分だけなら納豆でいい人なんだから!!」
「……わかった。 いいよ、じゃあ作らなくて」
「え、マジすか」
「うん。 まあ、俺的には太っても別に構わないんだけど……」
そう言いながら旦那は私の腹肉を揉み出したので、とりあえず蹴り倒した。
これは明らかなモラハラである。
蹴られて当然と言える。
次の月曜から、私は納豆にまみれる粘ついた毎日を送ることとなった。
最初は物足りない気がしたが、料理が好きではないことが幸いした。旦那がいなければ、極力包丁など持ちたくはない。
朝食:納豆トースト
昼食:納豆丼 (米の代わりにキャベツ)
夕食:バクダン (納豆・刺身・オクラ等の具を混ぜたもの)
正に納豆まみれと言うに相応しい。
時折米を食べたくなるので、たまに米を2合程炊いて1膳分ずつラップにくるみ冷凍しておく。これでパーフェクトである。
納豆のおかげで私は徐々に痩せていった。まだ2週間しか経っていないのに身体が軽い。
身も心も軽くてうっきうき。
エンゲル係数も低くなり、食費も浮っき浮きときた。
こりゃあ、年末のワイハも夢ではない。
勿論年甲斐もなくビキニ着用という、経済面と体型面でのW目標ができた。
イソフラボンと共に運ばれる、夢と希望……私がそんなものを思い描いていた
──その時だった。
「納豆が……ない……だと?!」
「ええ、 『Mono-みんたの昼は○○☆思いっきりヒルナンジャガ?!』 で納豆が紹介されてからバカ売れでして」
── 『Mono-みんたの昼は○○☆思いっきりヒルナンジャガ?!』 は、この地方局でやっているお昼の番組である。
司会の似非イタリア人 (※要は日本人です) 『Mono-みんた』 氏が熟女のスタジオ観覧者に 「そこの美しいお嬢さん」 等のいい加減な科白で褒め称えつつ進行していく、熟女に大人気の情報バラエティだ。
その人気と影響力は凄まじく、番組で 『ココアが身体にいい』 と言った途端、一部地域 (※ここ) でココアが売り切れになるという程。
どうやら納豆が紹介されたらしい。
「熟女パワー……いやみんたパワーか?! ……恐るべし!! 納豆が身体に良いなんて今更の情報じゃないか!!」
「全くですよね~……どうせならもっと高額なモノをオススメしてくれれば良いものを……いや~、ココアのときはウハウハでしたよ~♪」
「知らんがな……」
結局私は、馴染みの店長とどうでも良い話をしたあと、久し振りに夕飯の食材を普通に買って帰った。
(まあいいや、明日は土曜日だし……)
旦那の休みは土日祝日と、ほぼカレンダー通り。
先週と先々週はブランチだけ家で摂り、日曜の夕飯は外食。
土曜日は旦那が晩酌をすることが多く、前回もその前もやはり晩酌した。彼は呑むとあまり食べない人なので、結局バクダンだけで済んでしまったが……
(昼夜一緒に食べるんだし、今日食べて帰ってきても明日には消費できるだろう……今日は普通に作るか~)
そう思い、二人分の夕飯を普通に作ることにした。一応スマホで連絡は入れておく。これがスマートフォンのスマートな使い方である。是非とも旦那にも見習っていただきたいものだ。
「ただいまー」
旦那は早く帰ってきた。
金曜の夜だというのに、珍しい。しかも私の好きな芋羊羮を土産に買ってきた。
「なんだなんだ、ご機嫌取りかね?」
そう言う私に旦那は 「そうだよ」 と言う。とても潔い。もっとそれは別のところで使えんものだろうか。
ウチは二人だからもあってそんなに風呂は沸かさず、シャワーで済ますことも多い。だが、今日は休み前の旦那の為に沸かしてある。
私にご機嫌取りをした旦那は、鼻唄を鼻ずさみながら風呂場へと向かった。……余程彼の方が機嫌が良さそうだ。
「呑む?」
「うん、じゃ一本だけね。 ふたりで」
「へえ? 随分少ないじゃん」
「ご飯食べたいから」
「ええ? 大したもん作ってないよ……いつものことだけど」
今日のメニューはしょうが焼き定食的なものであり、本当に大したもんはなにもない。辛うじて一汁三菜になってはいるが。
何度も言うが、私は料理が好きではなく、当然得意であろう筈もない。
料理を失敗しないコツはレシピ通りに作るか、そうでなければ味見をキチンとすること。あと火加減。時折食えないレベルのモノを作る話を聞くが、コレさえちゃんと守れば、そんなモノを作ることなどまずないと思う。
私の料理はそういう感じだ。
レシピや調味料や、素材が良ければ旨い。
……しかし今日はいい豚どころか、特売のカナダ豚である。
「いいんだよ、いつものご飯が食べたいんだから」
私が変な表情をしていたのか、旦那は笑ってそう言うと、冷蔵庫からビールを取り出した。
ふたりで乾杯して、グラス一杯のビールを飲み干す。
旦那は大したことのない普通の味付けの、特売カナダ豚 (100g/98円) のしょうが焼きを、炊きたてのごはんと一緒に美味しそうに食べた。
「……そんなにご飯が食べたきゃ、言ってくれれば良いのに」
なんとなくばつの悪い気持ちから、不貞腐れた感じでそう言うと、彼は 「ははっ」 と軽く笑って続ける。
「だってなんか楽しそうだったし」
「そんなこと………………」
──確かに途中から楽しかった。
『年末年始ワイハでビキニ』 という目標ができてから。
「う~ん……あるかな? ……そう見えた?」
「うん」
「ふーん……」
納豆ばかり食べてたら痩せてきたこと。
食費がかなり浮いたので、このままなら年末年始に海外旅行が行けるな、と思ったことを話すと、やっぱり旦那は笑っていた。
「海外旅行がしたいなら、それこそ言ってくれれば良いのに」
「そういうことじゃないんだよ! 目標をクリアして行くのがいいの!」
「ああ~成程ねぇ」
「でも、ま。 いいわ」
「そうなの?」
「うん」
小付の白和えを食べながら不思議そうな表情をする旦那。
思えば彼も、以前はこんなに食べる人ではなかった。食べるようになったのは、一緒に暮らし出してからだ。
結構な量を作った筈だが、旦那は綺麗に平らげた。
私もなんだか満足したので、納豆にまみれる生活はもう終わりにすることにしよう。
食後暫くしてから芋羊羮とココアを出した。甘いものが好きな彼は喜んでいた。
──店長の口車に乗せられて、納豆の代わりに買わされたココアである。
「……でも多分もう買わない」
「え、美味しいよ?」
「それ、めっちゃ砂糖入れたからね」
無糖のココア (自分の分) はあまり美味しくなかった。
素直に茶にすべきだった。……旦那の砂糖入りも、彼は喜んじゃいるが甘いものに甘いものとか、どうなんだ。
やはり素直に茶にすべきだった。
「気にせず、砂糖入れて飲みなよ~」 と言いながら、私の腹にまだ残る肉を摘まもうとしてきた旦那。
……すかさず肘鉄を喰らわせた私は、悪くないと思う。