平穏な日々 #16
五月三十一日
今日は十七回目の誕生日だ。家族と最後に過ごした去年の誕生日を思い出して悲しくなった。またいつもの奴が来た。忌まわしい記憶のフラッシュ・バック。そして胃の痛み、暗転する世界、猛烈な吐き気。
すぐに平静を取り戻せた。まだ登校前だった。
いくら今日が僕の誕生日と言っても、誰も気にしていないだろうから関係ないようなものだ。そう思っていた。
でも、それは間違っていた。
学校に着いた途端、片桐さんに呼び止められた。彼女は少し恥ずかしそうに、小さな箱を寄こしながら言った。
「今日お誕生日でしょ? おめでとう。つまらないものだけどプレゼントよ」
「覚えてくれていて嬉しいよ。どうもありがとう」
箱を開けてみたら、銀製のブレスレットだった。どうやら前に一緒に食事した時に、アクセサリーをいくつもしていたのを覚えていたらしい。
菅野さんにも呼び止められた。
「今日、誕生日なんですって? おめでとう。はいこれ、プレゼントよ」
「ありがとう。開けてもいいかな?」
「ええ、いいわよ。あなたに必要なものを選んだつもりなんだけど」
紙袋を開けてみたら、参考書とノートが入っていた。・・・確かに必要なものかもな。
教室に入って席に着いた。薫がやってきた。
「創。これをやろう」
彼女はそう言って自分の首からネックレスを外し、手渡してきた。彼女の温もりの残っている、ブラックサファイヤがはまったペンダントヘッドのネックレス。チェーンの長さは僕にちょうど良い長さだった。
「この石は魔を祓うと言われておるそうだ。お前の誕生日の記念にこれをやる」
「ありがとう。でも、いいのか? 大事なものじゃないのか?」
薫にそう聞いたら、彼女は少し顔を赤くしながらこう言った。
「構わぬ。私と思って大事にしてくれると嬉しい」
村上はこうしたやり取りを全部見ていたらしく、奴に一日中冷やかされた。
昼休みになった。チャイムが鳴った途端に、薫が少し硬い表情でやって来た。彼女は手に袋を持っていた。
「創。屋上へ行くぞ。着いてこい」
屋上へ着くと、薫はまだ少し硬い表情で、周りに誰もいないことを確認していた。
「創。昼餉を一緒にしよう」
「?」
「ちゃんとできていなくて恥ずかしいのだが、創のために弁当を作ってみたのだ」
見ると、おかずの入ったタッパーウェアと何とも言えない形をしたご飯のかたまりが袋に入っていた。
「もしかして、これっておにぎり?」
「そ、そうだ。どうも上手くおばばさまのようにはできなかったのだ。不味かったら食わなくても良いぞ」
まあ、形はどうでもいいだろう。そう思って口に入れた。ちょうど良い塩加減だった。
「形はともかくとして、味は良いよ」
「そ、それは良かった。たくさんあるのだ。全部食べても良いぞ」
そういうわけにもいかないってば。
薫の気持ちが嬉しかった。ついでに、おにぎりを三角にするやり方を教えてやった。彼女は少し恥ずかしそうに、そして少し嬉しそうに僕の講釈を聞いてくれた。
「また作ってきても良いか? 作ったら食べてくれるか?」
そう聞いてきた。皆に言ったことを薫にも言った。
「作って欲しいときは僕からお願いするよ」
「いつでも言ってくれ。待っておるぞ。料理がもっと上手くなりたいのでな」
不思議な口調で、嬉しそうに笑いながら言った。
僕と家族が大事にしていた薫が、どんな犠牲を払っても、どんなに僕が苦しんでも護ろうとした薫が、以前と同じ表情で笑いかけてくれた。
六月五日
今日は何かに振り回されることも無く、いつもの奴も来なかった。そして平和に一日が過ぎていった。
そう、帰宅途中までは。
最後の授業も終わり帰ろうとしていると、片桐さんが来て、予想もしていなかったことを言った。
「御堂君。一緒に帰りましょう」
「? 迎えの車が来るんじゃないの?」
そう、いつも彼女は車で登下校していたのだ。それが許されるほどに彼女の家は裕福だった。もちろん、思いもつかないほどに。そして高貴な家柄でもあるらしい。
「いいのよ、今日は。もちろん送って行ってくれるんでしょう?」
有無を言わせない口調だ。やれやれ、だんだん昔と同じになっているな。丸くなったと思ったのはどうやら気のせいだったらしい。
「送っていくよ」
そう答えるしかなかった。そして僕らは学校を出て、彼女の家へ向けて歩き始めた。
片桐さんは楽しそうに何かの歌を口ずさんでいる。特に会話も無いのにずいぶんと嬉しそうだな。そう思ったときだった。
細い道を歩いているときに前方から白のメルセデスが走ってきた。道の片側に寄ってやり過ごそうと思った。ふと後ろを振り返ったら、黒のセルシオがゆっくりと近づいてきているのが見えた。その道は車がすれ違うのがかなり大変なくらいに細かった。頭の中で、訓練所での光景がフラッシュ・バックした。
細い道。挟み撃ち。銃撃。要人の警護。銃撃。脱出。何度もやった。やらされた。
いつの間にか、冷静に手順を思い出していた。脱出経路の確認。同時に相手の人数と武器の確認。安全の確保。そして脱出。考えろ、そして行動しろ。
片桐さんの右側に寄り、鞄の持ち手を左腕に通して手のひらを自由に使えるようにした。いつでも左手で彼女を引きずり倒せるように。彼女が壁際に近くなるように。囲まれたときに間に入れるように。相手の人数は、乗用車二台なら最大で十人。前も後ろも完全に封じられているわけではなかったが、走って逃げるには分が悪い。一台を奪って逃げる方が手っ取り早い。前から来ているメルセデスのほうが、立っている場所に近い。そいつを奪って後進する形で逃げ出す。一瞬でそれを決断した。何も起こらなければそれはそれで良いことだ。
果たして、悪い予想は当たってしまった。
少し離れたあたりで二台の車はどちらも道の中央で停車した。ドアが開き、スーツを着てサングラスを掛けた男たちが出てきた。どうしてこういうシーンになると皆同じような服装をするんだろうか? ふとそんなことを思っておかしかった。
「片桐由紀さんだね。悪いが一緒に来てもらおうか」
紳士的に男の中の一人が言った。
「嫌よ。あんたたちと一緒に行く理由なんてないわ」
片桐さんはそう言った。その言葉を予想していたんだろう。男たち(八人だった)は僕らを囲むように展開した。壁際に近かったから、背後は彼らも取れなかった。
武器を取り出す素振りはしていなかったが、何人かのズボンの腹の部分にハンドガンが挟んであるのが見えた。皆リヴォルヴァーのようだ。前から来た車のほうへ少しずつ位置をずらしていった。もちろん彼女の手を左手で掴んで。
「すまないが力ずくでも来て貰うよ」
男はそう言って、仲間に目配せした。一番近かった一人が彼女に掴みかかろうとした。その男の右腕を、左手を使って後ろ手にねじりあげ、男の体を連中に向けながら、悲鳴を上げるそいつの胸ポケットや腰の辺りを右手で探り、銃や他の武器が無いかを確かめた。
やっぱりベルトにリヴォルヴァーが挟んであった。腕の力を弱めずにそのハンドガンを引き出した。撃鉄を起こしながら奴らに銃口を向け、男を盾にして車の助手席側へ、片桐さんを背後に隠して近づいていった。
「ほう、どうやら男の子の方は心得があるようだな。珍しいこともあるもんだ」
ターゲットに逃げられるかもしれないのに、リーダー格の男はそう言ったらしい。でも僕の耳には届かなかった。
「片桐さん、ドアを開けて助手席に乗るんだ。早く!」
彼女に冷たい声でそう指示していた。彼女が慌てて助手席に座ったのを横目で見た。運転席側へ男を盾にしたまま移動した。そして盾にしていた男をそいつの仲間のほうへ蹴り出し、リヴォルヴァーを奴等に向けたまま運転席に座り、ギアをバックにしてアクセルを踏み込んだ。後ろを見ながら、他の車が来ていないことや人が近くにいないことを確認した。
「片桐さん、伏せて! できる限り低く!」
また彼女に冷たい声でそう指示していた。片桐さんは顔を真っ青にしながら、言うことを聞いて低い姿勢をとっていた。
すぐに銃弾が飛んできた。何発かはわからなかった。でもそれはすぐにやんだ。二発がフロントガラスに当たり、ひびが入っている。
「ばかやろう! 誰が撃てって言った! チャカは使うなつったろうが、ボケどもが! てめぇらコンクリ抱いて東京湾に沈みてぇのか!」
リーダー格の男がそう言ったらしかったが、「ば」しか聞こえていなかった。
車は路地を抜け出し、サイドブレーキを使って車を転回させ、ギアをドライブに入れてアクセルを大きく踏み込んだ。ホイールスピンしないようにぎりぎりのところまで。
バックミラーを見ると残りの一台は追いかけてきていないようだった。さほど切羽詰っているというわけでもないように。
そのまま車を最短距離で彼女の家まで走らせ、彼女を家に送り届けた。待ち伏せをされていたのがわかっていたので、これからどの経路を取ろうが起きることは一緒だと判断したからだ。こうした時は、逃げ込むまでの時間が短い方がこちらに有利になる。
車が門の前に着いた時には無意識に周囲の状況を確認していた。彼女の家はいわゆる豪邸で、門から玄関まで車で入れる造りになっている。何も異状が無いことに少し安心して、それでも片桐さんの顔を窓越しにカメラ付きのインターフォンに写させ、門を開けてもらい、そして車を中に入れた。
年嵩の使用人(いまどき使用人がいる家があるなんてな)が出てきて、僕らが見慣れないメルセデス(しかも弾の当たった跡がある)から降りてくるのを硬い表情で見ていた。彼に起こったことを話し、銃と車の処分を頼んだ。その人はにっこり笑って言った。
「承知しました。お怪我が無くて何よりです。後のことは私どもで対処いたしますのでご安心ください。今日はご自宅までお送りしましょう」
そして彼女が学校に来るときに使っているベントレーで部屋に帰った。ずっと気分が悪かった。帰った途端、トイレへ駆け込んで、そして吐いた。
そして訓練所での出来事と、さっきのことを思い出して暗澹たる気分になっていつまでも眠れなかった。




