12
起きたのは、正午過ぎだった。連日のテストのせいで疲れが溜まっていたのだろう。とても長い睡眠だった。なにか夢を見ていた気がする。懐かしい光景のようだったが、既に思い出せない。頭は空回りするだけだった。
カーテンを開けて、窓も開けた。蒸し暑い部屋に日光と風を取り込む。宙を舞う埃がキラキラと輝いて見えた。
『レオ』 彼女が俺を呼ぶ声すらも、曖昧にしか覚えていなかった。
「な、る、し、し……」
「このししって言うのは、ライオンって意味なんだ。カッコイイだろ。百獣の王! これからオレのことは、ライオンキングと……」
「変」言い終える前に遮られた。「レオで良いじゃん! 良いでしょ!?」
「……まあ、良いよ」 不覚にもカッコ良いと思ってしまったのだ。
『レオ』……懐かしい響きだった。
ベッドの脇の床に放られたスマホを手に取り、Twitterを起動させた。
『那海理由ってシンガーソングライター知ってる? それ、俺の幼馴染みwww』打ちかけて、消した。こんな恥ずかしい文章を全世界に公開出来るはず無かった。
彼女は俺のことを憶えているのだろうか。おそらく憶えていないのだろう。ならば、彼女と俺の関係性は、一方的なものであり、俺はただの一般人と変わりはなかった。
昨日の夜に探してフォローした彼女のアカウント。フォロワーは、およそ15万人。俺も15万いるうちの1フォロワーに過ぎない。彼女の存在は、届きそうなのに届かない、蜃気楼のようにぼやけて、ついには消え失せてしまった。
俺は自分のユーザー名を、『レオ』に変更した。彼女と俺を繋ぐ唯一のモノだった。他に彼女と俺にしかわからないことは無いかと色々記憶を探したが、情けないことに何も無かった。なけなしの情報として、17歳、同級生であることを、プロフィールで仄めかした。自棄になり、位置情報も公開してしまった。
『レオ』ありふれた何処にでもある名前だとは思う、既に彼女のフォロワーにいくつか同名のアカウントがあるかもしれない、たったそれだけの、脆弱な情報だけで、彼女が俺の存在を思い出して、気付いてくれるとは、到底思えなかった、だが、こうでもせずにはいられなかった。
直接にリプライを送ったり、ダイレクトメッセージを送るだなんて、以ての外だった。自分から名乗り出れるほど、自信がなかったし、恥ずかしかった。それと、「オレだよオレオレ」オレオレ詐欺だとは間違われたくなかった。
今頃になって気づいたが、幼い頃に彼女と親しかった人間なんて、それこそ腐るほど存在するのだ。俺は何か勘違いをして思い上がっていただけなのかもしれない。自分は那海理由の幼馴染みであることに、何を見出そうとしていたんだ。卑しい考えをしていた自分を恥じた。
馬鹿馬鹿しくなって、情けなくなって、スマホを放り投げた。
全てをなかったことにするんだ。そう言い聞かせる。
その通りだろ? 自分だって、大して憶えてもないクセに、彼女に何を求めているんだ? 自分を特別な存在たらしめる為の道具か?
俺は平凡な高校生。有名人をフォローし、真似をして、騒ぎ立てる。そして、タピオカを飲み込む高校生だ。
全国に300万人以上存在する高校生のうちのひとりだ。取るに足らない小さな存在なんだよ、俺は!
キャスター付きの椅子を蹴りあげた。もう一度蹴り、壁に衝突させた。
『レオ』
「ああああああああああああああああァァッッッ!!!!!」
その椅子を両手で持ち上げて、投げ飛ばす。
何故だろう。俺は憤っているのか。何に憤っているんだ。
自分が許せない。
どんな。
小さな自分。
「フッ……」
誰かに鼻で笑われたような気がした。