奴隷狩り
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
自分の荒い息が聞こえる。
何もない草原で私はひたすらに駆けていた。
正直なところ頭がもうろうとしていて何時間前から走っているのか、それとももう丸一日たったのか、それすらはっきりと認識できていない。
日が暮れ、空に月が昇っても、ただひたすらに駆け抜け続けている。
後ろから迫って来る束縛を恐れて、自由という眩い世界に辿り着くために。
冷たい夜風が私の熱く高まった体温を下げていく。
村にいた頃は誰もが羨む自慢の金髪も、今では輝きはくすみ艶やかさなどとうに失われていた。
裸足で走り続けたせいで足の裏が痛い。
小石や枯れ枝が足に刺さってところどころ怪我をしているのだろう。
だが今の私に立ち止まって怪我を処置している余裕などない。
後ろからは恐怖と不自由と地獄が迫っている。
苦しい、辛い、止まってしまいたい。
それでも後ろから迫るたくさんの恐ろしい者達から逃げるために走り続ける。
私はただ、自由を求めて。
◇
空中庭園の端にある新しい自宅。
大きさとしてはこちらの一般的なサイズより少し大きめな一軒家だ。
どちらかといえば見た目は元いた世界の家に近いと思う。
日本にある一般的な洋風の少し洒落た一軒家といった感じだ。
地上は二階建てで、地下にもいくつか施設を作ってある。
特に二階は自分の部屋兼書斎以外に数部屋空き部屋を作ってある。
これはもちろん未来のお嫁さんのための空き部屋だ。
前の世界では世の男性は一夫多妻制大歓迎だったはずなのでそれにならった。
まぁ、この世界では種族によっては一夫多妻制が当たり前なところもあるが。
なので空き部屋は一部屋二部屋ではなく四部屋作った。
これでも足りないならば最悪空間捻じ曲げてでも部屋を増やそうと思っている。
そして件の二階、その自室兼書斎で俺は机の上の水晶とにらめっこしていた。
目の前には小さな座布団型のクッションの上に置かれた水晶玉。
水晶には空中庭園を視点にした地上の光景が映し出されている。
この水晶には所謂『遠見の魔術』がかけられているのだ。
簡単に言えば『千里眼』が一番イメージしやすい。
そのうちテレビのようなモニター型にするつもりではいるが、今のところは俺しか見る人間はいないので別にこの形でも不自由はない。
「さてと、何が見えるかな?」
慣れ親しんだあの塔を発って早数日。
このところ(数百年単位)は全く外に出ていなかったとはいえ、本当の十数歳の頃は一応塔の周辺の町や諸国を旅していた。
そのころの知識と比べ、昔と変わっていないところや逆に変わったところを探すのは最近の日課だ。
これがまた地味に楽しい。
以前はもっと感情や表情が豊かだったことを思い出してしまう事を除いてではあるが。
しばらく水晶を通した下界観賞を楽しんでいると、何やら気になるものを見つけた。
「ん?なんだあれ」
数人の身なりが汚い連中が何かから逃れるようにバラバラの方向に走っている。
彼らがそこから逃げてきたであろう中心には先ほどの数人とは対照的に身なりのいい太った奴らが即席の設備で作った日陰で扇子のようなものを扇いでいた。
いくつかこの状況についての仮説を立てるが、その中で最も可能性の高いものを呟く。
「奴隷狩り、か」
『奴隷狩り』とは、貴族や商人が所有している奴隷をわざと野に放ち、奴隷達に私兵から逃げ切らせるという一部の金持ち連中で今流行っているという"お遊び"だ。
奴隷狩りに参加させる奴隷にはわざと通常より屈辱的な仕打ちや苦痛を与える。
そしていざ奴隷狩りをする準備が整うと、奴隷に向かって「自由になりたくはないか?」と囁くのだ。
罠だと分かっていても現状の地獄から逃げ出したい奴隷たちは捕まった時のペナルティなんて考えずに一筋の希望に縋ろうとする。
しかし、奴隷たちが夢見る未来とは裏腹に、逃げた先には完全武装の私兵たちの包囲網が有り、後ろから追いつかれても先にいる包囲網に捕まってもアウトという奴隷側の負けが決まりきった腐ったゲームだ。
以前俺自身も何度か塔に来た貴族たちに誘われたことがある。
まぁ、そんなつまらないことより本を読むほうが楽しいので実際に参加したことは無かったが。
しかもタチが悪いのはその包囲網を作る場所選びだ。
奴隷狩りのスタート地点の立地は草原などの平地に限られる。
そして決まってその場所は森や小高い丘に囲まれているのだ。そしてようやくそれらを抜け切ったところで包囲網が待ち構えている。
これを越えればきっと振り切れる、時間が稼げる。
そう思って枝をかき分けた先に待っているのは地獄の釜の入口である。
後は奴隷たちが目を背けたかった「結局のところすべて罠で自分の苦痛と地獄はこれから先も死ぬまで続くのだ」という現実を叩きつけられ、逃げる気力も失い泣き喚くかその場に崩れ落ちてしまうだけだ。
そして持ち主の貴族たちのペナルティという名のお楽しみタイムで心を完全に壊されると。
そうこうしている間にも奴隷たちが包囲網の存在に気がつき始めた。
ゲームは日をまたいで行われる。
精も根も尽きた奴隷たちがバタバタと膝から崩れ落ち、絶望していく。
だがまぁ、別段俺に助ける義務はない。
俺は別に正義の味方ではないのだ。
他人が他人の所有する玩具で遊んでいるだけのこと。
そう思い、水晶から目を話そうとしたとき、俺は他とは違う一人の少女の存在に気がついた。
その少女だけは、唯一包囲網の兵士に立ち向かっていったのだ。
それはヤケを起こして戦いを挑んだわけではないことは直ぐにわかった。
彼女の目には闘士が、勇気が、希望が燃え上がっていた。
人は自分にないものを持つ他人に惹かれると聞くが、どうやらそれは俺も例外ではなかったらしい。
彼女の持つその心の熱さとも呼べる感情の輝きに俺は心惹かれていた。
体のあちこちに傷を負い、体力も走り続けて既に底をつきかけているだろう。
それでも尚立ち上がり、自らの自由を求めて戦う彼女の姿を見た俺は――――。
「決めた。行こう」
そう呟く口は少しだけ口角が上がっていた。
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