平穏な日々 #14
五月十三日
薫と海に言った翌日から、誰とも喋っていない。休み時間には校舎の外に出てふらふらして、昼休みには屋上にある僕しか知らない秘密の場所に隠れた。放課後は早々に学校を出て、バイトも休んだ。毎日バイクで深夜まで走り回った。あの忌まわしい記憶の数々が頻繁にフラッシュ・バックした。ひどい胃の痛みと猛烈な吐き気を伴って。
今日の昼休みは、タイミング悪く購買が混雑していてパンを買うことができなかった。学食は座れないほど混んでいた。登校途中にパン屋へ寄ることができなかったんだ。仕方なく昼食を諦め、いつものように屋上へ向かった。
屋上に着くと、村上が弁当を食べながら待っていた。
「遅かったな。結局パンも買えなかったのか?」
「ああ」
「いったい何があったんだ? 最近のお前はどこか変だぞ?」
「心配してくれるのは嬉しいが、言いたくないんだ」
「心配しているのは俺だけじゃないぞ。お前に関わりのある連中皆だ。菅野も片桐さんも、薫さんもだ」
「言いたくないものは言いたくないんだ」
「それは確かにそうだ。でも、誰かに言ってしまうと楽になるって事もあるんだぜ」
しばらく考えていた。なぜかこいつには話す気になった。なぜと言われても困るけれど。
村上は弁当を食べ終わり、紙パックのコーヒーを飲みながら空を見上げている。
「・・・・・そうだな。誰にも言わないって約束できるか?」
「ああ、約束する」
「頼む・・・・・去年の夏ごろまで外国にいた話はしたよな?」
「ああ、聞いた。どこにいたかは聞いてないが」
「中東にいたんだ。今は内乱状態になっているX共和国」
「そうか」
「そこで家族三人を爆弾テロで失った。目の前で皆死んだ。他にも大勢死んだ。僕は重傷を負ったが死なずに済んだ。そして身寄りが無くなって日本に帰ってきた」
「・・・・・」
「忘れたかった。平穏な日本に戻ってきて忘れようとした。でも忘れられるもんじゃなかった。絶対に忘れることなんてできるもんじゃない。それはよく解っている」
「・・・・・」
「中学に入る頃に、父親の仕事の関係で中東に移った。治安はあまり良くなかった。自衛する必要性を子供ながらに感じていた。父親に頼んでトレーニング施設に入ることにした。・・・その施設では、過酷な訓練の連続だった。特殊部隊員の訓練施設みたいだった。実際そうだった。重いハンドガンを自由に操れるように訓練した。大きなカービン銃を自在に撃てるように訓練した。スナイパー・トレーニングもあった。ナイフを使った訓練もあった。本物のナイフだ。近接戦闘術、CQC、クロース・クォーター・コンバットって言うんだ。音を立てずに相手を無力化する。簡単に言うと、ナイフか素手で相手を殺す訓練。訓練生の何人かは目や耳や指を失って去っていった。そして何人も死んだ。たかだか十三歳かそこらで、大人でも音を上げるような訓練をクリアしていった。その施設は、どんなに延長しても一年で放り出される決まりだった。教官は残念がっていた。自分の部隊に入れてもっと訓練したいと言っていた。でも、もう嫌だった。うんざりしていた。うんざりしているのに訓練どおりに体は動いてしまう。そのことも嫌だった。・・・そしてその施設を出て家に戻ったときに、薫と彼女の家族に出会ったんだ」
玲子先生にも話せなかったことを、話さなかったことをこいつには話していた。
「・・・そうだったのか」
「薫は方向音痴のくせに、護衛を撒いてあちこち出歩くのが好きだった。心配で見ていられなかった。だからいつも彼女と行動するようになった。ボディ・ガードって言っていたのはそういう訳さ。・・・そんなある日、彼女は僕さえ撒いてスラムの裏道に逃げ出したんだ。裏通りは無法地帯だった。治安の悪い地域には悪い奴も一杯いる。ヴェールをまとって顔を隠していても、外国人で若い女性が一人で薄暗い裏道をうろうろしていたら、レイプしてくれと言っているようなものだった。・・・あの街だったから起きたわけじゃない。日本でも、アメリカでも、世界のどこででも起こることさ。・・・夕方だった。必死で彼女を探した。路地の奥から彼女の悲鳴が聞こえた。奴らは何人かで彼女を犯そうとしていた。ナイフで彼女を脅していた。たどり着いたとき、彼女は腰を抜かしていた。彼女に奴らの手が伸びようとしていた」
「・・・・・」
「護身用として、訓練の時に使っていたハンドガンをいつも持っていた。そして、いつの間にかハンドガンを出していて、奴らに向けていた。狙いもしなかった。何も考えていなかった。いつの間にかトリガーを引いていた。人数分の回数。奴らは全部で五人いた。だから撃った数は五発。三発は奴らの胸に当たり、二発は奴らの頭に当たった。頭に銃弾を食らった奴は即死していた。込めていた弾が貫通力の弱いホローポイント弾だったから、胸に当たった奴もしばらくすれば死ぬ状態だった」
絶対に他人には知られたくないことまで、なぜか話していた。言葉が止まらなくなっていた。
「そんなことがあったのか・・・」
「薫を助け出せて安心したのと同時に、訓練通りに、ハンドガンだけで、五人全員を始末できたことに後悔した。自分が殺人マシーンになっていたのがわかった。何の迷いもなく、躊躇いもせずに相手の頭や胸を撃ち、致命傷を負わせたんだ」
「・・・お前は普通の人間だぜ。少し変わっているけどな」
「・・・ありがとう。・・・そしてこの前、薫と海に出かけて、また同じようなことが起きたんだ」
「何だって?」
「相手は四人だった。薫に触っていた男の腕を後ろ手にねじりあげた。そいつの腕からは鈍い音がした。残りの連中の股間を蹴り上げ、前かがみに崩れるところで鳩尾の辺りに拳を叩き込んだ。そして倒れた連中の腕の細いほうの骨にワークブーツの踵を落としていた。何の意識も無く。焦りもせず、こうしようとも思いもせずに・・・」
「そうだったのか・・・」
「菅野さんと駅前で出くわしたときもそうだった。相手は三人だった。掴みかかってきた奴等をほんの少しの力で、蹴ったり掌底を打ち込んだりしただけで排除した。たった一年の訓練がこんなにも身についていて離れないことを嫌というほど知った。やっぱりただの殺人マシーンでしかないのかもしれない。薫や菅野さんを助けようと思ったのなんて最初のほんの一瞬だけで、後は体が勝手に動いていたんだ」
村上はしばらく黙っていた。
「聞かないほうが良かっただろう?」
そう言ってやった。こんな話は僕一人が抱えていれば良いんだ。
「・・・いや、聞いてよかったよ。・・・お前がそんなにつらくて悲しい思いを抱えているなんて、今まで思いもしなかった。・・・でも、やっぱり普通の人間だぜ。俺と何にも変わらない。女の子が苦手って言うところは俺と違うけどな」
「・・・・・ありがとう」
なんと表現したら良いのかわからない複雑な気分だった。気分は良くなかったが、不思議と玲子先生に話したときのような状態にはならなかった。
「悩むのは解る。それをとめるつもりも無い。だけど、たまには俺と一緒にバカをやって騒いだりしようぜ。どうやらお前にしてやれるのはその程度らしいからな。そうだ、女の子を誘って遊びに行こうぜ? お前、女の子は苦手だって言っても最近はデートとかしているみたいじゃないか」
「・・・そうだな。そうするか」
こいつはいつも女の子の事しか考えていないのか?
「じゃあ、誰が良い?」
おいおい、気が早いな。
「誰でも良いさ。任せるよ」
「おいおい、好みのタイプくらい言ってくれないと困るんだけどな」
「うーん、困ったな」
「顔とスタイルの順番で行けば、薫さん、片桐さん、菅野だな。お前、どう思う?」
「うーん、困った」
そりゃ薫が一番だろう。僕の心を掴んで離さなかった、あの美しい薫が。
いつの間にか、いつものやり取りに戻っていた。
「女の子が苦手とか言っても限度があるぞ。そろそろ理想の女の子像とか、好みのタイプとか、女の子と行きたい場所とか決めろよ。・・・あ、でもな。エッチだけしたいとか言うのは無しな」
「なんでだ?」
「金がかかるし、もし病気を持っていたら後が大変だ。それにな、エッチは好きな子とするから気持ち良いんだぜ」
また知ったようなことを言う。
「じゃあ、お前は経験あるんだ?」
「ま、まあ、そ、それは今度じっくりとな」
村上は慌ててそう言って、そそくさと逃げ出した。
あいつらしいや。そう思った。
村上のおかげで少し気分が楽になった気がする。胃の痛みも吐き気も無かった。




