痛いの、痛いの、飛んでいけ!
私の前で子供が転んだ。
膝を抱えてうずくまり、痛みに顔を顰めて、膝から流れ出る血を見て大泣きした。
私はそれを見て微笑んで、子供に駆け寄った。
「大丈夫。これくらいの傷ならすぐに治るから」
私はしゃがみ込んで子供の目線に立ち、泣いている子供の頭を撫でた。5歳くらいだろうか、先ほどまで元気に公園を走り回っていた男の子であるが、やはり怪我の痛みを我慢させるのは無理だろう。膝を見ると確かに痛々しい。転んだ拍子に酷く擦りむいたようだ。早く消毒してあげないと破傷風になるかもしれない。すぐに手当てが必要だ。私は子供に気づかれないようにニンマリと微笑んだ。
「大丈夫よ。今、治してあげるから」
私はそう言いながら、子供の膝に手を当てる。そして目を閉じて手に意識を集中させる。子供の膝の痛みが手にビンビンと伝わってくる。私はカッと目を開くと子供の膝に手を密着させて体を震わせた。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ!」
私はそう言って子供の膝に当てた手を空に向かって大きく振り上げた。子供は急に発した私の言葉と動きに呆気に取られた表情になった。
「ボク、もう大丈夫よ」
私はそう言って子供に微笑みかける。子供はどうしていいのか分からないまま、私を見て、鼻をすすった。私はかわいいと思った。やはり人を助けるのは気持ちがいい。
「まだ、痛む?」
私がそう言うと子供は傷に手を当て、不思議そうな顔をした。おそらく痛みがなくなったことに気づいたのだろう。
「コウタ、何しているの?」
そう叫んで私たちに若い女性が駆け寄ってきた。どうやらこの子の母親らしい。心配というよりも呆れた表情をしている。どうやら、コウタ君はいつも元気に走り回って生傷が絶えないらしい。そう言えば、治りかけの傷が頬とか腕とかに見られる。
「大丈夫ですよ。ちょっと転んだだけです。大した怪我もしていないみたいです」
私がそう言うと母親は少し困惑した表情で私を見て、「すみません、本当に」と言うとコウタ君の頭を掴んで無理やり頭を下げさせた。
「おねえちゃん、ありがとう」
コウタ君は私にお礼を言った。私はそれを見て優しく微笑んだ。活発な子供は怪我してばかりで危ないが、実にかわいい。それに仲睦まじい母子の姿は見ていて実に気持ちがいい。こんな気持ちになるのは、私の力が有意義に使われた証拠だろう。私は立ち去る母子の後姿を見送りながら、本当に清々しい気持ちになった。
私の能力。それは治癒能力というものだ。手を当てて念じることで怪我や病を治すことが出来る。「手当」と言う言葉はおそらく私のような能力を持つ者が起こした奇跡から来ているのかもしれない。実際、私はこの能力を発揮するとき、傷口に手を当て「痛いの、痛いの、飛んでいけ」と叫ぶ。痛みは私の掌に電流のように走るのだが、私はそれを空に高く放り投げることで痛みを消すことが出来る。そうすることで一番効果的に治癒が出来るのだ。
それはイメージが最もしやすいということが要因となっているのだろう。日本人のDNAにしっかりと受け継がれているのかもしれない。とにかくこうして人が助けられるなら私には文句はないのだ。私にとって人助けするときが一番の至福の瞬間なのだ。
*
さて、女が空に投げた「痛み」であるが、それがその後、どのような結末を迎えたのだろうか?女は空に「痛み」を投げればそれは消滅するものだと思っているようだが、それは大きな間違いである。「痛み」は存在を保ちながら、風に乗ってフワフワと漂い、公園脇の国道に流れていった。
やがて、それは窓を開けたまま走る車の中に入り込み、運転中の年配のドライバーの頭部についた。ドライバーは急に頭に取りついた正体不明の痛みに頭を押さえる。さらに頭部を押さえた手を見て、血がベットリとついていることを知り、強いショックを受けた。ドライバーは動揺し、車間距離を見誤った。急ブレーキをかけ、それでも避けられないと気づくとハンドルを大きく切った。そのせいで歩道に乗り上げ、そのまま暴走し、コンビニのウィンドーに突っ込んだ。そのとき、中で立読みをしていた数人の客が棚に押しつぶされ、割れたガラスが体に突き刺さり、多くの負傷者が出た。それは阿鼻叫喚の光景であった。
店内のみならず、周辺にいた通行人まで巻き込んだ事故だったが、事故の原因であるドライバーの頭部に受けた傷は後に駆け付けた救急隊員に注目されることはなかった。なぜなら、店内に突っ込んだとき、ドライバーはフロントガラスに大きく額を打ちつけ、さらなる出血をしたからだ。だから、救急隊員はこれを高齢者ドライバーの運転ミスとしか思わなかった。
*
私は公園脇の国道で突然起きた事故に息を呑んだ。どうやら車がコンビニに突っ込んだらしい。
「本当に物騒な世の中ね。小さな子供が遊んでいるのよ、この公園で!」
私は腹立たしさについ声を出した。思えば、私の周りでは特にこのような事故が起きることが多い。それだけ世の中が物騒なのだろうが、私には何か運命的なものがそこにあるように感じた。
「私の能力が必要とされているということなのかも・・・・」
私には度重なって起きる事故は神が与えた試練のように思えた。これは私の能力で苦しんでいる人を救済せよという神の啓示なのだ。私は腕をまくって肩を大きく回した。これから多くの人を苦痛から解放しなければならないと思うと何故か体中に力がみなぎる。今、私は人生の大きな目標を見出したような気がした。私は走って事故現場へと向かっていく。多くの苦しんでいる人々を救うために。