腐ッテヤガル。早スギ(以下略)
「返事ガナイ。タダノ屍ノ(以下略)」の続きに当たりますが、読まなくても問題ありません。多分。
《死霊の迷宮》に潜む色々なモンスターを、だらだらのんびり紹介するだけのお話です。
暇潰しになれば幸いです。
よう、俺は腐った死体だ。
俗にゾンビとかリビングデッドとか呼ばれてる、不死生物に属する魔族だ。
生まれた時から全身くまなく腐り果ててるっつー、やるせねぇ定めを背負わされた非業の種族だが、俺達はそんな不幸な境遇にめげず、くじけず、諦めず、酔わず、日々精一杯明るく生きてるんだぜ。
……ああ? 信じらんねえ?
なんでそう思った……今の壮絶な宿命のくだりか? 暗く湿った地下に住んでるからか? それともこの、今にもズル剥けそうな腐肉のせいかァ? 見た目か? 所詮見た目なのかァ?
まぁ確かに……俺らはなんだかんだで、ジメジメした根暗野郎だと思われがちだけどよぉ。そりゃ誤解ってか、偏見なんだよ! いやマジで!
よし、わかりやすく例をあげてやろうじゃねえか。
例えば、そうだなぁ……地下3階を根城にしてるゾンビ。
奴はぱっと見、そこら辺に転がってそうな冴えねえおっさんゾンビだが、実はダンジョンのマンネリ化を防ぐっつー使命に目覚め、ダンジョンの活性化に腐心するようになった、燃えるゾンビなんだ。
ただ、流血沙汰や悲劇は好みじゃねえっつー、元々他人を楽しませるのが生きがいみてぇな気のいい奴だったからよ。色々考えた結果、訪れた冒険者相手にドッキリを仕掛けるようになったのさ。
ちょっとしたスリルとショックとサスペンスを冒険の思い出に! で、冒険者のハートをがっちりキャッチ! って寸法なんだってよ。
具体的には、まず地中に埋まって、通りすがりの足首掴んでドミノ倒しパーティー…ってのは序の口だな。張りぼての壁作って、通りがかった奴目がけて壁破壊しながら飛びついてみたり、戦うと見せかけて、歓迎のチューぶちかましてトンズラこいたり、死んだフリならぬただの死体のフリして見送った相手を、謎の踊りを披露しながら猛然と追いかけてみたり、落とし穴使って上の階から降って来たり、宝箱に詰まってみたり……まぁ、平和的な可愛いイタズラばっかだよな。
最近じゃあ小細工なしの体当たりにこだわってるらしく、気配を殺して真後ろに立つとか、いつの間にか平然と会話に加わって相槌打ってるとか、生臭い腐息を耳に吹きかけるとか、添い寝するとか、そういうホラー一歩手前みてぇなドッキリを仕掛けてるらしいぜ。へっ! よくやるよなぁ。
冒険者相手のドッキリは、まぁ当たり前の話だが、全て文字通りの命懸けよ。
しかし奴にそれらしい必死さや悲壮感ってのはねえ。
元々懸ける命を持ち合わせてねえからだろ、なんて野暮な事は言っちゃいけねえよ。
そりゃあ奴はゾンビさ。不死生物さ。生まれた時から死体で、命があった時なんざ、一瞬もなかったさ。
けど代わりに、全力で一つの事に取り組む今のあいつにゃあ、それとほぼ同等…いや、それ以上のモンが宿ってんだ。
職人の魂
――ってやつがな…。
妥協を許さず、さらなる高みを追い求めながら、いつでも初心と、楽しむ心、そしてサービス精神を忘れずにいたからこそ得られたんだろうそれを、微塵も躊躇せずぶち込む奴は、…不死生物にこう言うのもなんだが、生き生きしてんだ。このダンジョンの誰よりも、冒険者共よりも、奴ぁキラキラ輝いてんだよ。
このダンジョンきっての、最高のエンターテイナーってのは、奴以外にはいねえ。
奴のおかげでこのダンジョンは毎日悲鳴が絶えねえし、憤怒の形相のリピーターも絶えねえ。
……にぎやかなのは良い事だよなー。
続いて紹介する地下4階、東エリアのゾンビは、ゾンビの悪いイメージ――臭いとか不潔だとか腐ってるとか――を払拭する為、まずは腐肉を腐筋に変えるってんで、日夜トレーニングと走り込みに余念がねえ、黄色い歯が爽やかなスポーツゾンビだ。どうして筋肉に走ったっつーのは、このダンジョンにある七不思議の一つだな。
ダンジョン内を全力で駆け回る野郎は、最初こそ腐肉や腐汁をまき散らすってんで、特に潔癖な所のあるスケルトン共に迷惑がられたりもしたんだが、野郎がまったく聞く耳持たねえどころか足も止めずに走り抜けるってのと、毎日きっかり決まった時間に決まったルートを走るもんだから、今じゃ妥協されて、時計代わりにされてる日常風景の一部よ。
身体中腐っても、体内時計は腐らせてなかったんだなぁ……ま、時計は生モンじゃねえしな。
ああ、そういや少し前から、その日常風景に新たな要素が加わったな。冒険者共だ。
連中、何を思ったのか、野郎の走行ルートと時間を割り出して、野郎を待ち構えるようになったのさ。俺ぁ最初、出待ちのファンかとも思ったんだが、どうも聞いた話じゃ、野郎がユニークモンスター認定されたかららしい。
ユニークモンスターってのは、アレな。人間共の主観で、特殊な行動をしたり、奇抜な見た目だったり、特異点のあるモンスターの事をそう呼んでるらしいぜ。そういうモンスターは人間にとって価値のあるお宝を持ってたり、レアな材料になったりするってんで、奴らは目の色変えてユニークな俺らを付け狙うのよ。あ、我らがエンターテイナーも、もちろんユニーク扱いされてるぜ。
まぁ、そうは言っても、その認定を受けたあの野郎共を仕留めた所で、得られる物なんざ腐った肉、腐ったモツ、腐ったタン、腐った眼球、腐った脳みそ……あとはボロ布の服くらいなんだがねぇ。
このダンジョンの命名といい、人間の考える事って、よくわかんねえなぁ。
走るゾンビがユニークモンスターだっつーなら、このダンジョンはユニークモンスターだらけって事になると、俺なんかは思うんだがね。なんだろうなぁ……人間にゃあ俺らがみんな無個性な同じモンにでも見えてんのかね。ゾンビA、B、Cとか、スケルトンその1、その2、その3とか……ははっ! まさかな! さすがにそこまで節穴じゃあるめぇ。
勘違い気味の固定ファンがついてからも、野郎は1分の誤差なく同じルートを同じ時間に走ってやがる。大したもんだよなぁ。
そんな日々の努力の甲斐あってか、最近奴のまとう腐臭も、心なしか爽やかな風味があるような、ないような気がしなくもなくも、ないのかもしれねえ。ほんと…大したもんだぜ。
これと決めた目標に向かってひたむきに努力する野郎の姿は、実は多くの不死生物達の希望の光になってるんじゃねえかと、俺は思ってるんだぜ…。おう、いい話だなぁ!
んで、この俺だが。
俺ぁ奴らと違って、全力で打ち込めるような何かがある訳じゃねえし、何かに向かって驀進するような柄でもねえが、人と話すのが好きでね。ぼっちのスケルトンに声かけたり、ネガティブな死霊に喝入れたり……毎日ダンジョン内を歩き回って、出会った奴らの元気な姿見て回るのが趣味な、人のいいゾンビさ。
やってる事も俺自身も大したモンじゃあねえが、日頃から近所付き合いを大事にしてきたもんで、俺ってこう見えて、結構顔が広いんだぜ? 下は死肉漁りから上はリッチまで、アポ無し顔パスで会えるゾンビなんて、この俺くらいのもんだ。《死霊の迷宮》のエリアフェイスと呼ばれかねねえゾンビたぁ、俺の事よ。
……っ、は?
ゾンビの話は、もういい?
他の話をしてくれって??
え? いや、いやいやいやいや、いや、あのな? まだまだ俺らの良さとか凄さとか、わかる話はこれからなんだぜ? すっげー面白い逸話とか、すっげー格好良い武勇伝とか、まだまだいっぱいあるんっ……わーったよ。チッ! しょうがねえなぁ……他の話、他の話な。おうおう、密かに“迷宮の兄貴分”と呼ばれてるかもしれねえ俺が知らねえ話題なんか、この迷宮にゃあねえのよ。気さくで話しやすいともっぱら評判で、話題も豊富なみんなの人気者、そんな稀有なゾンビこと俺のここだけの話を聞けんのは、今だけなんっ……わーってる、わーってるよ。他の話な。あー、あー、何の話にしよっかなー? どの話がいいかなー? ………チッ!
「あら、なんかジメジメすると思ったら、ゾンビじゃない。何こんな所で腐ってんのよ」
「バッキャロー。俺ぁいつでもどこでも腐ってんだよ、ゾンビだから」
姦しいのが来やがった。
重さを感じさせねえフワフワした足取りで、風も吹かねえのにフワフワ長い髪を揺らしながら、青白い顔にニヤニヤ意地の悪い笑みを浮かべて寄って来た女――俺から言わせりゃ「女」というにはまだ早い、乳臭いガキンチョだ――は、ここ、地下6階の北エリアに住む顔馴染みの泣き女だ。
ガキンチョの姿を軽く上から下まで眺めりゃ、…ははーん。随分とめかし込んでやがる。ガキが一丁前に色気づきやがって、なんでわざわざ声をかけてきたのか、俺にはすぐわかったぜ。
「なんだぁ? おめェ、これからデートか? ぁあ?」
内心の『また』という言葉を飲み込んで訊けば、泣き女ははにかんで、
「うふふ、そうなの。どう? これ、おニューなの」
元々見せびらかしたかったんだろうなぁ、嬉しそうにその場でくるりと回りやがった。
ガキンチョの動きに合わせて、空色のワンピースのスカートが、ふわりと翻る。
普段が葬式みてぇに地味なモノトーンルックだから、それとのギャップもあって、こういう格好してる時の泣き女ってのは、ちょっと肌が青白すぎるだけの、フツーの可愛い女の子に見える。もちろん、可愛いっつっても、俺にとっちゃあ可愛いガキンチョだから、守備範囲外だがな。俺はロリコンじゃねーんだよ。
「おー、よく似あってんぜ。かわいー、かわいー」
「ふふっ、ゾンビに褒められても、全然嬉しくないわね!」
「おい。かわいー顔で、なんつーひどい事をはきはき言ってくれてんだ、おめェ」
「うふふふふ」
始終ご機嫌な泣き女は、確かに年頃の娘らしく可愛いかった。
だが適当な相槌を打ちながらも、俺ぁ「しかしこの可愛さがいつまで続くんだろうなぁ…」と内心で冷めた事をつぶやかずにはいられなかった。
泣き女ってのはこいつに限らず、なんだかなー……妙に男運がねえっつーか、彼氏ができても長続きしねーんだよ。
うきうきルンルンでめかし込んで出かけて行った数時間後に、泣き腫らした目ェして帰ってくる事なんざ、しょっちゅうだ。目ェ吊り上げて、怒り心頭で帰ってくる事も、同じくらいしょっちゅうだな。
それで、フラれた泣き女共は、どうすると思う?
そのままベソベソして終わると思うか? 女友達に愚痴言ったり、友達連中呼んで、酒を浴びるように飲んでパーッと騒いで、悲しみも未練も全部まとめて吹き飛ばそうとすると、そう思うか??
――いいや。連中はそんな可愛いもんじゃあねえぜ。
フラれた泣き女共は、まず、それまで着てた勝負服を脱ぎ捨てるんだよ。
んで、色気の欠片もねえ普段着のモノトーンルックに着替えて、鉄砲玉みてぇに迷宮内に飛び出してって、恥も外聞もなく大声で泣きわめきながら、手当たり次第に―――冒険者共に襲い掛かるんだ。
…まぁ、つまりアレだ。……八つ当たりだ。
こればっかりは、俺ぁ冒険者共に同情するね。
なぜって? そりゃおめェ、聞く義理もねえ愚痴や、男なら身に覚えのねえ罵声を、初対面の女から浴びせられるんだぜ? しかもヒステリックになってっから、耳に痛えキンキン声で。
…あぁ、そういや人間共にゃ、あいつらが何泣き叫んでんのか、意味わかんねえんだっけ。言葉の壁は厚いなー。いや種族の壁だっけか? まぁとにかく、意訳するとだな、
「あたしのっ、あたしの話を聞けぇぇぇぇ!!!」
「あんの浮気野郎! 末端から腐ってモゲてしまえ! モゲて! モゲて! 苦しみ悶えて死ねっ!!」
「呪ってやるぅぅぅ!!! 私から彼を奪った雌猫は、永劫呪ってやるぅぅぅぅ!!!」
「男なんて! 男なんてどうせみんな同じなのよォォォォォ!!!」
「あんたもどうせ遊びで女に手ェ出すんでしょ!? 責任も何も考えないで手だけ出して捨てる、そういうカスなんでしょォォォォ!!?」
…と、まぁこんな所だ。
意味が分からねえっつーのは、この場合幸せな事かもなー…。
ヒステリックになった泣き女共の怒りと悲しみは、何の縁も所縁もねえ他人の鼓膜を破った所で治まるような可愛いもんじゃねえから、奴らは泣き叫びながら、哀れな冒険者共に掴みかかる。
ストレス発散にいいのは、泣く事と大声を出す事と、身体を動かす事ってなぁ昔っから言うからなぁ…。
火事場の馬鹿力ならぬ恋に破れた乙女パワーで、憎い男に重ねた首を絞めたり、愚痴る内に高ぶった感情のまま激しく肩を揺さぶったり、すがりついて耳元で想いの丈をぶちまけたり、それまで男の為に磨いてきた爪を否定するみてぇに相手の肌にぶっ刺して埋めたり、……まぁ、悲惨だよな、冒険者が。
更に冒険者にとって悲惨なのは、泣き女って種族が、この《死霊の迷宮》でも珍しい、自在に実体化と霊体化ができる魔族だっつー事だ。つまりあっちの攻撃は当たるのに、こっちの攻撃はすり抜けて当たらねえって事だ。魔法使いや僧侶がいねえパーティーなら、軽く全滅するぜ。
そんな地縛霊か祟り神みてぇな泣き女共も、体力や魔力が無尽蔵にある訳じゃあねえ。
しばらくすりゃあ、どんなに大暴れしてたって、落ち着きを取り戻す。まぶたや目元を赤くして、すんすん鼻鳴らして涙をぬぐいながらも、えらくスッキリした顔で、前を向くのさ。……そりゃあ、あれだけ暴れりゃな…と思うだろうが、それを口にすると泣き女の周りに散らばる残骸と同じ過程を経て、同じモノになっちまうから、間違っても、絶対、口に出すんじゃねえぜ?
それはともかく、前を向く、と言ったな。
そう、あいつらはスッキリさっぱりした後は、それまでの怒りや悲しみ、憎しみをリセットして、前を向き、そして―――またとっとと新しい恋を見つけてくるんだぜ…。
信じられねえというか信じたくねえ事に、そして物凄く傍迷惑な事に、泣き女はどいつもこいつも、ガキンチョからババアに至るまで、みーんな等しく、惚れっぽくてフラれやすいのさ。
だから俺は、泣き女の相手してると、デジャヴ通り越したループを感じる事があるんだぜ…。
「――ま、ゾンビに女の子のファッションの事なんてわかるはずないんだから、聞くだけ無駄ってもんよね。あらやだ、あたしったら、なんでこんな腐肉の為に時間をロスしてるのかしら。やだわ。それもこれも、こんな所で腐ってる腐肉が悪いのよ。こんな道の真ん中じゃなくて、もっとダンジョンの端の奥のすみっこの方で腐ってなさいな。まったく、これだからゾンビは。それじゃ、あたし、行くわ。彼が待ってるから」
「おまっ、なんつー暴言を……お、おう。そうか。……楽しんでこいよ、泣き女」
こっちがどう反応しようがお構いなしで、言いたい事を言いたいだけ言って満足するのは、泣き女に限らず女って奴ぁ大体みんなそうだから、俺ぁ結構慣れてんだぜ…。
そうして、約束された未来のモンスターっぷりを微塵も感じさせない、幸せそうな微笑みを浮かべた泣き女は、地下へ降りる階段に向かって、羽でも生えたような軽い足取りで駆けて行った。
……そうか。泣き女は降りるのか。じゃあ俺は……上に、上がるとするかな。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そういや言ってなかったと思うが、《死霊の迷宮》たぁいうが、ここに来た人間共がまず最初に出会うのは、その死霊じゃなくて、俺らゾンビかスケルトンの奴らなんだぜ。
死霊共も一応いるっちゃいるんだが、あいつら変にシャイだからなー……人間見つけてもなかなか出て行かねえし、いざ出て行っても、緊張しまくりーの噛みまくりーので、まるで締まりゃしねえ。
あいつら死霊って元は人間で、だから話す言葉も人間の言葉なのに、例えば「うらめしやー」って言おうとすると「うぼぉあいあああああ!!」って妙な奇声になっちまって、つまり何言ってんのかまるでわっかんねえの。おかげで、不死生物の中でも常識的な奴らだっつーのに、人間共からは理性のねえモンスターって残念な認識されてるんだぜ? 笑えるよな。
ほんと、なんで人間共はここを《死霊の迷宮》って呼ぶんだろうなぁ?
「……それをぼくに訊くわけ?」
「だっておめェ、当事者だし。元人間じゃん。わかんだろ?」
「わかんないよ。ぼく、町育ちだし、生前は冒険者でも関係者でもなかったから」
「つっかえねえなぁ…」
「君に言われたくないよ。…だいたい、君だって元人間じゃないか」
「何言ってやがんだ。ゾンビはゾンビ。俺らにゃあ人間の記憶とかねーんだよ」
「ははっ、まるで役立たずだなぁ、君は」
「なんでおめェらは人を貶める時ほどいい顔すんの」
青っ白い顔を歪ませて笑うこの野郎は、《死霊の迷宮》の生まれじゃなく、外から流れてきて居ついた死霊だ。別に他所から流れてくるのが珍しいって訳じゃねえが、町生まれと言うだけあって、その半透明の身体は、背高夜光茸みてぇにひょろっちい。ぼんやり闇の中に浮かび上がる白い顔とか、そっくりだぜ。そのひょろさと、影の薄さっつーか半透明のせいで、こいつにゃあ「風が吹いたら消えちまうんじゃね?」と思わせる儚さが…いや儚くはねえな、不健康さがあった。
ま、顔の青さだったら俺も負けてねえけどな。青っつーか、土気色っつーか、青と緑と白と紫と茶色とが混ざった顔色……って何色ってゆーんだ?
「汚い顔だね」
「顔色の話をしてんだよ! 間違えんな! 失礼な野郎だぜ…」
この通り、この俺が相手なら、こいつだってこんなに饒舌に、笑顔で毒まで吐けるのに、人間、っつーか冒険者共を前にすると、同じ台詞でも「き、ききききちゃにゃっ、きぬぅあああ!!!」って具合に、てんでダメになりやがるんだから、不思議だよなぁ。
こいつが特別シャイって訳じゃあねえんだ。多少個体差はあるが、老いも若いも、男も女も、死霊って奴らはみーんな、シャイなあんちくしょうなのさ。意味わかんねえよな。中には元教師とか元役人とか頭のいい奴もいるのに。訳わかんねえよな。元商人とか元歌手とか客商売の奴もいるのに。生前のコミュニケーション能力はどこ行っちまったんだ。
どれだけ普段しっかりしてる奴も、魔族以外を前にすると、上がっちまってもうマジでダメ。自覚しててもダメ、付き添いがいてもダメ、魔法かけといてもダメ、魔道具装備しててもダメ、カウンセリングも、催眠術も、何してもダメ、ダメ、ダメ……死霊って種族の特性なんかねぇ。連中は「そんな特性嫌だ!」っつって認めたがらねえが。この、死霊のどうしようもねえシャイさもまた、ここの七不思議の一つだ。
「よう、兄弟。景気はどうだ? 今日は下から来たのか。何か変わった事はあったか?」
「おう、兄弟。悪かねえが、今日はこれから6階より下で、泣き女がデートだってよ」
道端に座りこけてたゾンビが気安く声をかけてきたから、あった事をそのまま教えてやりゃあ、奴は途端に葬式みてぇなツラをした。俺と同じ、青と緑と白と紫と茶色とが混ざった、見事に悪い顔色だぜ。
「そうか…午後からは血の雨が降るな…あいわかった。俺も今日はこの辺うろうろするわ」
「そうしといた方が身の為だぜ。冒険者共はなるべくスルーで通してやってくれ」
「その方が、お嬢さんのヒステリーも早く治まるからな。わかってる」
神妙な顔してうなづいた兄弟は、俺と同じタイミングで溜息をこぼした。やれやれ、だぜ。恋する女はめんどくせぇが、ぶち切れた女はもっとめんどくせぇ。そういう時はその女にゃあ寄るな、触るな、逆らうな、って昔父ちゃんが言ってたぜ。いや俺に親父なんていねえけどさ。あと兄弟呼びしちゃいるが、こいつと俺は同じゾンビってだけで、兄弟でもなんでもねえけどよ。
道すがら出会う奴らと、挨拶のついでにそんな世間話をして、ちょっとした情報交換をしたりしながら、俺は上へ上へ歩いて行った。
途中、気になる冒険者にアタックを考えて躊躇してたウィル・オ・ウィスプの相談に乗って、最終的にけしかけたり、俺とは反対に地下に降りて行こうとするスケルトンをからかって、命からがら全力ダッシュさせられたり、息を潜めて見送った冒険者共の背中に向かって敬礼したり、なんだりかんだりしてたから、時間なんかあっちゅう間に過ぎちまって、地上に出た時、俺の前に広がってたのは、ダンジョンよりも開放的だが、暗くて陰鬱な夜の世界だった。
…まぁ、この辺りは昼でもお日さんの光なんざ届かねえけどな。やたらめったらデカくて不気味さが売りの森が深ぇし、乗れるんじゃね? ってくらい厚い黒雲が年中空覆ってるし。
「丁度日が落ち切った所かな。いやぁ、外の空気を吸うのは久しぶりだよ、ぼく」
「うっほわぁっ!? れ、死霊!? おめェ、いたの!?」
「なんで素で驚いてるのさ。…まさか、本気で気付いてなかったの? ぼく、ずっと隣にいたよね? 4階からここまで一緒に来たんだよ? ねぇ、ゾンビ、まさかだよね? ぼく、そんなに影薄くないよね??」
割と必死で詰め寄ってくる死霊には悪いが、悪い。本気で気付いてなかったぜ。
だって影が薄いっつー以前に影ねえし(霊体だから)、ふわふわ宙に浮いてっから足音もしねえし(霊体だから)、身体は半透明だし(霊体だから)、青白い発光も控え目だし(冒険者に会う予定じゃなかったから)、俺の目がスルーするし(死霊だから)、正直、普通、誰も気付かねえと思うぜ。
と、忌憚のねえ答えを求められたから返してやったってだけなのに、死霊の野郎はそれが相当ショックだったらしく、半透明の身体をますます薄ーく透明にして、へばったウィル・オ・ウィスプみてぇに明滅し始めた。チカチカチカチカ目にうぜぇ……ってのは冗談だが、落ち込む死霊にかける言葉が見つかんねーから、俺は逃げるように視線を逸らして空を見た。
いやぁー、今日もいい曇天だなぁー。
このジメジメ具合は、明日は雨かなー。
《死霊の迷宮》内では、所により血の雨が降り続くでしょー…なんてな。
いや俺もさ、これが女相手なら、もうちょっとフォローしたり構ったりするけどな? 野郎相手じゃ、やる気も起きねえんだよ。つーか、こいつにゃあこないだ賭けに負けて、ひでえ目に合わされたんだ。…そうさ! おめェ、俺ぁあの後、スケルトンの野郎に散々追い回されて、つままれて、千切られて、大変だったんだぜ!? 思い出したら腐ったハラワタがウジ湧き返って来たぜ…っ! 落ち込むなら勝手に落ち込みやがれ! どうせなら地にのめり込むほど落ち込みやがれってんだ! てやんでぃ! べらんめぃ!
俺はそうしてしばらく、治まらねえ腹の虫を抱えて睨むように空を見上げてたんだが、ふと、妙な音が聞こえた気がして、意識を切り替えた。
「……オオオオォォォォォォォ…」
何か地鳴りか、遠雷みてぇな……気のせいじゃねえ、不気味な音がしやがる。
しかもこりゃあ、まだ不明瞭だが、段々とこっちに近付いて来てやがるぜ…。
同じくその音に気付いたらしい死霊と顔を見合わせて、音のする方、曇天の向こうを俺達はそろって見上げた。死霊が警戒気味にひそめた眉を跳ね上げて、目を見開く。
「何か……来る……っ!!」
それは黒い雲の中に、それよりもさらに黒い小さな点として、俺達の前に姿を現した。
「オオオオオォォォオオオオォォォォオオオオオオオ…!!!」
まだまだ距離があるっつーのに、驚くほど鼓膜を震わす低いうなり声は、人間共ならどんな勇者でも怖気立っちまうだろう、昏く深い恨みや憎悪、絶望と狂気のこもった、呪いの雄叫びだった。
大地に見境なく呪いを撒き散らしながら、何かが天から急降下してくる。
見る見るうちに近付いて、小さな黒点だったそれが大きくなり、明らかになるその姿。
馬だ。
だが、ただの馬じゃねえ。
空を飛んでる事を除いても、頭から刃みてぇに長く鋭利な角を二本も生やしてるし、遠目にもわかる巨躯なのに、立派な白い身体にゃあ毛どころか肉もねえ、スケルトンみてぇにスカスカな骨だけの姿だし、どっからどう見ても、ただの馬じゃあなかった。天からの使者とか、そんな神々しいモンでもねえのは、その鞍にまたがった禍々しい御仁を見りゃあ、生まれたばかりの赤ん坊だって、それが自分ら人間の敵だと本能的に悟って失神したろう。
「オオオオオオオォォォォォォォオオオオオオオオオオオォォォ!!!」
月すらない闇夜にあって、わずかに残った光さえ喰らい尽くすような、漆黒の甲冑。
身を守るより相手を傷つけるのを目的としたような、凶悪な突起の生えた盾。
何千何万という人の生き血を吸ってきたんだろう、真紅の織布が纏わりつく槍。
そして、まるで生を感じさせねえ虚ろな兜の奥に光る、邪悪な灯火。
悪魔騎士だ。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
極北の暗黒大陸、魔王サマがおわす魔宮で、直接魔王サマをお守りしてるエリート中のエリート様の突然の来訪に、さすがの俺も我を忘れて棒立ちよ。同じ魔族でもおっかねえや…。
「ウオオオオオオオオオオオ!! ヌオオオオオオオオオオオオそこなゾンビッ!!!」
「えっ? へい」
猛スピードで滑空してきた大将は、そのまま俺らには目もくれずダンジョン内に突入するかと思いきや、目前で急停止した。引かれた手綱に合わせて高々と躍る、騎馬の太い前足。ちょっ、近い近い! 危ねーよ大将っ! ほんとに目前じゃねーか! バック! バックプリーズ! そいつに蹴られたら、さすがに俺もゾンビをやめる事になっちまうぜ!? 色々ぶちまけて、腐ったスライム的な何かに転職? いやむしろ転生? する事になっちまうから!! バックプリーズ!!
危うく我がゾンビ人生に幕を下ろしかけて、俺ぁ内心、戦々恐々だよ。顔面蒼白、冷や汗ダラダラもんだ。だが、元々の顔色がべらんめぇに悪ぃせいで、俺を真っ直ぐ見下ろす大将にはまったく、これっぽっちも、微塵も通じてねえようだった。いやいやいや…エリート様ならどんな些細な事にも気付こうぜ? 魔王サマの護衛だろ? そんな大役、機微に疎くて務まんの? っつーか偉大なる魔王サマの為にも、末端とはいえ部下は大事にしようぜ? 俺今めっちゃ血の気が引いたわー…元々血なんざ巡ってねえけど。いやー、心臓止まるかと思ったわー…元々動いてねえけど。
…………あれ?
もしかすっと俺達不死生物ってのは、どう扱っても死なねえから、上からすりゃあ都合のいい消耗しねえ消耗品……あっ、俺今、気付かねえ方がいい事に気付いちまったかもしんねえ。
「 リ ッ チ 殿 は お る か っ ! ? 」
悪魔騎士の大将は、すぐ目の前にいる俺に向かって、大声でそう訊いてきた。
俺、鼓膜も含めて全部腐っちゃあいるが、難聴じゃあねえよ。
「 お る か っ ! ! お ら ん の か っ ! ! ど こ に お る っ ! ! ? 」
「ちょっ、大将、マジ声デカい。ちゃんと聞こえてやすから、もちっとトーンダウンしてくだせえよ……リッチの旦那なら、この時間は44階の研究室にいると思いやすぜ」
「ムッ!?」
馬上から俺を見下ろしてた大将は、まだ何か言ってくるかとも思ったが、無言で馬首を巡らせ、《死霊の迷宮》の入り口を睨みつけた。兜の奥の青い火の玉が、風もないのに大きく揺れる。
「 ふ ん っ ぬ お お お お お お お ! ! ! リ ッ ッ ッ チ 殿 ォ ォ ォ ォ オ オ オ オ オ ! ! ! ! ! 」
至近距離の雄叫びに思わず目をつぶって両耳を押さえつけた次の瞬間、凄まじい地響きを鳴らしながら、悪魔騎士の大将はダンジョンに突撃して行った。だからなんで叫ぶんだ、あんたぁ…。
あっという間に見えなくなった後姿。目に焼き付いた残像を、俺ぁ呆然と見送った。
無駄にデカい雄叫びのせいなのか、それともあの骨馬の大地をえぐるような馬脚の影響なのか、洞窟の天井からパラパラと土くれやらほこりやらが落ちてる。……落盤とかしねえかな。大丈夫か、このダンジョン。
「―――っふぅ…。びっくりしたぁ…。戦争でも起こるのかな。ねぇ、ゾン…」
「うおっ!? いたのか死霊ッ!!?」
「……………いたよ」
いやぁ、あんまりにも濃い御仁が来たもんだから、反比例して隣にいたはずの死霊の存在感なんて皆無だったぜ。いやでもしょうがねえよ。あの御仁が相手じゃ、死霊が10人束になったって存在掻き消されるって。しょうがねえよ。
いじけた死霊を視界からも意識からも消し、俺は曇天に向かってグッと伸びをした。
ンッ…くああ~っ……ったはー……やっぱ外の解放感ってのは格別だよなぁ。地下に引きこもってばっかじゃ、心も身体も腐るってもんよ。…もう完膚無きまでに腐ってるけどな! 一分の隙もなく腐ってるけどな!!
清々しい気持ちで一息ついて、元々遠出する気もなかったから、俺はくるりと踵を返して、未だ大将の雄叫びが木霊する洞窟に足を向けた。…っつーか、あのスピードなら大将、とっくに地下に降りてんだろうに、なんでまだ声が聞こえてくるんだ? このダンジョン、迷宮って呼ばれるぐらい超広いのに、なんでこんな「ぬおおおおお!! リッチ殿はいずこかァァァ!!?」「リッチ殿!! リッチ殿!! リッチ殿ォォォ!!!」って内容がハッキリわかるぐらい聞こえるんだ。っつーかリッチの旦那は地下44階だって、さっき俺言ったじゃねえか。いずこかじゃねえよ。44階だよ。
……そういやぁ、悪魔騎士の大将は、なんでわざわざ地上から来たんだろうな? 魔宮にゃあ、ここの地下50階に通じた転移魔法陣があんだから、そこ通ってくりゃあいいのに。まさか本気で44階まで馬で行く気なのか? 延々と雄叫びを上げながら? 44階まで?
おいおい、と先行きに色んな不安を感じた俺の脳裏に、ふいに、本当にふいに、ふっと狭いダンジョンの通路、魔族も冒険者も等しくはねながら爆走する悪魔騎士と、その横に当たり前の顔して並走する、腐筋バカの姿が浮かんだ。
おい。
おめェ、なんでいる。つーか何してる。
自分の想像だっつーのも忘れて突っ込んじまったが、俺の想像だっつーのに当の野郎は、いつにも増してやる気に満ちあふれた表情で、嬉々として騎馬を抜くか抜かないかと競り合ってやがる。相変わらず聞く耳がねえようで……いや俺の想像なんだけど。いやでも、すげー有りそうで、すげー嫌だ。
「なんだよ……俺ぁいつの間に千里眼に目覚めたってんだ……それとも予知かぁ?」
「何寝言言ってんの、そこの腐肉」
「誰の姿もねえのにこの世ならざる者の声まで聞こえる…霊感にまで目覚めちまったか」
「いるから! ぼくここにいるから! 言うほど存在感薄くないからね!!」
ビカーッ!! と強く光って、死霊が無駄な主張の為に無駄な努力をしやがる。闇に慣れた目にゃあ無駄にまぶしいぜ。しかし無駄だ。無駄無駄だ。どんなに頑張っても、おめェが死霊である限り、影の薄さは変わんねえのさ。哀れな奴め…。ほれ、
「あ、冒険者」
「ひゃえっ!!?」
死霊の後ろを指差して言やあ、パッと辺りが暗闇に戻った。
必死な主張も途絶え、俺の周りはしんと静まり返っ…たとは到底言いがてぇな。まだどこからともなく大将の雄叫びが聞こえてくるから…「リッチ殿ォォォォ!? どこにっ、ここはっ、…っ、どこでござるかぁぁぁぁあああ!?」って迷子かよっ!?
悪魔騎士が《死霊の迷宮》で迷子って、なるもんなのか? まぁ実際なってんだから、なるもんなんだろうな。へー…初めて知ったぜ。ま、あの大将だけ、って気もすっけどな。悪魔騎士が全部あんなんじゃ、魔王サマ守り切れねえよ。
それにしても、まったく…騒々しい御仁だぜ。自分で自分の迷子実況してるみてぇじゃねえか。今どの辺まで降りてるのかは知らねえが「うおおおん!! リッチ殿ォ…!!」……あー…まぁ…その内リッチの旦那の方が気付いてくれんだろ。だから泣くな、大将。仮にもエリートだろ? 頑張れ大将。負けんな大将。きっと最後はリッチの旦那が迎えに来てくれるさ、多分。
濃ゆい濃ゆすぎる大将の働きもあって、ねぐらに帰ろうと再び歩き出した俺の頭からは、完全に一人の存在が消失していた。
そいつを思い出したっつーか気が付いたのは、恥ずかしそうにうつむいて、悔しそうに震えた死霊が、ぼおっと闇の中に浮かび上がった時だ。
「おん? おお、いたのか、死霊」
「……………」
死霊とはよくつるむ、ダチみてぇなもんだから、俺は一応足を止めて奴を振り返ってやった。
……なんだこいつ。妙に静かじゃねえか。いつもなら日頃しゃべれてねえ分を取り戻すみてぇにしゃべるのに、なんだ? 怒ってんのか? 俺、こいつになんかしたっけ??
俺が不思議に思って首をひねってると、おもむろに死霊が俺を、いや、俺の後ろを指差して、
「あー…」
青白い顔の口角をぐいっと吊り上げ、光を反射しねえ濁った目ぇ細めて、ニタリ、と笑った。
……なんでいきなり取って置きのホラー仕様出しやがったし。俺相手にやったって意味ねえだろ。
あっ、もしかして、俺を脅かそうっての? そうなのか? はっはーん、そうか。いや、構やしねーよ。ドンと来いや。ただし! 俺の心臓は腐ってから、ちょっとやそっとじゃ動じねえぜ? ちょっとやそっとどころか、全力でど突いても電気ショック当てても、何しても動かねえけどな、もう死んでるから。
絶妙に不気味な笑みを貼り付けた死霊は、次に何をしてくれんのかと待っても、ただずっと俺の後ろを指差し続けるだけ……本格的にホラー路線狙ってんなぁ、俺には効かねえけど。
なんだ、後ろ向けってか。後ろに協力者でも配置してあんのか? それとも背中向けたら後ろから襲い掛かってくんのか? どっちにしろ古典的な手だなぁ、今時誰もそんなんじゃあビビらねえぜ、と余裕こいて悠々と振り返った俺は――――振り返った事を、浄化されたくなるほど後悔した。
「あーら、ダーリンじゃない! 久しぶりね!」
出会い頭にゾワッとする満面の笑みで、耳障りな甲高い声を上げ、内股でドン引きするぐらい素早く駆け寄って来やがった、アレは…っ!!
「あら、死霊も久しぶりね! 調子はどぉう?」
「墓地墓地だよ。君は絶好調みたいだね、食屍鬼」
「そりゃあ、あなた! 惚れた相手に運命的に出会えたら、絶好調にもなるわよ!」
キャッキャウフフと話し始めた死霊と食屍鬼。同じ穴倉に住む不死生物同士、仲が良いのは結構な事だし、別にどこで何をしゃべろうが構わねーがよ、俺をはさんで会話弾ませるのはやめてくれ。
俺は二人の邪魔にならねえよう、できるだけ気配を薄くした上で、そっと身を屈めてその場を抜け出そうとした。いやだって、どう考えても俺邪魔だろ。いねえ方がいいだろ。話しやすいだろ。いいよ、俺に構わず仲良くやってくれや。俺には他にもダチがいるから、全然いいんだ。さーて、俺はスケルトンの野郎でもからかいに行くかな! なんだか野郎も俺の事を心待ちにしてるような気がするし! さっき目覚めた千里眼に映るスケルトンは、無言で首を横に振りまくりだが、わかってんだよこの照れ屋め! 同じくさっき目覚めた予知には、そんなおめェと俺が和やかに茶ぁしばいてる姿が見えてんだよ! さあ、待ってろよスケルトン、今行くぜ!
「やぁだ、行かせないわよぅ。私にここまで言わせておいて、ツレないマネしてくれるじゃない?」
「浮気は感心しないなぁ、ゾンビ」
ガシッ! と離脱間近だった俺の腕を掴んで引き止めてくれやがったのは、ニヤニヤ嫌な目ぇした死霊じゃなく(そもそもこいつ霊体だから掴めねーし)、闇の中でもわかるほどギラギラした、捕食者の目ぇした食屍鬼だった。
…そうだよ! 最初っから、初対面の時から捕食者の目なんだよ! こいつ!!
「あんたのそのとろけた目玉……いつ見てもすっごく美味しそうよねぇ……ねぇ、ちょっとだけ舐めさせてよ。一舐めでいいから、ね?」
俺の顔、っつーか正確には俺の眼孔から飛び出た片眼をガン見しながら、食屍鬼が舌なめずりしてそんな事を言う。途端に、奴に掴まれた腕から全身に悪寒が走り、俺の中にいたウジ虫共がゾワゾワと大移動を始めたのがわかった。沈む船からはとっとと逃げ出し、火の点いた家は諦めて新居を探すってか。気持ちはわかるが、薄情な奴らだぜ……大家の為に勇敢に立ち向かうって奴ぁいねえのか? できなくても、大家を連れて逃げるぐらいの事はしてくれよ。それでできれば、その安心安全の新居の端の方に俺も住まわせてくれ、なんでもするから。
ハァハァと荒い息で俺の目玉に手を伸ばす食屍鬼から必死に顔を逸らし、なんとかしてくれ! つか助けてくれ! と隣の死霊を見りゃあ、奴は「やれやれ」とでも言いたげな態度で肩をすくめた。
「どうやらぼくはお邪魔みたいだね。じゃ、後はお若い二人で……」
「邪魔じゃねーよっ! いてくれよっ!! つーか二人にしねぇでくれ頼むからぁ!!!」
なんで仲人みてぇな事言って颯爽と立ち去ろうとしてんだよ!? 立ち去りてぇのは俺だよ!! 「死霊ちゃん、ありがとね☆」ってウィンクしてんな食屍鬼キメェんだよ! って腕を絡めんな! 距離を詰めんな!
「こんなに一途に想ってくれる相手なんて、そうそういないのに……ゾンビは贅沢だなぁ」
ほんとにそう思ってんなら、肩震わして笑うのをやめろ死霊この野郎!!
畜生っ、肉体がねえから他人事だと思いやがって…っ! 俺だってなぁ! これがボンッ☆キュッ☆ボン☆な美女の食屍鬼だったら、そりゃあ食われるのは嫌だが、まんざらでもねえよ!? 食欲が先に立ってんだとしても、美女に追われて迫られるなんざ、気分がいいに決まってるからな!!
けどな! この、同じ不死生物で魔族で仲間なはずのゾンビを……中でもなんでか俺を執拗に付け狙うこいつはっ、こいつはれっきとした 男 なんだぜ!?
死体にとって天敵な食屍鬼ってだけでも勘弁してほしいのに、カマってどーゆー事よ!?
「ね? ね? ゾンビ、甘噛みもダメなの? もしかして……感じちゃう、とか?」
冒険者の皆さぁぁぁぁぁぁん!!
ここにユニークが!! ユニークモンスターがいます!! 他の食屍鬼と違って、仲間のはずのゾンビに襲い掛かる、オネェでオカマな食屍鬼!! どう考えてもユニークモンスターだろこれ!! 多大な犠牲を払ってでも退治すべきモンだろこれ!! だから一刻も早く退治してくれぇぇぇぇぇ!!!
「あんっ! やだ、待ってよゾンビ! 逃がさないわよー!!」
至近距離まで迫って来た食屍鬼のドアップに、色んな意味で堪え切れずに、俺は瞬間的に死力を発揮して奴を振り払う事に成功した。同じ事をもう一度やれと言われても、できるとは思えねえ……だが今はそんな事を考えてるヒマなんかなく、俺はそのまま、ダンジョンの地下に向かって、全力で走り出した。
背後で起こった死霊の爆笑が、洞窟内に反響して俺の所まで届く。…ちっくしょう! 死霊てめぇ! 次会った時は覚えてろよ! ぜってー泣かしてやるかんな!! ――勢いで後ろを睨みつけそうになったが、割とすぐ近くで距離を保つ追っ手の足音に我に返って、俺は泣く泣くスピードを上げた。
いつもなら、誰かと会ったらそれが誰だろうが一言二言言葉を交わすナイスガイなのに、目を丸くした兄弟達を無言で追い越し、呆れたように道をあけたスケルトンに礼も言わずすれ違い、ぎょっとした死霊の団体の中を通り抜け、俺は一心不乱に暗い通路を猛スピードで駆け抜けた。
……くそっ! 何度もゾンビとすれ違ってんのに、食屍鬼の野郎、変わらず俺を追ってきやがるぜ! 他に目移りすりゃあいいのに、なんで俺にばっか執着するかなぁ!? で、おめェはさっきからなんなんだよ!? 俺ぁ今忙しいんだ! 何が訊きてえんだ手短にしろよ!?
……っ、は?
……あんだって?
……………食屍鬼との、馴れ初め…だと?
気 っ 色 の 悪 ぃ 事 訊 い て ん じ ゃ ね え よ っ ! ! !
おめェッ、こんな時に俺の気力を根こそぎ持ってくような事訊くか普通!? 俺を殺してえの!?
…はぁっ!? じゃあ魔王サマについて教えてくれって!?
状況を見ろ! 状況を! 俺がそんな悠長におしゃべりする余裕があるように見えんのかぁ!? 見えるって!? おめェ、目ん玉腐ってんじゃねえの!?
ったく、人を買い被るのも程々にしろよなぁ。俺ぁギリギリだよ! 嘘偽り謙虚意地っ張りもなく正真正銘、ピンチだよ!! おめェがこの危機的状況をどうにかして、俺を助けて安全地帯まで送ってくれるってんなら、いくらでも話してやるがよ! できねえんだろ!? なら黙ってな!!
そりゃあよ、ここにゃあ今日おめェが会った以上の魔族がわんさかいるし、見た目に反して愉快な奴も残念な奴もいっぱいいる! でもな、今はそれどころじゃねーんだよ、わかるだろ?
おう、それじゃあ俺は、こっからは本気で逃げるから、もう行くぜ。
大丈夫かって? 大丈夫じゃなかったら、おめェに合わせてチンタラ走ったりしねーよ。
勝機はあんのさ。
迷宮と呼ばれるほど入り組んだこのダンジョンは、俺の庭よ。日頃から俺ぁこのダンジョン内を端から端まで練り歩いてっから、誰も知らねえような小道も、隠し通路も、その日その時の交通状況も、ぜーんぶ網羅してんだぜ。全力で容赦なく逃げると決めたこの俺を捕まえるなんざ、プロの冒険者でも無理なこった! 捕まえられるもんなら捕まえてみやっ………やめよ。妙なフラグが立ちかねねえ事は、言うもんじゃあねえな…あぶねーあぶねー…。
ま! 縁があったら今度はもっと深い所に連れてってやっから、俺の無事を祈っててくれよ。おめェも気を付けて帰るんだな。また遊びに来いよ。俺ぁいつでもこの地下で待ってっからさ。
じゃあな! あばよ!
「―――それが、君が見たゾンビの、最後の姿だった…」
死霊てめぇ!! 不吉な結びを付けるんじゃあねえ!!
《死霊の迷宮》ハ、勇敢ナル冒険者ノ挑戦ヲ、オ待チシテオリマス。