平穏な日々 #9
三月十四日
あの話の後で、玲子先生に渡すプレゼントを用意した。子犬の形をしたシルヴァーのペンダント・ヘッドが付いたネックレス。値段も手頃だった。子犬にしたのは、あの玲子先生のイメージが、僕の中では子犬とダブっていたからだ。そんなことを言ったら怒られそうだけれど。
放課後。いつものように屋上に来て煙草を吸っていた。例の物をあげる事にした。
「はい、玲子先生。これ」
「? 何?」
差し出した小箱を見て目を輝かせている。やっぱり子犬みたいだ。
「チョコのお返しですよ。あと、普段お世話になっているお礼」
「開けてみていい? ねぇ、開けてもいい?」
聞きながら開けるなよ。彼女はネックレスを見て、何とも言えない不思議な表情を作った。ニヤニヤしているというか何と言うか。にんまりとしているとでも言うのだろうか。
「えへへー。もらっちゃった。創からプレゼント、えへへー」
彼女は本当に嬉しそうで、こちらが少し照れてしまうくらいだ。
「気に入ってもらえたなら嬉しいですよ」
「すっごく、すっごく気に入ったー! 可愛いー、これー。今日から毎日着けるー」
そう言いながら首にネックレスを着けた。
「ねぇ? 似合う? 似合うー?」
「ええ、とっても可愛いですよ」
苦笑しながらそう言った。そうしたら、玲子先生は顔を真っ赤にして照れてしまっている。その顔を見てまた苦笑してしまった。本当に子犬みたいだ。
「えへへー。ありがと。創」
彼女はそう言って突然、頬にキスをしてきた。びっくりしてしまった。こんなことでここまで喜んでもらえるなんて。プレゼントをして良かったな、そう思った。
三月二十三日
このところ玲子先生の様子がおかしい。放課後に屋上に来なくなった。授業中も元気が無い。どうしたのか聞くわけにもいかず、放って置くしかなかった。
今日は終業式だ。明日から春休み。四月になれば二年生になる。当たり前のことだけれど。終業式が終わってから、屋上でパコのCDを聴きながら煙草を吸っていた。なぜかすぐに帰る気にもなれなかったからだ。
屋上のドアが開いて、玲子先生がやって来た。とても悲しそうな表情をしている。
「玲子先生。何かあったんですか?」
聞いてみた。でも、彼女は何も言わなかった。しばらく沈黙が支配していた。
「・・・あのね、あのね、・・・創とは今日でお別れになっちゃうの」
何だって? 聞き間違えたかな?
「・・・急にね、転勤の辞令が出たの。ここからずいぶん離れた高校。嫌だって言ったんだけれど、教育委員会の決定だからどうにもならないって。校長と教頭に言われたの。
新しい年度から赴任しなきゃいけないの。だから、創とは今日でお別れなの」
「そうだったんですか・・・」
そう言った。それだけしか言えなかった。
「だからね、・・・だからね。最後にどうしても創に言っておきたいの。言わせて欲しいの。迷惑なのはわかっているわ。でもね、気持ちを、私の気持ちを知っておいて欲しいの」
気持ち? 玲子先生の気持ち? 何だろう。
「・・・好きよ、創。大好き」
彼女は抱きついてきて泣きながらそう言った。何も言えなかった。しばらく抱きつかれたままだった。彼女はしばらく泣いていた。泣き止んでからこう言った。
「だから、・・・あんたが、・・・もし創が、彼女が欲しいと思ったときに誰にも相手にされなかったら、私のところに来なさい。・・・私があなたの恋人になってあげるから」
「・・・ありがとう」
「あ、でもね。早く来ないと他の男と結婚しちゃうからね。決めるなら早いうちよ。こう見えても私は男の子に人気があるんだから」
最初の頃にしたように、小さな胸を張って、でも今度は泣きそうな顔でそう言った。
「わかりました。そのときはよろしくお願いします」
「待ってるからね」
彼女は泣きながら頬に軽くキスをして、そして去って行った。頬に付いた彼女のルージュを拭くこともできず、ただ呆然と見送るしかできなかった。
なんてこった。
四月二日
春休み中も、別に何も起こらなかった。いつものようにV―MAXを走らせ、たまに喫茶店でアルバイトをし、のんびりと暮らしていた。
たまに玲子先生のことを思い出した。
あの子犬みたいな、くるくると良く変わる表情。少し誇らしげにしたときのあの小さな胸。そして、最後に僕を好きだと言った言葉と頬にキスしてきたこと。
少し寂しかったけれど、我慢できた。
いつも襲ってくる、あの忌まわしい記憶のフラッシュ・バック。胃の痛み、そして猛烈な吐き気は少しずつ回数が減ってきているようだ。
今日は始業式だ。やっぱり玲子先生の姿は無い。転勤したとアナウンスがあった。
クラスはB組だ。二―B。教室は三階の階段そば。
始業式の後に、ホームルームがあって自己紹介をすることになった。あっさり言った。
「御堂創です。よろしく」
以上。終わり。なぜか女の子たちがこそこそと話しているのが気になった。




