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孤立

作者: gembox

 無音の中に私はいた。上下もわからない無に近しい空間で私は浮遊しているような心地よさを感じた。懐かしいような感覚。肌に感じる優しげな温かさ、乾いた雰囲気。そして心の底に仄かかつ確実に感じる、悪寒。

 目覚めたばかりでまだ眠いのか、微睡みの中のことである。




 懐かしい感覚がする。もう覚えていないような昔に感じた雑草のように生硬な感覚が。微睡みの中で、そっと目を開ける。

 あたりは全体的に薄暗かった。まだ冴えない頭を窓からの光だけが刺激するようだ。

 私は石の床の上に尻をつき、同じく石の壁に寄りかかり、体操座りのような体勢で眠っていたらしい。寝起きでまだ頭がぼんやりとしている。深く息を吸い、深く吐いた。意識を集中しふっとすばやく息を吐きながら立ち上がる。大分意識が明瞭となった。靴が地面をこすり、ざりっという音がした。

 ここはどこだろう。自分が今まで眠っていたこの場所にまったく見覚えはない。広いとは言えない部屋である。薄暗い石造りの四角い部屋で、目の前には石壁を四角く刳り貫いただけのような窓がある。光に吸い寄せられるように窓まで歩いた。窓の内壁から外壁までは30 cmくらいで常識的なものよりもだいぶ厚い。寝起きの眼で直視しづらいながらも外を見やると、外に広がるのは白と青であった。

 外は砂漠のようである。ただ砂がかなり白い。そして空は雲一つない青空だ。上下に白と青がひろがるパノラマが私の前に広がった。私は胸を打たれ唖然としていた。このような白と青の対比は旅行雑誌でみた南国の海岸を思わせた。

 しばらく呆然とした私は我に返るとまた、ここはどこなんだと自問し後ろを見た。先ほどは気づかなかったものの私が座っていたすぐ隣、今の私の位置から向かって左側に水飲み場がある。蛇口と排水溝だけの簡素なものだ。右側の壁には窓と同じように壁を刳り貫いただけの出入り口がある。ここはどこだ。不思議と不安はなく、そう思いながら小屋から出た。

 外を出てみるとやはり雲一つない空、そしてまぶしい白砂があった。2, 3 kmほどであろうか、遠くに見えるのは砂丘だ。このパノラマから地平線を覆い隠すように視界全面に砂丘があった。まるで凍結した高波のように存在するそれを見た。胸の奥の悪寒がじわりと精神を冒した。

 悪寒には特に気に留めず、私は家の外周を見て回ろうと思った。家の外形は部屋の形状と同じで、大きさも大体同じであった。四角い部屋の家はあの一室しかないらしい。家の外壁は白砂にまみれているが、もともとの色は黄ばんでおり石でできているようだ。風化のせいでところどころ削れたり割れたりしている。家の後ろの景色は例のごとく白砂と青空である。しかし砂丘はなく、こちらは延々と平坦な砂漠がひろがっており、地平線がひどく遠くに見えた。家の横からも砂丘は見えたが、正面から見えるほど近くはなかった。真横から見るともう地平線上にわずかに見える程度であった。

 家の周囲を探索しながら涼しい風を感じた。砂漠の風はこんなに涼しいものか、と疑問に思った。いや、そのようなことを疑問に思うべきではない。生活をしなければ、そう思った。




 この小屋の中で何か月過ごしただろうか。私は緩慢とした生活を続けていた。この砂漠では太陽が陰りはするものの沈まない。私は主に小屋の中で寝るか、座って休むかして過ごし、気の向いたときに外に出て周囲数十 mを闊歩し、ささやかな探検をした。小屋の中の水道で蛇口から出る水を飲むだけで不思議と生きながらえることができた。この世界を形作っているといってもよい大量の白砂は間近で見ると完全なる白ではなく、きもち黒くすすけたように見えた。探検の間、私は人間のものはおろか、およそ生物のものと思しき痕跡も見つけることができなかった。しかし、そのことに気付いても全く不思議に思わなかった。それどころか、心地よさすら感じたのだった。

 この砂漠の小屋を中心とした生活は居心地がよく、私の精神を快活にするようであった。水しか飲まずに生きることができ、好きなことを好きな時間だけ考えることができる。周囲の光景は相も変わらず白と青であったが、不思議と飽きがこないため、余裕があるときに無心で闊歩した。砂を踏む音と感触、心の奥に差し込む青い光、そしてそれよりもまぶしい白砂、いずれもいつまでも私の気分を癒し、高めた。ずっとこのままでいたかった。私はいつも通り、水でのどを潤し、窓から差し込む光に照らされた壁を見つめ横になった。




 気づくと私は闇の中にいた。ここのところ沈まぬ太陽の下で生活した私には久しぶりの暗黒である。体が動かない。息もできない。微睡みながら私はパニックに陥った。私は意識だけの存在と化したようであった。夢想の中で私は白昼夢を見た。

 皆が校庭で遊んでいる。町中を行く群衆。机を隔てて他者と会話する。意図のわからぬ笑い。甲虫や猫の死骸。夢、昔の夢。トンネルの向こうの世俗。冷たい部屋で一人、部屋を出る他者の背中を見つめた。




 はっと呼吸をした。起きてからも半狂乱であり、自分の脳髄がむき出しになっているかのような錯覚を覚えた。四肢をつき呼吸を平常に戻そうとした。しばらくして落ち着いた私は全身汗でぬれていた。砂漠にしてはむしろ寒いこの環境で一度もかいたことのない汗を。外は夕暮れであった。窓から見える空が赤い。陰っても沈まない太陽が沈み始めていた。




 あの夢以来、夕暮れは続いた。部屋に満ちる赤い陽の光を見つめる。あの夢以来気分は晴れなかった。狂乱が尾を引いているうえ、言い様もない胸を締め付けられるような思いがした。窓から顔を出し、砂漠の風にあたった。狂乱を鎮め、胸を締めつける、心を冷やす風だった。

 もはや日課となっていた散歩も今はしなくなっていた。水を飲み、横になるだけだ。眠ると夢を見そうで恐ろしかったが、横になっていると知らぬ間に寝ていた。夢はあれ以来見ていない。

 夢を見てから何日目だろうか、また水を飲む。取っ手を回し、上を向いた蛇口から水を飲む。口に入りきらない水が排水溝に流れていく。この水はどこに流れていくのか。半ば気が触れていた私はそんなどうでもいいことが気になった。排水溝を外すと蓋よりも一回り小さな直径で底の見えない深い穴があった。私は床にある砂をつまみ、穴の中に落とし込んだ。音は届かなかった。不毛なことだと我に返ったが、しばらくして石を落とすことを考えた。風化した小屋の外壁の周りには小石があったことを思い出した。多くの石が砂に埋もれ、夕暮れで視界が利きにくかったが、20 分くらいして所定の5 cmくらいの小石を見つけた。私は排水溝に近づいた。暗い穴をのぞき込み、小石を穴の中心に真上から落とし、目を閉じて耳を傾けた。

 澄ました耳に鈍く長い落下音が響いた。その音を聞くと私は胸の締めつけが増した。ぽっかりと空いた穴を見る。この胸の痛みは、郷愁だ。私は寂しいのだと理解した。嗚咽を漏らしながら私は泣いた。涙が排水溝に吸い込まれた。

 気づくと夕暮れも終わり、夜になっていた。月と星の明かりでまともに活動できるくらいに明るかった。入口から外に出て左を向いた。天蓋の明かりは白砂を照らし、地面は燐光を放っているかのようだった。小屋正面に見えた砂丘はいまだに存在しており、私は悪寒が以前にも増して鋭く突き刺さるのを感じた。しかし、私は何かに導かれるように砂丘へ歩んだ。

 一時間弱ほど歩き、砂丘の際まで来ることができた。ここから砂丘がその勾配を増していた。しかし私はここを登攀したい、登攀するべきだと思い登り始めた。登ろうとするたびに砂は崩れる。上にいくごとに崩れやすくなってきて、途中で足を踏み外し、4 mほど下に滑り落ちてしまった。そのときに体をよじり後ろを振り返った。今まで歩いてきた小屋からの足跡が目に映った。小屋を見やると、その存在感はほぼ消失していた。陽炎の中にあるようにぼやけて、小屋があるという情報だけが目に見えているようだ。それは距離のせいだけではないと感じた。もうあそこには戻れないのだなと直感した。

 私は何時間かかったのだろうか。遠くから見たよりも砂丘は巨大であった。しかしもはや私は頂上に辿り着かんとしていた。息を切らし、汗と砂にまみれた私はしかし高揚感にあふれていた。そして頂上に着いた。

 砂丘の上に着くと眼下には天体の光に輝く白砂の海が広がっていた。砂丘の上に吹く風が、砂丘を上る風が、私の汗を乾かした。懐かしく心地よい疲労感の中で私は目を閉じた。






 私は子供時代の永遠の温かさを見た。目の前の水膜を破り、乾いた暖気に触れた。涙を流し覚醒した。向日葵のような歓喜の光に心からまた笑った。


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― 新着の感想 ―
[一言] お邪魔します、太ましき猫です。 主人公である”私”と共に、白昼夢の世界にいるような思いでした。 寂しくもなく、悲しくもなく、不安もなく、心地よい独りの世界。 訪れる変化が徐々に急かし、光に…
2016/10/05 21:46 退会済み
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