辿り着いた場所 #3
十一月二十六日
いつの間にか眠ってしまっていた。昨夜のことがまるで夢の中でのことのように思えた。
でも、あれは夢じゃなかった。目覚めると隣には薫がいた。物思いに沈みながらも彼女のために敷いた布団の中に。彼女は抱き上げて布団に寝かせても起きなかった。いつの間にか同じ布団で眠っていたんだ。
薫は、朝日がカーテンの間から部屋の中に入り込んできているのを眩しそうに眺め、そして僕を見た。彼女は恥ずかしそうに僕を見つめ、また抱きしめながら言った。
「いつでもこうしてあげる。いつまでも。あなたが安心できるなら、あなたのためにこうしていてあげる。私はあなたの何もかも愛しているの。この傷も。つらい過去も。悩みも」
「・・・ありがとう。でも、考えても考えてもわからないんだ。君に抱きしめられて安心する理由も、君を求めた理由も。そして僕が生きている理由も意味も」
薫は僕の目を覗き込んで言った。
「わからなくてもいいのよ。私を抱きしめることで、私に抱きしめられることで安心するならそうして良いのよ? 私が欲しければ求めて良いのよ。言ったでしょ? 私はそのために生きているんだって」
「そうすることで君を苦しめないだろうか? それが怖い」
「相変わらず優しいのね、創は。大丈夫よ。あなたを愛しているから」
薫はそう言った。とても優しい、聖母のような微笑で。
「・・・ありがとう」
それしか言えなかった。なぜだかまた涙が出てきた。薫は僕をその間中抱きしめていてくれた。
大家夫婦は、昨日のことは何も言わずに、微笑みながら、学校へ行くようにだけ言った。
学校は、いつものように平穏だった。僕の家族が望んでいたように。
昼休み。屋上で煙草を吸っていると、村上がやってきた。珍しく一人だ。
「よう、珍しいな。独りなんて。菅野さんに振られたか?」
冷やかしてやった。
「お前、縁起でもないこと言うなよ。まあ、俺たちは何を言われても大丈夫だけどな」
のろけていやがる。
「ところで、お前、昨日何かあったのか?」
なに? 今なんて言った?
「何でそんなことを言う?」
「顔の筋肉が固まっているぞ。様子もおかしいしな」
やれやれ。
「・・・ずっと考えていた。僕だけが生き残っている意味を。今まで生きてきた意味を。生きている理由を。そして薫に抱きしめられて安心する理由を」
「そうだったのか」
「ああ」
「最後の一つの答えはわかるぞ、御堂」
「何でお前がわかるんだ? 僕の問題なのに」
相変わらず不思議なことを言うやつだ。
「わかるさ。俺もそうだからな」
「?」
「好きな女の子に抱きしめられると安心するんだよ。それぐらい理解しろよ」
そうなのか? 薫のことが好きなのか?
「そりゃあ、薫を好きかと言われれば確かに好きだと答える。でも恋愛感情なのかはわからないんだ。彼女に抱きしめて欲しいかと聞かれれば素直にそうだと答える」
「もういい加減素直になれよ」
「どういう意味だ?」
わけがわからなかった。村上は真剣な顔でこう言った。
「好きじゃなきゃ、いくらお前が訓練をつんでいたとしても、命がけであの子を助けに行こうなんて思わないはずさ」
「だけど、あの時も放っておくわけには行かなかった。ああいう訓練をしていたんだからな。ましてや直接の知り合いだ。大事な友人だ。友人があんな目に遭って指をくわえて見ている訳にはいかないんだ。それに彼女は僕の家族も大事にしていたんだ」
「優しいんだな、御堂は。でも自分の気持ちに鈍感だ」
どういう意味だ? 鈍感?
「いつも彼女のことを考えているんじゃないのか?」
「・・・確かにそうだ。いつも薫のことを考えている。初めて会ったときの、僕の心を掴んで離さなかった、あの薫の綺麗な顔。彼女の甘く芳しい匂い。柔らかい腕。柔らかい胸。柔らかい身体。そして愛しているから求めて欲しいという、安心して欲しいという彼女の言葉。考えていない時は無いと言っていいかも知れない。それでも、しなくちゃならないことがある。自分がここにいる意味を考えなくちゃいけないし、考え続ける義務がある。生き残った人間がすべきことをしなくちゃいけないんだ。安らぎや恋愛なんかは必要ないんだ」
やれやれといった表情でやつは僕を見てきた。
「分けて考えるべきなんじゃないか? それに、どっちが優先なんてないんじゃないのか?」
「どういう意味だ?」
「彼女のことと、お前が考え続けている義務ってやつ、だよ」
やっぱりこいつは時々わけのわからないことを言う。
ちょうどそこで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
部屋に戻ると、恭平さんから電話が掛かってきた。たまには外で食事をしようと言う。了承した。恭平さんは高級料亭にいるらしい。迎えの車をやるから来てくれと言った。そして恭平さんの言うとおりにした。
「やあ、待っていたよ」
「遅れて済みません」
「気にすることは無いさ」
そう言ってくれた。その料亭は何だか不思議な造りで、他の客の姿が見えなかった。
「どうやら悩み事があるようだね」
「やっぱりわかりますか?」
「もちろんさ」
恭平さんは、僕の表情を見てすぐに言った。隠すことはできないし隠すつもりも無かった。誰かに聞いてもらいたいような、そんな気もしていた。
「薫のことなんです」
「何があったのかね?」
「何かがあった、というよりも彼女をどう思っているのかわからないんです」
そう答えたら、恭平さんはとても驚いていた。
「彼女は、甘えて欲しいと、安心して欲しいと、自分を求めて欲しいと言ってきました。でも、彼女にそうしてしまうことで彼女を苦しめることが怖いんです」
「・・・・・」
「いつも、訓練どおりに必要最小限の労力で障害を排除してきました。由紀さんの時も。でも、自分が何者か判っているんです。単なる戦闘マシーンなんだと。ただの人殺しの道具でしかないんだと。この前、薫を助けたときも同じです。いくら彼女を護りたかったとは言え、人を殺しました。何もかも訓練どおりに。やっぱり僕は戦闘マシーンで、ただの人殺しでしかないんです。そしてこんな僕では、薫に甘えてしまうことで確実に苦しみを与えるとしか思えないんです。僕と、僕の家族が大事にしていた薫を苦しめたくないんです。」
「・・・そうか」
「そして僕にはしなくてはならないことがあります。訓練所では何人も死にました。事故とはいえ訓練中に何人も仲間を殺しました。それも平然と。冷静に。そう、僕は仲間を殺して平気な人間なんです。訓練所を出てから何人も殺しました。爆弾テロで大勢が死にました。もちろん僕の家族も。この前も五人殺しました。生き残っている僕には、考え続ける義務があると思うんです。自分が生き残っている意味。自分が今まで生きてきた意味。自分がしてきたことの意味。なぜ僕が生き続けなければならないのか。そうしたこと全てを、考えなくちゃいけないと思うんです。そして、それらを考えるには恋愛感情や安らぎなんかは必要じゃないと思うんです」
恭平さんはしばらく考えていた。ようやく口を開いたときに出てきた言葉は僕を驚かせた。
「それでも、いつも彼女のことを考えているのだろう?」
村上と同じような台詞。動揺した。
「・・・そうです。薫を苦しめたくない。そして、彼女の顔や優しい言葉。彼女の甘く芳しい匂いや柔らかい腕。彼女の柔らかい身体。いつも考えていると言っても良いのかも知れません」
「人生経験を君よりも積んでいる友人の言葉として聞いてくれ」
恭平さんは居住まいを正して言った。思わずそれに倣った。
「君が言った、考え続ける義務を果たすためには、安らぎや愛情はどうしても必要なのだよ。君は逆に考えている。少なくとも私はそう思う。そして、君は彼女を苦しめたくないと言った。彼女のことを大事だと言った。彼女のことをいつも考えているとも言った。創君、それを恋愛感情と呼ぶのだよ」
「でも、なぜ、なぜ義務を果たすために安らぎや恋愛が必要なのですか?」
混乱した。
「安らぎや愛情は理屈ではないからだ」
さらに混乱した。
「どういうことですか?」
「つまり、考えるということと、感じるということが別だということだよ。そして、人間にとってはその二つは不可分なものだということなのだよ」
「両方とも必要なものだと?」
恭平さんは僕の言葉に満足そうに頷いた。
「そうだ。君にとって、意味を考え続けることは永遠に続くことだろう。そして同時に、君は安らぎや愛情も得続けなければならないのだ。だから、彼女に対するその気持ちを無理に封じ込める必要など無いのだよ。たとえ君がどんな人間であっても」
恭平さんは優しく、だけどはっきりとそう言った。なんだか頭の奥に巣食っているおかしな虫がいなくなったような、そんなすっきりとした気分になった。
「わかりました。やっぱりお話して良かった」
恭平さんはいたずらっぽく笑ってこう言った。
「我々は友人じゃないか。悩みを打ち明けあうのは当然のことだよ」
そしてそのあと、僕らは学校でのことや世間話や他愛もないことを話し、楽しく食事をした。




