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天気予報によれば、昼間に少し雨雲が発生することになっていたが、今のところは曇り空のままで、雨は降っていなかった。
体育館内では、音楽部のバンド演奏が行われ、興奮と熱気に満たされていた。
俺は、ステージ前に集まった熱心なファンと少し距離を開けて、後ろにひとり立って、手持ち無沙汰にその光景を眺めていた。
演奏曲はVS MONKEYのメジャーデビュー曲「RUIJINEN!」だ。カバーバンドは、男子の5人組だ。
俺は音楽に詳しくないので腕については判断できないが、ボーカルが楽器隊に飲まれているような感じがした。もっと端的に感じたことだけを言えば、ボーカルがあまり聞こえなかった。
痩せ気味のボーカルの、右に立ってギアーを弾く猿みたいな顔の生徒が、手をリズムに合わせて上げ下げし、それを観客に示す。観客たちはそれを察して、同じように音楽に合わせて「ノリ」始めた。
俺はその様子をぼんやりと眺めながら、何となしに手拍子を打っていた。
ドラムの赤いカツラを被った生徒は、合間合間に片手でスティックを回転させる小技を挟み込んでいた。
ステージ上にいる5人全員が、観客たちの歓声や、自分たちの発する音楽に酔っ払っているみたいだった。とても、気持ちよさそうな今にも昇天しそうな表情で、弦を弾いていた。溢れ出す彼らの自意識が、音楽に乗せられて体育館全体を震わせ、俺の身体を震わせた。俺は気持ち悪くなった。立ちくらみし、倒れてしまいそうだった。
これ以上「酒臭い」彼らの姿を見ていることが辛くなった俺は、視線をステージ外へ、左の方へとずらし始めた。
ステージの下では、やはり、音楽の振動に酔わされた生徒達が身体を弾ませていた。
その塊の、外れに、彼女は居た。
バンド演奏が始まる前は、この後に行われる今日のステージ発表の、PRコーナーがあった。
その時に、A組のPRに登場していた、不思議の国のアリスのコスプレをした、華奢な女子生徒は、他の生徒達と同じように、その細い身体を弾ませて、その細く白い手をリズムに合わせて上げ下げしていた。俺はその斜め後ろ姿にとても惹き付けられていた。
彼女がひとりの女子生徒に声をかけられたようだった。何を話しているのかは当然聞き取れない。何となく、「(彼女)、めっちゃノってるな」とか、言われてたのではないだろうか。
そして、彼女は少し恥ずかしそうに頷きながら、また視線をステージ上に戻して、決してその勇姿を見逃すまいとその熱心な眼差しをメンバーの誰かに向け直したのではないだろうか。
彼女は、多分、ステージ上に居る誰かに強く惹かれている、恋をしているのだと、直観的に感じていた。
その時、俺の心には、いやな黒い感情が沸いてきた。黒い煙が、ピンク色の肺を蝕んでいくように、俺の感情が醜く染まっていった。
それは、嫉妬だったのかもしれない。羨ましかったのかもしれない。
自分も、彼女から、そんな羨望の眼差しを受けたいと思った。彼女の瞳を、その心を独占したいと心の奥底から思った。
そして、俺の内側から、ある破滅的な考えが出現した。
『彼女をめちゃくちゃにしてやりたい』
今から、ステージ上にだけ関心を向けている生徒の中を掻き分けて、彼女へ最短距離で突き進む。
彼女の細い首に掌を当てた時、ようやく彼女はステージ上から視線を外し、俺に目を向ける。
彼女は抵抗を試みるだろうが、もう既に遅い。俺の両手はしっかりと彼女の首を掴みきっている。
苦しみ、藻掻く彼女の表情を眺めながら、俺は力を強めていく。
俺は彼女を、絞殺してやりたいと思った。めちゃくちゃにして、ぐちゃぐちゃにしたいと思った。俺ひとりだけのモノにしたかった。
また自分を焚き付けて、焚き付けられた自分に酔っているだけだと理性が叱咤し、俺はその思考を名残惜しくも放棄した。
気づいた時には、バンドの演奏は終わり、楽器を片付け始めていた。もう一度彼女の方へ目を向けたが、姿はもう見えなかった。
本当に、今考えても、絞め殺したいと思う。
いや、違う。それこそ、自分を焚き付けているだけだ。
俺は、あの時、完全に冷めたと思っていた。
彼女がステージ発表の本番で再登場した時だ。彼女の声が意外と低かったことに、失望したのではなかったか。それほど大袈裟でなくても、少し落胆していたはずだった。その後に登場した「うさぎ」の声が意外と可愛かったことも覚えている。もうその時には、彼女を「絞め殺したい」なんてちっとも考えてはいなかった。あのか弱そうな、すぐに折れてしまいそうな細い首を通って発せられる声にしては、やたら低かった。
やはり、ただの借りた感情に過ぎなかったんだ。
最初に感じた嫉妬は紛れもなく俺の感情だった。しかし、そのあとに独占欲から発展した絞殺欲を含む破壊欲は、俺が何かしらの漫画や小説の記憶から関連づけて手繰り寄せた他人の感情のはずだ!勘違いしてはならない!
いや、本当にその通りなのか、その記憶すら怪しかった。今は疑問に思っている。
俺にはもう他人と自分の区別がつかなくなっている。俺は俺がわからない。でも、今はただ彼女に近づきたいと思っている。