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安息の地  作者: 月夜見
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辿り着いた場所 #2


 電話が鳴った。出たくなかった。でも。電話はそんなことお構い無しにずっと鳴り続けている。仕方なく受話器を取った。薫のお母さんからだった。

 「創君? 薫の母です。久しぶりね、元気?」

 「ご無沙汰しています。僕は元気です」

 「この前はウチのごたごたに巻き込んじゃってごめんなさいね。私たちもあの後に薫から聞いたのよ。薫を助けてくれてありがとう。お礼を言うのが遅れてごめんなさい」

 ずいぶんと久しぶりに聞く声のように感じた。実際は一年ちょっとなのだけれど、もっと長く聞いていなかった声のように感じていた。

 「ご家族のお悔やみを言うのも遅くなったわね、薄情な私たちを許して。何しろあの爆弾テロの犠牲者の中に、あなたのご両親とお兄様がいたとは思ってもいなかったのよ。こちらではほとんど報道もされなかったの。おじいさまたちから、あなたを引き取ったっていう電話をもらうまで知らなかったの。それで現地に確かめたくらいなのよ」

 「謝らなくていいですよ。気にしていないですから」

 「相変わらず優しいのね、あなたは。でも、独りで抱え込んじゃ駄目よ。あなたはとても繊細な人なんだから」

 さすがに薫の母親だ。似たようなことを言う。

 「でね、創君。よく聞いて欲しいの。私たちとね、あなたのご両親とは、大事な、そう、あなたにとって大事な約束をしていたのよ」

 「約束? それってどういうことですか?」

 「薫とあなたを許婚にしたの」

 へ? 今、おばさんはなんて言った? 僕と薫が許婚?

 「何でまたそんなことしたんですか?」

 「薫がね、あなたのことを愛してしまったのよ」

 ちょっと待て。たかだか十五歳かそこらだぞ。愛しているって何だか判っているのか?

 「そんな、十五歳かそこらの人間にそんな事言われて、はいそうですかって決めたんですか? そんなむちゃくちゃな」

 「女にとっては関係ないのよ」

 ずいぶんはっきり言うなあ。ほんとかよ。

 「でも両親からは何も聞いていないですよ」

 「あの頃のあなたはずいぶんと悩んでいたから、話せなかったんでしょうね」

 何で悩んでいたって知っているんだ? あの忌まわしい訓練所の記憶にいつも追いかけられていたことを。苦しめられていたことを。ただの人殺しの道具になってしまったことを。何人も人を殺していたことを。

 「どうしてそんなことをおばさんが知っているんです?」

 「あなたのお母様が話してくれたの。創君はいつも自分の身を犠牲にして自分の家族を護ろうとしているって。でも、そのためにした訓練があなたの心に傷を残すくらいつらいものだったって。薫を助けてくれたときもそうよね。あなたはずいぶんと真っ青な顔色で何も言わずにいつも部屋に閉じこもったじゃない? 訓練のせいでしょう?」

 ・・・よくわかるな。

 「・・・そうです。いつも、訓練どおりに必要最小限の労力と物資で障害を排除しました。でも、僕は自分が何者か判ってしまっていたんです。単なる戦闘マシーンなんだと。ただの人殺しの道具でしかないんだと。この前、薫を助けたときも同じです。何もかも訓練どおり。違っていたのは装備やロケーションや、人質が薫だったことくらいです。僕はやっぱり戦闘マシーンで、ただの人殺しでしかないんです」

 「でも、あなたは薫を助けてくれたわ。そしてあなたは平凡な高校生なのよ。あなたが今までにしてきたことの意味を考えていたのでしょうけれど、今あなたの欲しいものを、正直に欲しがって良いのよ。素直に欲しいと言えば良いの。誰を好きになっても良いの。安らぎを感じて良いの」

 欲しいもの? そんなの決まっているだろ。平穏な生活。平和な暮らし。両親と兄貴が僕に望んだこと。

 「欲しいものですか? このまま平穏に暮らせればいいんです。薫の留学がいつまでか知りませんが、穏やかに暮らしたい。銃声やナイフを気にせずに。さっき、大家からも聞きました。家族が、僕に望んでいたことを。それは平穏な生活。平和な暮らしなんです」

 「人を好きになれないの? 誰かに安らぎを感じないの? ときめきを感じないの?」

 わからない。そんなこと。わからないですよ。そんなこと。

 「正直に言えば、薫が僕を抱きしめてくれたときには、安心感がありました。でも、それがおばさんの言うような感情かどうかはぼくにはわからないんです。僕は自分がここにいる意味を考えなくちゃいけないですし、考え続ける義務があるんです。生き残った人間がすべきことをしなくちゃいけないんです。そこに安らぎやときめきなんかは要らないんです。そう、僕に安らぎやときめきや恋愛なんかは必要ないんです」

 そういえば、薫がとんでもないことを言っていたな。説得してもらわなくちゃ。

 「ところで、おばさん。薫が、僕と暮らしたいと言うんです。この狭い部屋で。思いとどまるように説得してもらえませんか? 僕には、この僕には薫と暮らすなんて、そんなことはできないんです。理由は今お話したとおりです」

 「わかったわ。でもね、もう一度だけおばさんの言うことを聞いて? あなたはこれからも悩み続けるかもしれない。きっと悩み続けるわ。だからこそ、甘えられる、安らぎを感じられる人を探して欲しいの。そうでないとあなたはもっと自分を苦しめることになってしまうわ。お願い、もう苦しまないで。苦しみを誰かと分け合って頂戴。あなたの苦しみは独りで背負うには重過ぎるのよ」

 「・・・おばさんのおっしゃることは何となくですが解りました。・・・じゃあ、薫の説得をお願いします」

 冷たくそう言って電話を切った。おばさんはまだ何か言いたそうだったが、長くなりそうなので聞くのをやめた。


 それから、薫のお母さんの言った言葉をなぜか考え続けていた。誰かに甘えて良いのだろうか? 誰かと居る事で安らぎを感じて良いのだろうか? この重たすぎる苦しみを他人に背負わせて良いのだろうか? 今までにしてきたことの意味は? 僕が今生き残っている意味は? いったい何のために生きている?


 あの時も玲子先生に言ったじゃないか。絶対にこの苦しみは理解できないと。経験した者でないと理解できないと。そして、その苦しみが解ったときには、必ず、そう、必ず僕よりも苦しむことになると。他人にそんな苦しみを味わって欲しくない。こんなに苦しむのは僕一人でたくさんだって。


 気が付いたら、部屋は真っ暗で、さっき蹴っ飛ばした卓袱台が部屋の端に寄りかかっていた。窓から入る月明かりで、目の前に誰かがいるのが見えた。薫だった。あの薫の甘い芳しい匂いがした。

 薫に抱きしめられた。薫は泣いていた。びっくりして彼女を突き放そうとしたが、どうしても力が入らなかった。

 「また考えているのね。つらい思いをしているのね? 苦しいのね? 私には甘えていいのよ? 私はあなたを愛しているの。ずっと前から、初めて会った時から」

 彼女はこう言って強く抱きしめてきた。彼女の甘い匂いを嗅ぎながら、彼女の柔らかい胸に顔を埋めたまま動くことができなかった。永遠にこの時間が続いて欲しいと、どうしてもそう思わずにはいられなかった。そして彼女の腰に手を回し抱き合った。

でも、薫に安らぎを感じて良いのだろうか? このまま甘えて良いのだろうか? このまま苦しみを打ち明けて良いのだろうか? そうすることで薫を苦しめないだろうか? こんな苦しみを味わうのは僕一人で十分だ。薫を苦しめたくない。

 長い時間、考えながら彼女と抱き合っていた。ふと薫は僕を抱きしめる力を弱めて、優しく抱きしめたままこう言った。

 「あなたに甘えてもらいたいの。安らぎを感じて欲しいの。そうでないとあなたはもっと自分を苦しめることになってしまうわ。お願い、私にあなたの苦しみを分けて」

 薫に抱きしめられたまま正直に言った。さっき考えたことをそっくりそのまま。

「でも、君に安らぎを感じて良いのだろうか? このまま君に甘えて良いのだろうか? このまま君に苦しみを打ち明けて良いのだろうか? そうすることで僕は君を苦しめないだろうか? 君を苦しめたくないんだ」

 薫はさっきより強く抱きしめてきて、こう言った。

 「あなたはいつも私を護ってくれたわ。その代わりにとてもつらくて悲しいことを背負ってしまったの。それは私のせいなの。だからあなたが私を護ってくれたように、今度は私があなたを癒してあげたいのよ」

 反論した。

 「確かに僕は君を護った。だけど、いずれにしても背負っている物は同じなんだ」

 彼女は悲しい目をして言った。

 「あなたは私を護ったことで苦しみを余計に感じることになったのよ」

 そして彼女はこうも言った。

 「私はあなたが好き。大好きなの。愛しているの。だから、あなたに私を好きになって欲しい。大好きって言って欲しい。愛しているって言って欲しいの」

 少し考えてから、薫の胸に顔を埋めて、素直に言った。

 「薫のことが好きかどうかは正直に言ってよく解らないんだ。何度考えても良く解らない。自分の気持ちがわからないんだ。でも、二つだけ判っていることがある。僕と、僕の家族は君をとても大事に思っていたということだ。それにもう一つ。こうやって君に抱きしめられていると安心していられるって事だ。君のこの甘く芳しい匂い。君と君の匂いに包まれながらこうして抱き合っていると、何もかも、今まで起きたことの何もかもを忘れられるような気がするんだ」

 薫が嬉しそうに言った。

 「それで良いのよ。私はそれだけでいい。安心して。いつでもこうして抱きしめてあげる。いつまでも抱きしめていてあげる。そしてあなたを好きだって言わせて。愛しているって言わせて」

 薫はずっと離してくれなかった。そして、キスしてきた。僕の唇に。ずっと。長い時間。薫の甘い香りが強くなった。柔らかい唇。柔らかい腕。柔らかい胸。柔らかい身体。

 もっと安心したかった。何もかも忘れたかった。

 そして正直に彼女に言った。

 「もっと安心したい。何もかも忘れたい。君を求めることでそうできるだろうか?」

 「私を求めて。そうすることで安心して。何もかも忘れて。たとえ今だけでも」

 そして素直に彼女を求め、彼女はそれに答えてくれた。

 その時、確かに薫を、薫だけを求めていた。そして彼女を得られたことで安心した。何もかも忘れることはできなかったけれど。

 でも、僕らが一つになっていた時は、確かに何もかも忘れることができていた。

 全てが終わってから、彼女にそう言った。彼女は僕を見つめて、少し恥ずかしそうに言った。

 「私はあなたを求めていて、そしてあなたは私を求めてくれたわ。あなたは私を求めることで一瞬でも苦しみを忘れてくれた。それがとても嬉しいの。・・・愛しているわ」

 薫はまた見つめてきた。そして抱きしめてきた。彼女の肌の温もりを感じていると、目から熱い水が流れた。何だろう、これは? 理解するまでに時間が掛かった。ああ、僕は泣いているんだ。こんな僕でも泣くことができるんだ。

 そう思っていると、彼女はまた言った。

 「好きよ。大好き。愛しているわ。だからこのままでいて良いのよ。泣いても良いの。抱いていてあげるわ。いつでも。いつまでも。そのために私は生きているんだから」

 何だか照れくさくて、何も言えなかった。彼女の優しい言葉が胸に染み入ってきた。


 彼女はいつしか僕を抱きしめたまま眠ってしまった。薫の寝顔は、何かとても大事なものをもらえた時の子供のような、何か宝物を見つけて箱にしまった子供のような、そんな寝顔だった。


 彼女の寝顔を見ながら考えたが、やっぱりわからなかった。

 僕だけが生き残っている意味。今まで生きてきた意味。薫に抱きしめられて、彼女を得たことで安心した理由。そして何よりも、あのとき薫を求めた理由。



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