2.ショートホープ(喫目線)
第一話の喫視点になります。
おじさんの運転する車に揺られて、一時間は経ったかな。少しずつ知らない景色になって、本当に知らないところに行くんだな、って他人事みたいに考えてた。
大した荷物も入っていないカバンを、特に意味もなく撫でる。この二つのカバンだけが、自分の持ち物。
武器も味方もないようなわたしができるのは、とにかくお願いすることだけ。優しくしてもらいたいだなんて思ってないから、追い出されないようにだけ頑張るしかない。
「着いたぞ。カバン、ひとつ持つよ」
「ありがとうございます、おじさん」
本当に優しくていい人。男の人ってだけで受け付けられないのが悔やまれる。ずっとおじさんに面倒を見てもらうのが一番なんだろうけど。
カバンを持って車を降り、アパートの階段を上る。目的の部屋の両端の部屋のドアには、『空室』という紙が貼ってある。
おじさんがインターホンを押すと、気だるげな女性が出てきた。
「なんの用」
ウェーブがかったグレーっぽい髪に、耳にはたくさんのピアス。おっきなドクロの書いてある黒いTシャツに、黒のジャージを履いている。タバコの臭いもする。どうしよう、怖い。
「この子を、預かってくれないか」
おじさんの背後から、おどおどしながら出る。
おじさんの話だと、とても優しい人らしいけど……見た目で判断しちゃダメなのはわかってるけど、怖いものは怖い。
「……はじめまして。タイラです。平等と書いてタイラと読みます」
「この子はな、ある事情で親と暮らせなくなったんだ。男が苦手らしくてな、俺とは暮らせないんだ。まぁ親戚でもないんだけどな」
「すみません……。おじさんはいい人なのに……」
「というわけだ。小学校を卒業するまでの間で良いんだ。毎月金も振り込む」
「数日、様子を見てからでもいいなら預かるケド」
「わかった。それで頼む」
「ん」
お姉さんが頷くと、おじさんはわたしと荷物を置いて帰った。
残ったわたしと荷物を交互に見て、面倒そうな表情をした。どうしよう、捨てられる。もうこのお姉さんに頼る以外、道はないのに。
「……わたし、なんでもしますから。ここに居させてください」
「私が女だからって、何もされないと思ったら大間違いだよ」
「……え?」
「なんでもするなんて、女の子は軽率に言わない」
「は、はい」
女の人が好きな女の人もいるって、四年生の時に学校で習ったけど、そういう意味だろうか。
部屋に入ると、テーブルの上にある灰皿に、吸いかけの煙草があるのが目に入った。吸わないのだろうか。
もしかして、わたしに気をつかっている?
「私は煙。タイラちゃんの下の名前は」
「喫です。喫茶店の喫と書きます」
「二人合わせて喫煙。ふふふ」
わたしが言うことじゃないけど、珍しい名前だ。二人合わせて喫煙になるなんて、変な偶然というか、なんというか。
部屋を軽く見渡すと、ソファーやテーブル、掃除機などが目につく。うん、普通に生活しているみたいだ。
タバコの空き箱や、お酒の缶なんかが部屋の端にまとめて置いてある。酔ったら暴力を振るうとか、そういう人じゃないことを祈ろう。
大丈夫、ちょっとくらいなら痛いのもがまんできる。
「あ、の。わたし、迷惑だと思いますが、がんばるので。ここで暮らしたいんです」
「今日って金曜日だけど、学校は行かないの」
突然、痛いところを突かれた。
どうしよう、正直に行きたくないことを伝えようか。しばらく行ってないことも伝えるべきだろうか。とりあえず謝ろう。
「……ごめんなさい」
「いや、別に謝らなくても。私も今日サボるし」
そうなんだ。大学生だろうか。タバコとお酒があるわけだし、二十歳にはなっている、はず。
何が入っているの、と訊かれたので、カバンを開けて荷物の中を見せる。
はぁ、とため息をつかれた。何か気にさわるようなものでも入っていたかな。
「さて。まずはタイラちゃんの着替えと布団を買いに行こう」
服があまり入っていなかったからだろうか。
学校に行くわけでもないし、そんなになくても平気なのに。ちゃんと自分で洗濯もできるし。
「そ、そんな。あるものだけで平気ですよ。部屋のはじっことか貸していただけるだけでわたしは」
「気遣いと敬語、あと変に卑屈なの禁止」
「えっ……。それはちょっと難しいです」
「なんでもしますって言ってたじゃん」
「言いました、けど」
「ほら、敬語遣ってるよ」
「うぅ……」
調子に乗らない、生意気にしゃべらない、常に大人の機嫌を気にしろ。そうやって言われてきたのに、突然そんなことを言われても困る。
けど、この人は『そういうこと』が嫌なんだ。大丈夫、できるできる。ケムリさんに、少しでも長くわたしのことを預かってもらうためにも、機嫌を損ねるわけにはいかない。
ケムリさんは、背中にアナログ時計のイラストが書かれているパーカーを羽織り、財布と車のキーを持って玄関に向かう。
「車で行くケド、平気」
「平気で……だよ、ケムリさん」
なんとか敬語から切り替える。大人相手に敬語をつかわないなんて、なんだか緊張する。
「さんじゃなくて、ちゃんが良いな」
「ケムリちゃん……?」
「いい。ときめくね」
ときめく、ってなんだろう。もしかして、本当に女の人が好きなタイプなのかな。仮にそうでも、こんな子どもに興味はないだろうけど。
一緒に家を出て、車に向かう。初対面の大人との接し方というか、距離感がわからない。
土足でもいいのか確認してから、車に乗り込む。後ろに乗るように促され、助手席の後ろの方に座る。運転席の後ろは怖い。
「あの、ケムリちゃん」
「なに」
「わたし、期待してもいいの……?」
「良いんじゃない。ショートホープかもしれないケド」
短い希望、って意味かな。
多くは望まないけど、一日でも長くここにいたい。そのためにできることは、なんでもやる。
次回、お買い物。