忌まわしい記憶 #2
武器の描写があります。苦手な方はご注意を。
厳しい訓練所生活
最初の一週間は基本的な射撃訓練だった。シューティング・レンジで、ぶら下がっているターゲットを撃つ。ただ、普通の射撃訓練と違うのは一日、そう一日中、食事の時間と排泄の時間、それにマガジンに弾を詰めている時間を除いて撃ちっぱなしなことだ。しかも、マガジン・チェンジの時間を掛けないことが強制された。撃ち終わってからマガジン・チェンジし終わるまでに三秒以上かかると、教官の蹴りが飛んできた。
僕は最初のうち何回も蹴られた。回数がわからないくらい蹴られた。いくらグロックが弾を入れた状態で八百グラム強しかなくて、他のハンドガンよりも軽いとは言っても、子供の手でずっと射撃姿勢を維持するのには無理があった。腕がしびれ、足ががくがくした。
それでも僕は最初の目的を忘れてはいなかった。だから、泣きたくなるのを我慢して撃った。トリガーを引き続けた。
次に狙撃訓練をさせられた。屋外にあるシューティング・レンジで数百メートル先のターゲットを撃つ。これも一日中やらされた。アサルト・ライフルを使って。スナイパー・ライフルを使って。ターゲットを外すと、やっぱり蹴りが飛んできた。やっぱり最初のうち何回も蹴られた。
その次はCQCを一日中やらされた。ジェームズにナイフを持っていないのかと聞かれ、持っていないと答えたら、彼は自分のジャケットから自分がいつも使っているストライダー製のタクティカル・ナイフを出して、僕にくれた。そして何も知らなかったので、特別に教官が一人、付きっ切りで教えてくれた。一週間個人授業が続いた。
そんな中、ジェームズに呼ばれ、とんでもないことを命令された。
「ツクル・ミドウ。お前は今日から二一○○時から二二三○時まで、毎日、射撃と狙撃そしてCQC訓練を一日ごとに行え。反論は許さん。指導と監視にジンマーマン教官をつける。以上だ」
呆然とした。なんだって? こんなにきついのにさらに訓練しろと?
横にいたジンマーマン教官(この人は意外と人当たりが良くて親切にしてくれた)が僕を見て、諦めろというような表情をした。仕方なくジェームズに、わかりました教官、と言って教官室を後にした。
やっぱり同じ事の連続だった。何度も蹴られた。でも、射撃・狙撃・CQCのパターンを何回か繰り返すうちに蹴られなくなった。短期間に上達していくのをジンマーマンは驚いたような顔をして見ていた。
「ツクル、お前、本当に今まで銃を扱ったことが無かったのか?」
「ええ、日本では銃の所持は原則的に禁止されていますから。何もかも初めてです」
「その割には上達が早すぎる。お前にはこういう才能があるのかもな」
嬉しいような嬉しくないような、そんな言葉をかけられた。
そんなことをしている間に、半年が経った。ジェームズのところへ行き、訓練所との契約が半年になっていることを説明し、小隊からの離脱を要求した。
でも、彼はそれを認めなかった。反論したら殴られた。
「訓練の都合によって、講師、もしくは教官が期間の延長をすることができる、と規則に書いてある。契約書にもだ。貴様の離脱は認めん。訓練の都合で、半年間の延長だ」
彼はそれだけ言って、教官室からどこかへ去っていった。
いろいろなプログラムがあった。対バス・ジャック作戦。ハイ・ジャック機奪回作戦。人質救出作戦。家屋内侵入と制圧作戦。屋内での突入作戦。市街地での銃撃戦。要人警護。要人暗殺。爆発物の発見・解体。建物や橋などのオブジェクトの爆破。ロープを使ってのラペリング降下や屋内突入。パラシュートを使っての降下作戦もあった。
何もかもが初めてで、戸惑うばかりだった。それでも死にたくなかったから、必死に皆に、大人の皆に付いていった。
最初のうちは、全てのターゲットが板でできていた。僕らは実弾を使ってターゲットを撃ち、プログラムを消化していった。
ある日、突然装備品無しでの集合を命じられた。ナイフも、ハンドガンも無し。そして屠殺場へ連れて行かれる牛か豚のようにトラックへ詰め込まれて、砂漠へ向かった。何も知らされてはいなかった。
バスは何時間か走っていた。バスがスピードを落とし、停車した。デュプレという教官が出てきて、外から言った。
「これから、貴様らを訓練所を中心に弧を描く形で一人ずつ置いていく。訓練所への到達期限は三日後の一七○○時だ。遅れることは許さん。目標までの距離は約百キロだ。簡単だろう? 水をこれから一人につき二リットル支給してやる。それでは訓練開始だ」
そうして、灼熱の砂漠へ放り出されることになった。
幸いにも、ポケットにヌガーを五個ほど持っていた。食事のときはさすがに何かを強制されることはなく、食べ放題だった。必ずと言って良いほどヌガーもたくさん用意されていた。僕はそれをいつも何個か持っていた。まあ、皆がしていたのを同じように真似しただけだったのだけれど。
手持ちは五個のヌガーと二リットルの水だけ。それで百キロの道のり(しかも砂漠だ)を歩かなければならなかった。
単純計算で一日当たり約三十三キロちょっと。ヌガーは一日に一つちょっと。水は一日に約六百六十CC。トラックが去ってしばらく呆然として動けなかった。何でこんな所にいるんだ? 家族を護るのに必要なことなのか?
砂漠は昼間には極端に暑く、夜には極端に寒くなる。その程度の知識しかなかった。教官は僕を置いていくときに、お前の目標は真南だと言った。南ってどっちだろう?
ちょうどその時、夕暮れが近かった。感覚が曖昧なまま、南だろうと思った方向へ歩き始めた。そして、日が暮れて星が出始めた。満天の星空はとても綺麗で、心を奪われた。でも、冷静に北極星を探し(そのくらいはできた)、南の見当をつけて徹夜で歩くことにした。つらかった。苦しかった。足が痛かった。
そして、朝が来て次第に太陽が頭の上のほうに来た。暑かった。歩くのを諦めて、徹夜で歩いていたから眠ることにした。日陰が欲しかったから、砂漠に穴を掘った。ちょうど良い場所を探すのに苦労した。そして日が暮れるのを待って、また歩いた。それを繰り返した。
周りにはサソリや蛇やいろいろな虫や動物がいた。砂漠にもいろいろな動物がいるのだな、と変なところに感心した。幸い、刺されたり噛まれたりしなかった。
放り出されてから三日。どのくらい歩いたのかわからなかった。時計を見ては焦っていた。一五三○時になった。とにかく暑くても歩くことにした。
我慢して歩いていたら、遠くの方に建物が見えた。とにかくあそこに行こう。そう思った。訓練所じゃなかったとしても車で送ってもらえるだろう。そう思った。半ば朦朧としていた。
リミットの一七○○時。それが近かった。焦って歩いた。ようやくたどり着いた。
建物は訓練所だった。門番(もちろん重装備だ)に所属と訓練生番号、そして姓名を名乗り、訓練終了を伝えるように頼んだ。すると、しばらくしてジェームズとジンマーマンが走って来た。二人はなぜかほっとしたような顔をしていた。
「よくやった。訓練終了時刻一六五六時」
でも、二人にかけられたのはその一言だけだった。
戻って来なかったのが二人いた。後で聞いたら、サソリか何かに刺されて死んでいたそうだ。
犠牲者は砂漠から戻ってこなかった二人だけじゃない。




