辿り着いた場所 #4
十二月七日
もうすぐ期末試験だ。村上はどうやら菅野さんにつきっきりで勉強を見てもらっているらしい。勉強を見てもらっているというより、勉強させられているといった方が正しいのかもしれないけれど。
恭平さんと会ってから、薫のことをさらに考えるようになっている。
薫の優しい表情。美しい顔。甘く芳しい匂い。柔らかい腕。柔らかい胸。柔らかい身体。甘えて欲しいという言葉。安心して欲しいという言葉。抱きしめてあげるという言葉。求めているという言葉。求めて欲しいという言葉。愛しているという言葉。そして、愛していると言って欲しいという言葉。
そしてあの、僕らが求め合った瞬間を。薫を求めていたあの瞬間を。彼女を求めて安心できたことを。そして、今まで流すことのできなかった涙を流したことを。
彼女のことをいつも考えている。僕の心を掴んで離さなかった彼女のことを。周囲にどんな犠牲を強いることになっても護りたいと思う彼女のことを。どんなにつらく、苦しんでいるとしても護りたいと思う彼女のことを。そして、僕の家族が大事に思っていた彼女のことを。
もちろん、生きている意味や僕が生き残っている意味も。いつも考えている。
だけど、また彼女を求めることができなかった。愛しているとは言えなかった。
放課後、薫は一緒に勉強すると言って部屋に来た。母親に説得されたからか、一緒に暮らすのは我慢しているらしい。大家夫婦は僕と薫の事に関して口を出さなくなった。
「ねぇ、創?」
「?」
「寒くないの?」
ここには小さな電気ストーブが一つしかない。それを今、彼女の横に置いている。もちろん、それだけじゃ寒いので膝に毛布を掛けさせている。しばらく彼女の前に座って考えていた。また、いつもの答えの出ないことを。毛布も掛けず、ストーブにも当たっていなかった。
「別に寒くは無いさ。お前は寒くないか?」
確かに寒くは無かった。そんなこと問題じゃなかった。
「相変わらず優しいのね。でも平気よ。あなたのことが心配なの。今もつらいのでしょう? 苦しいのでしょう? 考えていたのでしょう? 私にはわかるわ」
薫はそう言って電気ストーブを僕と薫の間の少し遠いところに置き、毛布を持って近寄ってきた。そして彼女は横に座り、肩を寄せてきた。
「どうしたんだ?」
聞いてみた。でも彼女は何も言わず、僕を見つめてこう言った。
「言ったでしょう? 安心して良いのよ。甘えて良いのよ。そして私を求めて良いのよ。私はあなたのために生きているのだから」
その言葉を聞いて、なぜだか胸が熱くなった。薫は毛布を掛けてくれた。そしてまた抱きしめてくれた。目から涙が出てくるのを、なぜだか抑えることができなかった。少しずつ過去のことを話し出した。泣きながら。
「あの訓練所に入ったのは十三歳のときだった。教官はなぜか一番年下の僕に特に厳しくて、なぜか申し込んだコースとは違うプログラムで訓練をされた。そのプログラムは現役の特殊部隊員用のもので、特に厳しいものだった。でも、そのプログラムをクリアすることで家族が護れるのなら、大事な人たちを護ることができるのなら逃げ出すわけには行かないと思った。そして教官に殴られたり蹴られたりしながらもなんとか訓練についていった」
「そう・・・」
「いろいろなプログラムがあった。でもそれは全て人を殺すための訓練だった。訓練用の模擬弾なんか無かった。いつも実弾だった。板でできたターゲットを相手にしているときは良かった。でも、すぐに人間をターゲットにして訓練をさせられた。防弾ベストを着けていても、死ぬときは死ぬんだ。射撃訓練や狙撃訓練で何人も仲間を撃ち殺した。ナイフを使ってのCQCもあった。本物のナイフだ。そこでも何人もの仲間を再起不能にし、そして殺した。教官まで撃ち殺した」
「・・・・・」
「いつもつらかった。仲間を犠牲にして生き残っていくことが。何の躊躇いも無く仲間を手にかけていくようになっている自分が」
薫はさらに抱きしめてきた。僕は話し続けた。
「訓練所の規則で一年以上いられないと知ったとき。その一年が経った事を知ったとき、正直言って嬉しかった。もう自分にうんざりしていた。自分が嫌いだった。だけど、家族を護りたかった。大事な人たちを護りたかった」
薫は泣いていた。でも話し続けた。
「君と出会ったのはそんな時だった。君と初めて会ったときのことを、今でも鮮明に思い出すことができる。君は美術館の絵から抜け出したように綺麗で、美しかった。僕の心を掴んで離さなかった。平穏な日常を、僕が望んでいた平和な生活をしているように見えた。でも、君はいつも好んで人通りの少ない裏通りを歩きたがった。心配だった。僕の家族が大事に思っている君が。僕が大事に思っていた君が。そして、君はいつも狙われていた。だから、いつも君を狙う奴等を殺した。何人も。何人も殺した。君は気が付いていなかったかも知れないけれど。そして、そんな時だ。あの事が起きたのは」
「私がレイプされそうになったときね・・・」
「そうだ。ただの戦闘マシーンで人殺しの道具なのじゃないかと自分を疑っていた。そして、訓練どおりに連中を撃ち殺した。終わってから、自分がただの人殺しである事を確信してしまったんだ。あの時、五人も撃ち殺すことは無かったんだ。特殊部隊員としての訓練を積んだ僕が、ナイフ程度しか持っていない人間を相手に、ガンを持ち出す必要は無かった。でも。訓練で何回もやらされたとおりに、何も考えずにハンドガンを抜いてトリガーを引いた。僕はただの人殺しでしかないんだ」
薫は何も言わないで話を聞いていた。目からまた涙がこぼれた。
「それでも、それでも家族を護れなかった。あのカフェテリアで。爆弾を見つけて、家族みんなに伏せろと叫んだときには遅かった。遅すぎた。あの光景は今でもはっきり覚えている。家族は目の前で、爆発に巻き込まれて死んだ。怪我をして動けなくなった僕の目の前に、家族のずたずたになった死体があった。僕だけが生き残った。家族を護れなかったんだ。大事な人たちを」
彼女は息を呑んで話を聞いていた。
「正直に言おう。つらい。苦しいんだ。いつも誰かの命を犠牲にして生き残ってきた。それがとても苦しい。つらいんだ。この前攫われた君を助けたときも五人殺した。ただの人殺しだ。いくら君を、大事な君を助けるためとはいえ、五人も殺すなんて普通じゃない。その普通じゃないことを僕は平然と、訓練通りにやってしまう。でも、・・・・・」
「でも・・・?」
「でも、もう大事な人を失いたくない。君のことが好きなのかどうか、愛しているかどうか、今でもわからない。でも失いたくないと思う。君のことをいつも考えている。あの時僕の心を掴んで離さなかった君のことを。こうして抱きしめられると安心できることを。いつまでもこの甘く芳しい匂いに包まれていたいと。僕らが一つになったあの時、確かに君を求めていたことも」
薫は泣きながら僕を強く抱きしめて言った。
「言ったでしょ? 良いのよ、求めても。安心しても。愛しているわ。あなたの何もかも」
「でも、今君に話したようにただの人殺しだ。ただの戦闘マシーンだ。僕が持っている苦しみがいつか君を苦しめる。苦しませたくない。君が苦しむなんて、耐えられない」
彼女は優しく微笑みながら言った。まるで聖母のように。
「良いのよ。つらいときは甘えても。いいえ、つらくなくても。あなたは私のことを大事な人って言ってくれたわ。苦しませたくないって言ってくれたわ。それだけで良い。その言葉を言ってもらえるだけで、苦しむなんてあり得ないの」
「・・・ありがとう」
なぜかそれだけしか言えなかった。そしてまた涙がこぼれてきた。以前には泣くこともできなかった僕が、また泣いていた。薫はずっと抱いていてくれた。
そして薫を求めた。薫に、薫の言葉に甘えるようにして。そんな身勝手な僕を彼女はそれこそ聖母のように包み、そして癒してくれた。




