辿り着いた場所 #1
十月十日
明るい光に眠りを妨げられた。まぶたは開かなかったけれど、まぶしくて仕方なかった。どうやら朝になったみたいだな。カーテンを閉めるのを忘れたのかな?
誰かの話し声がする。少しうるさいな。人の部屋でなにしてやがるんだ?
「創の意識はまだもどんねぇのか?」
「容態は安定しているし、傷ももう大丈夫だって、お医者様は言ってたんですけれど」
どうやら田代さんと薫が話しているみたいだ。ドアの開く音がしたぞ。勝手に人の部屋に入るなよ。
「やあ、田代君。久しぶりだね。君の方もけりが付いたそうだね。私のほうも無事に終わって、今モスクワから戻ったところだ。創君はまだ起きないのかい?」
「ええ。皆が待っているんですが」
なんだよ、恭平さんも来たのか。友人でも人の部屋に勝手に入らないでくれよ。どうせ薫が入れたんだな。
でも、何だか変だな。いつもなら食事の匂いがするのに。なんか消毒薬臭い。やだな、こんなの。不快だ。不快でたまらない。起きなきゃ。起きて薫の甘い匂いで口直ししたいな。でも匂いって口直しって言うのかな。まあ、いいか。とにかく起きよう。
あれ? 体が動かないや。金縛りか? しょうがない。もがいてみるか。
「創? 創? 創!」
やっと目が開いたぞ。薫の顔がすぐそばにある。何だか恥ずかしいな。やっぱり甘い匂いがする。良い匂いだ。
・・・ちょっと待て。よく見たらここは病院じゃないか? 何でこんな所に?
「あれ? あれれ??」
「良かった。気が付いたのね」
薫がそう言った。どやどやと覗き込まれたぞ。田代さん。恭平さん。なんだ、村上に菅野さんに片桐さんまでいるじゃないか。それにマスターとじじいもばばあもいるぞ。恥ずかしいからやめてくれ。
「あのー、あんまり見られると恥ずかしいんですけれど」
そう言った。ああ、全部終わったんだ。それからふと約束をしていたことを思い出して田代さんと恭平さんに言った。
「とりあえず約束を守ったことになりますかね? この場合」
「もちろんだとも」
「決まってんだろ。こいつ」
二人ともそう言ってくれた。泣き笑いしながら。
十月十三日
何箇所か撃たれていたが、全部貫通していた。骨に当たってもいなかった。ずいぶんとラッキーだな。そう思った。目を覚まさなかったのは、出血が酷過ぎたからだけみたいだ。傷のふさがり具合がどの程度なのかわからなかったけれど、経過は順調なのだろう。医者は呆れながら言った。
「いつでも退院して良いけど、どうする?」
「じゃあ、今日退院しますよ。田代さんのつてで面倒を見て頂いたみたいだから。あまりわがまま言いたくないですし」
「物分かりが良くて助かるよ。ベッドの空きが無くて困っていたんだ」
「助けていただいてありがとうございました」
医者にそう言ってその足で退院した。松葉杖を使わないと歩けなかったが、薫が助けてくれた。なんだか薫がずっと一緒にいるな。学校はどうしたんだ?
十一月二十五日
学校では薫がいつもくっついて離れなかった。邪険にもできず少し困った。なんせトイレにまで付いてこようとする。心配してくれるのは嬉しいが、もうずいぶん前から平気なんだぞ。
退院してから、田代さんの招待であのステーキハウスで食事をした。僕と田代さんは約束を果たせたことに乾杯した。でも、なんであの時に田代さんは、薫のことを僕の大事な女って言ったんだろう? わかっていたのか? 薫を、僕と家族が大事にしていることを。それは結局良くわからなかった。
恭平さんにも招かれた。今度も自宅で、また見たことも無いような料理がたくさん並んでいた。そして食後にまた二人だけでシガーをふかしながら、約束を守れたことを祝った。でも 何で恭平さんはあの電話で、薫のことを僕の恋人って言ったんだろう? それもやっぱり判らなかった。
でも、判っていることがある。薫に抱きしめられていると安心していられるって事だ。彼女の甘く芳しい匂い。それに包まれながら抱き合っていると、何もかも、今まで起きたことの何もかもを忘れられるような気がするんだ。
学校から帰ったら、じじいが母屋に来いって言いに来た。
母屋に行くなんて、薫が来てから初めてじゃないか? そう思いながら鞄を置いて、制服のまま母屋へ行った。じじいは先に母屋に戻っていた。
「来たぞ」
やっぱり勝手知ったる何とやらで、勝手に玄関から上がり、廊下から居間へと続くふすまを開けた。じじいとばばあ、そして薫が神妙な顔で座っていた。珍しいこともあるもんだ。
「どうしたんだ? 皆、様子がおかしいぜ」
そう言ってみたが、じじいはうなるばかりで、ばばあと薫は黙っているばかりだった。変な人たちだ。
何か決心したらしい。じじいが口を開いた。
「薫さんがな、お前と同じ部屋に住みたいというんだ」
へ? じじい、今なんて言った? 何か聞き捨てならないことを言っただろ。あっけに取られた。薫を見たら顔を真っ赤にしてうつむいている。
「なんだって? 冗談だろ? あんな狭くてぼろいところに? 二人で住みたいって?」
「狭くてぼろい、は余計なお世話だ。家賃が安いんだから我慢せい」
じじいがそう反論してきた。無視した。ぼろはどうしたってぼろだ。
「薫、二人で住むってどういう意味か判って言っているのか? 僕だって男なんだぞ。何されても文句は言えないってことなんだぞ?」
「ええ、よくわかっているわ」
おいおい、正気かよ。しかも普通の女の子らしい口調で言いやがった。
「お前のことが好きかどうかも判らないっていうのに? 何をされてもかまわないって言うのか?」
「ええ、何をされてもいい。何をしてもいいのよ」
言葉を失った。なに考えているんだ? この前助けた礼のつもりなのか? 一体何を考えていやがるんだ! いくら僕がどんな犠牲を払ってでも君を護りたいと、そう考えていたからって! 困惑と、怒りの矛先を変えるつもりで言った。
「説得したのかよ! じじい!」
大家夫婦を見た。彼らも困っているのが良くわかった。
「・・・実はな、創。お前に秘密にしていたことがあるのだよ」
じじいが困った顔のまま言った。秘密? なんだ?
「???」
「さきおととしの今頃だったか、お前の親父さんから国際電話をもらってな。お前にぴったりの娘さんを見つけたからどうしても知らせたいという電話だった。許婚にしたいと。そして、先方も乗り気なのだと。こうも言いおった。何より娘さんがお前を好いておるのだとな」
「どういうことだ?」
「まあ、聞け。そしてな、自分たちはこの国に骨を埋める覚悟だと言いおった。テロに遭って死んでしまっても構わないと。それでもやりたいことがあるのだと。創は家族を護るつもりで訓練施設に入ったが、自分たちのわがままに付きあわせるつもりは毛ほどもないのだとな」
「あ、兄貴はどうだったんだよ? そんなに年なんか変わらないんだぜ!」
叫んでいた。頭に血が上っている。こんなの今までには無かった。
「お前の兄も父親と同じ考えだった。わざわざ電話を代わってな。本人がそうはっきり言いおったわ。わしには何も言えんかった。そしてな、お前の父はこう言ったのだ」
「なんて言ったんだよ!」
また叫んでいた。どうやら逆上しているようだ。
「創は許婚と日本の高校に通わせたいと。そして平穏な、平和な生活をさせたいと」
「そ、そんな・・・」
あの土地に骨を埋めるなんて。最初から死ぬつもりだったのか? 僕だけ日本に返すつもりだったのか? じゃあ、僕のしたことに何の意味があるんだ? 何の意味があったんだ? このつらい思いは? 今まで感じてきた苦悩は? この苦しみの意味は?
「でな、許婚の件は本人にはいずれ話すが・・・」
「ふざけるな!」
そう叫んで母屋を飛び出した。後ろから、まだ話はおわっとらんぞ!と言うじじいの声と、待って!と言う薫の声がした。でも、部屋に駆け戻ってドアに鍵を掛け、相変わらず何も載っていない卓袱台を蹴っ飛ばし、悪態をついて壁に寄りかかった。
すぐに薫がやってきた。冷たく、母屋に帰れと言った。今は誰とも顔をあわせたくないと、誰とも話したくないと言った。
なんてこった。
死ぬほどつらい思いをしたのには何の意味があったんだ?
あのつらい訓練を思い出さない日は無いんだ。
CQC。射撃訓練。狙撃訓練。砂漠にたった独り、装備無しで放り出されてのサヴァイヴァル訓練。要人警護訓練。要人暗殺訓練。爆弾解体訓練。屋内侵入訓練。他にも、言いたくないほどのプログラムの数々。再起不能の怪我をして去っていった仲間たち。そして、僕が殺したたくさんの仲間たち。
フランク、フレデリック、アンドレ、サイクス、デュプレ教官、そしてリチャードおじさん。
あのテロの光景を思い返さない日は無いんだ。
白昼のカフェテリア。白い煙。強烈な衝撃波。爆発音。たくさんの人の悲鳴。うめき声。土埃の臭い。瓦礫の山。血の臭い。そして、死体の山。護ろうとしてできなかった家族の死体。目の前にある半ばばらばらになった家族の死体。
何のために生きてきたんだ? いまだに生きている意味は? 僕はなぜここにいる?
しばらくしてから、どうやら頭の中で燻っていた熱は冷めたらしい。いつの間にか薫のことを考えていた。とても美しく、僕の心を掴んで離さなかった薫のことを。薫の甘い芳しい匂い。抱きしめられたときに感じる優しく、柔らかい彼女の身体。そして、彼女の優しい言葉。自分が癒されるような、そんな言葉。




