026 「まさか、記憶喪失だとは思わなかったよ」
「いやあ、わたし忘れっぽいんだけどさ」
僕は、ナツの職場をたずねたその夜、またナツの住むビルの屋上に来ていた。
夜空に星々が瞬く下で、僕らはパイプ椅子に座りコーラを飲みながら話しあう。
「まさか、記憶喪失だとは思わなかったよ」
普通は一年分の記憶が飛んでいると知れば、不安になるだろうと思う。
けれど、ナツは殊更に気楽な調子を装っている。
多分不安なんだろうとは思うけれど、僕の前では強がってみせているのかと思う。
しかし、ただの天然みたいに思える笑顔を、見せていた。
僕には、ナツの真意は判らない。
しかし、変に考えても仕方がないと思っているのは確かなようだ。
「多分その記憶を失った一年で、何かがあったのは間違いないけれど」
僕は、手詰まりになったような気がしている。
ナツは友達が、どうやら皆無といっていい。
両親や親戚も、いないようだ。
引きこもりに限りなく近い生活なので、消息を絶っても気にするひとがいない。
ただ、記憶には残っていないがおそらくその一年の大半は、普通に生活していたと思う。
記憶を失うような出来事があったのは、数日程度なはずだ。
ナツがその一年生活していた痕跡は、あちこちに残ってはいる。
銀行の通帳やクレジットカードに使用された形跡が、残っていた。
ネットで履歴を検索すれば、確認できる。
特別な使い方は、されていない。
「明日、役所に行ってみようか」
僕の言葉に、ナツはきょとんとした顔になる。
「なんで?」
「結婚してたなら、配偶者の記録が残ってるでしょ」
ナツは、ぽんと手を打つ。
「なるほどね」
けれど僕はそれは望み薄だと、思っている。
なんとなく、籍は入れていないような気がした。
突然、ナツが不思議そうな顔をする。
眼差しが、遠くを見るふうになり夜空を見ていた。
僕は、ナツの目線を追って夜空を見る。
暗い空に溶け込むように、とても奇妙な形をしたヘリコプターが飛んでいた。
「なんだ、あれは」
僕は、思わず呟いていた。
オフブラックに塗装されているらしいボディは、平面を組み合わせて組み上げられている。
立方体を変形させたような、独特なスタイルを持つヘリだ。
そして、驚くほど静かにホバリングしている。
結構近いところを飛んでいるはずなのに、ローターが風を起こす音が聞こえなかった。




