平穏な日々 #11
四月十六日
昼休み、食事が終わった頃に村上が珍しく屋上へやってきた。何だか複雑な表情をしている。
「よう、どうしたんだ。しけた顔しているな」
煙草に火を点けながらそう言った。
「お前、菅野のことどう思う?」
「何だよ、ずいぶんいきなりだな。別に何とも思っちゃいないさ。この前煙草を注意されたくらいだな。ええと、あと駅前で会ったか」
何かあったのだろうか。聞いてみることにした。
「何かあったのか?」
「・・・あいつに告白した奴がいたんだ。菅野は結構可愛いほうだろ? 狙っている奴は結構多いんだよ。でな、菅野はそいつのことを振ったんだ。その時にな、お前の名前が出た」
「何だって?」
耳を疑った。
「菅野は、好きな人がいるから付き合えませんって言ったらしい。それでな、好きな人は誰なのかって聞かれて、お前だって答えたそうだ。」
「冗談だろ? 嘘を言っても無駄だぜ」
「誰が好き好んで女の子がらみの冗談とか嘘をお前に言うかよ。告白した奴は俺の中学からの友人でな、半分泣きながら俺に相談してきたんだ」
やれやれ。よりによって僕の名前を使ってくれるとはね。
「さっきも言ったけど、菅野さんのことは何とも思ってないぜ。なにしろ煙草を注意されたときに初めて名前を知ったくらいだからな」
「そうか」
「そうさ」
「まあ、いい。それはわかった。だけどな、お前は女の子が苦手で興味も無いって言うけど、女の子たちはそうは思っていないってことを忘れるなよ。」
「どういう意味だ?」
「自分で考えろ。あのバレンタイン事件がヒントになるだろ? まったく、すぐ近くにこんなにいい男の俺様がいるっていうのによ」
何だか愚痴り始めたぞ。まあ、放っておこう。
「とりあえず奴には、御堂本人にその気は無いって言っていたと伝えておくさ。いいんだろう?」
「良いも悪いも無いさ。何しろ彼女のことなんか知らないのと同じなんだから」
そう答えた。
「ああ、誰か俺を好きになってくれる女の子はいねぇかなー」
村上は誰に言うともなく背伸びをしながら言った。
「そのうち現れるだろ。気にせず待つことだ」
慰めにも似た言葉をかけてみた。
「そうだな。俺様はこんなにいい男なんだからな」
打たれ強いと言うか何と言うか。思わず苦笑してしまった。
四月二十二日
相変わらず平和で平穏だ。時々、あの忌まわしい記憶の数々がフラッシュ・バックして、猛烈な胃の痛みと吐き気が僕を襲っている以外は。
今日、クラスに転校生がやって来た。女の子だった。
その子は片桐由紀と名乗った。教室を見渡して、僕を見つけるとちょっと驚いたような表情をした。
最初の休み時間に彼女は僕の席のところへやってきてこう言った。
「御堂君。久しぶりね。小学校の卒業式以来かしら」
彼女の記憶は無かった。
「悪いが、君のことは覚えてないな。でも覚えていてくれて嬉しいよ」
「相変わらずね。本当に全然変わってないのね、安心したわ」
彼女はそう言って笑った。笑顔がよく似合う可愛い子だなと思った。
彼女はあっという間にクラスの連中(特に男子)に囲まれ、質問責めにあっていた。でも彼女はそれを上手くかわして、自然な雰囲気で女子の輪の中に入り込んで行った。
昼休み。相変わらず、一人で屋上にいて食事をしていた。パコ・デ・ルシアのアルバムを聴きながら、本を読んでいた。なんとなく煙草を吸う気分じゃなかったので、今日は吸っていなかった。
「おい、御堂」
村上がいつの間にか屋上に来ていて、声をかけてきた。
「何だ?」
「お前、あの片桐さんとは小学校の同級生だったんだって?」
「そうらしいな。全然覚えていないけれど」
「うらやましいなぁ。あんな可愛い子と知り合いだなんてよ。で、どう思う?」
またか。そういう話題には閉口しつつある。どうでもいいじゃないか。
「特に何も」
「おいおい、本気で言っているのか? まあ、それもお前らしいか。彼女、あっという間に学校中の話題になってるぜ。何しろスタイルが良くて、しかも美人だからな」
「ふーん」
「狙うんなら今のうちだぜ。放っておくと誰かに持っていかれちまうぜ。いいのかよ?」
そうは言うけど、こっちは何の感情も持ってないぞ。
「今のところ興味ないな」
「もったいないな。せっかくのいいチャンスだと思うんだけどな」
そう言われてもなぁ。
「そういうお前はどうなんだよ? お前が言った言葉をそっくりそのまま返してやるぜ」
「俺はいいんだ」
「そうか、好きな子がいるのか」
「まあ、そういうことにしておいてくれ」
こいつは時々、意味不明なことを言う。
四月二十九日
今日は祝日で休みだ。早起きしてバイクで走る気にもならず、そのまま惰眠をむさぼっていた。
電話が無遠慮に鳴って、眠りの底から無理やり引きずり出された。
「もしもし」
「おい創。話があるから身支度を整えてすぐに来い」
大家のじじいだった。
「ちょっと待ってくれよ。こっちの都合は関係なしかよ?」
「どうせ無駄にだらだらと眠っていたのだろうが。いいからすぐ来い」
どうやらお見通しのようだ。
仕方が無いので眠気覚ましにシャワーを浴び、コーヒーを飲みながら服を着た。そして、じじいの言うとおりに母屋へ向かった。
「来たぞ」
勝手知ったる何とやらで、挨拶もそこそこに母屋に上がり居間へ入った。何が待っているのかも知らないままで。
「やっと来たか。遅いぞ」
大家夫婦の向かい側に座っている人間を見て、驚いて何も言えなくなってしまった。
薫・マリア・リューリク。
あの綺麗な顔、しなやかな身体つき。そしてあの甘く芳しい匂い。それは中東の、あの空港で別れた時と変わっていなかった。
そして、僕と家族が大事にしていたあの薫がここにいる。どうしても護りたかった、家族と同じように護りたかった薫が。どんなに僕がつらく、苦しんでいるとしても、どんな犠牲を周囲に強いることになっても護りたかった薫が。なぜかここに居る。
何でこんな所に居るんだろう? ロシアに帰ったんじゃなかったのか? そう疑問が湧き出てくるのが抑えられなかった。
思考がストップした。でもそれは一瞬のことで、冷静に言葉を出した。
「やあ、久しぶり」
「久しぶりだな、創。元気そうで何よりだ」
相変わらずの男言葉で彼女は言った。
「ところで、なんでこんなところに?」
「今度こちらに留学することになったのだ。それで、私のホームステイ先がこちらというわけだ」
留学? わざわざ日本へ? ハーバードとかケンブリッジじゃなくて、日本?
大家夫婦の姿がふと目に止まった。何だか意味ありげにニヤニヤして居やがる。
「創、嬉しいだろう? どうだ、久しぶりの彼女は?」
もっと他に言い方が有るんじゃないのか?
「正直言って驚いてる。今はそれしか言えないな。で、アパートに住まわせるのか?」
「ばかもん。そんな事できる訳が無いだろうが。お前みたいな獣と一緒の建物になんて住まわせられん」
獣扱いかよ。
「このお嬢さんには母屋に住んでもらう。で、お前は今日から我々が呼んだとき以外には母屋に立ち入ってはならん」
何だそりゃ? まあ、くどいお喋りに付き合う必要が無いのならそれはそれでありがたい。で、じじいの言うことを了承することにした。
「わかった」
「話はそれだけだ。帰っていいぞ」
「ああ。じゃあな」
腰を上げ玄関に向かいかけたところで、薫が後ろから声をかけてきた。
「創。もしかして、私がここに来たのが迷惑だったのか?」
「なぜそんなことを?」
「お前の表情が以前見ていたときと違って、とても硬かった。怖い顔をしていた」
そんな顔をしていたかな?
「特に意味は無いさ。さっき言った通り、ちょっと驚いていただけだよ」
それだけ言って、母屋を後にして自分の部屋に戻った。
それから愛車で、意味も無く海へと向かった。




