21
「もしもし?」
「あ、えっと、鳴獅子です。…………久しぶり」
夜風が頬を掠めていく。月には靄がかかって、ぼんやりと明るい。
「……あ! レオくん!? 久しぶりだね! 電話、ありがとう。もうかけて来ないのだとばかり思ってたから……」
「いや、ううん、ちょっと心の準備が……」
「――うふふ」 嬉しそうな笑い声が聞こえる。
「どうしたの?」と半笑いで応える。
「やっぱり男の子なんだなあって」
「いきなり、なんだよ、それ」
「声とか全然違うし」と、また笑い出す。
「声変わりくらい、するもんだよ。……きみだって、ちょっとくらいは低くなったろ?」
「まぁ、少しくらいは? ――ていうか、きみって、やめてよ! 私にはちゃんと名前があります」
「……仲井、さん」
「ねぇ、レオくんって鈍感なの?」
「えぇっ? でも……」
「……ほら」
「うん……由理」
「よろしい」
それから、他愛もない会話が続く。
今どんな生活をしてるのか、なんて聞いてみた。
由理は、東京に1人で住んでていて、高校に通いながら、曲を作っているらしい。テレビの撮影なんかもあるのだとか。そういえば、この前見たよ、と伝えた。彼女は驚き恥ずかしがっているような笑いでありがとうと答えた。
レオくんは?
何か期待が混じった声だった。聞き返されることは想定していたのに、話す内容を思いつくことが出来ず、黙ってしまった。彼女に話してやれる程のことを俺は何も持っていなかった。
それよりさ。と、俺は話を変える。
話題は2人が記憶を共有していることが望ましい。
昔は楽しかった。
いつ頃のことなのかは、分からない。特に彼女と別れる前のことを言っているわけでも無いだろうが、はっきりとは思い出せない。漠然と、昔は、もっと単純で、ただの遊びに満ちていた。
余計な雑念が無かったように思えるのは、記憶が風化しただけなのか。
昔が今だった時も、今が苦しくて、昔は楽だったと思ったのだろうか。いや、そんなことを思っていた記憶はない。いや、記憶が無いだけなのかもしれない。
昔よりも少し客観的になってしまった自分は、今までの道程を眺めるばかりで、これ以上の前に進むことが出来ない気がしてしまう。もう、その流れと同じ自分でいられない。今の俺に、何もできることは無い!
駄目だ駄目だ。落ち着け。落ち着いて、馬鹿になるんだ、昔のような馬鹿に。何もかも忘れてしまえ。知らないふり、気付かないふりをしろ。
「明日の朝、早いから、今日はもう、これで……。また、電話するよ」
「……うん、そうだね。もう遅いし」 彼女の声は寂しいそうだった。「私からも、またかけて良い?」
「いつでも、良いよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
通話を切ると、黒くなった画面に映る自分の顔が見えた。画面を伏瀬田状態でテーブルに置いて、ため息をつく。顔を上げると、カーテンを閉め忘れた窓に、映る姿が見える。カーテンを直ぐに閉めた。
直後、眼球から突き刺ささった極々細い針が、脳髄を貫く刺激。
右手で当該箇所を抑えて、床を転げ回る。
脳髄から入ってきた刺激は背筋を通って腹部の辺りにまでやってくる。中身が飛び出したがっているかのようだ。
肋骨の隙間に指を入れて、外へ広げる。外側をひっくり返すようにして。
いつしか鳥の鳴き声が聞こえて、カーテンの隙間から光が漏れ出ていた。
空が青白く、夜が終わった。