009 「おれは、空を手に入れる」
現代において、戦争というものは既に消滅した。
実のところ、おれはそう思っている。
かつてジョン・レノンが歌ったとおりひとびとが望んだ結果、戦争というものはこの世から消え去ったのだ。
そして、それは同時に平和というものが無くなったということも、意味している。
戦争というものは、そもそも戦闘や暴力というものを一定の空間と時間の中に封じ込めようという発想から、発明されたものだ。
だから戦争は、世界を分節することによって出現する。
宣戦布告と終戦協定により時間を区切られ、戦闘区域と非戦闘区域に空間を切り分け、戦闘員と一般市民にひとも区別する、それが戦争だ。
ゆえに、戦争の外には平和があるとおれたちは、信じることができた。
ところが、現代はどうだろう。
ニューヨークの911を思い出すまでもなく、戦闘や暴力は氾濫している。
どこにいても平和であるという確信を、おれたちは持つことはできない。
そしてそれは、実は先の世界大戦からそうだったとも言えるのだ。
ひとびとは、戦闘や暴力を封じ込めるのに失敗してしまった。
それらは、主権国家によって管理されるものであったがゆえに、封じ込めに一時的には成功していたように見えただけなのだ。
国際金融資本は、主権国家から力を奪いただの従属概念にしてしまう。
そうするとそこに組み込まれていた戦争機械たちは、脱コード化され世界に放り出される。
世界は剥き出しの暴力が支配する、荒野となった。
おれは、国家からこぼれ落ちた戦争機械を手中に収めたのだ。
だからそれを、純粋な力として還元し世界に溢れさせることにする。
それは、決して原始のカオスが出現したわけではない。
原始社会に、暴力の支配するカオスなど実は無かった。
そうした世界こそ、むしろハレ、ケ、ケガレとして厳密に分節されコントロールされていたのだ。
だからおれたちは、未だかつてない未知の荒野へと放逐されたといえる。
だが、どうだろう。
空を、見るがいい。
あの空は、そもそもひとの手によって汚されない、非知であり未知の領域ではなかったか。
世界こそおれたちを解き放つ、脱領土化された場所なのだ。
夜の空を塗りつぶす、闇を見るがいい。
そこにこそ、どんな言葉も届かぬ高貴な野性がある。
おれは、空を手に入れる。
そして今、おれはその空を自由に飛翔する彼女を見ていた。