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「ということで、花見さん、引き受けてくれるかな?」
「辰己くんもこう言ってるしさ、お願い、ね?」
由理は今何してるかな。仕事か。歌ってんのかな。詞書いてんのかな。由理。
「ナルシ君も、ほら」
桃山が無理矢理俺の頭を押し下げようとして、ぶっ飛んでいた意識が我に返る。
花見はパイプ椅子に座らされて、両手を固く握りしめて腿の付け根の辺りに置き、縮こまっている。目が泳いでいるし、額からは粒の汗を流している。
すると、目が合った。うるうると涙ぐんだ彼女の目は、追い詰められた小動物のような、助けを求めているように見えた。ああ。そうか。
「お、俺も、花見がやってくれると嬉しいな……とか思ったり、して」
目を逸らして頭をかいた俺の顔は中途半端にニヤついて気持ち悪かったに違いない。花見をもう一度見ることは出来なかった。
「ナルシ君までこう言ってるんだし、ね?」
桃山はさらに花見に接近して押していく。花見はこれ以上は無理というほど身体を小さくし、密度が大きくなる。
俺は心の中でため息をついた。こうして、朝から花見を狭い部屋に連れ込んで、辰巳と桃山と一応俺も含めて3人で彼女を囲んでいる。花見はすっかり黙りっぱなしだし、今にも泣きそうな顔をしている。それも可愛いと言えば可愛いが、少し罪悪感があって、むしろ背徳感すら湧いて、苦しくて気持ち良い。
辰巳が花見に拘る理由は、もうわかっている。でも、桃山は何故そこまでして花見をヒロインにしたいのか、わからない。自分の脚本のイメージにかなり拘っている風に見えるが、それだけで辰巳のあのやり方に手を貸すようには思えない。他に理由があるのだろうか。
「……うっ、うぅ」
花見は白い両手で顔を覆ってしまった。咽び声が小さく響く。
「あぁあぁ、ごめんごめん。急かしすぎちゃったよ、ボクが悪かった」
「そうだぞ桃山、気をつけろよな! 」桃山を怒鳴りつけた、辰巳はしゃがんで花見の肩を抱く。「すまない花見。今すぐにとは言わないが、出来れば今日中に答えを聞かせてくれ」 よく聞こえなかったが何かを彼女の耳元で囁いた。「――――良い返事を期待している」
「辰巳、今なんて……」
花見の表情が一瞬硬くなった気がした。
立ち上がった辰巳は、俺たちを両手広げて柔らかく押し出すジェスチャーをする。「さあ、今日の稽古を始めよう」
俺たちは部屋を後にした。
そのあと、昼休みになって、桃山から、花見がヒロイン役を承諾したと連絡された。