平穏な日々 #5
慣れてきた・・・?
十月十五日
あれからちょくちょく同じ学校の女子が何人も店に来た。静かだった喫茶店がかなりにぎやかになった。でも、僕をちらちら見るのには閉口している。何だか落ち着かない。
その事を玲子先生に言ったら、少し変な顔をして黙っていた。そしたら、玲子先生まで来るようになってしまった。客が増えるのはありがたいけれど、何だか変な気分だ。
マスターは客が増えてニコニコして喜んでいる。レジを閉めるとき嬉しそうだ。
玲子先生が来るようになったら、にぎやかさ(というより騒がしさ)は収まった。
相変わらず平穏な日常を送っている。銃声や戦闘時の緊張感はまったく無かった。嬉しかった。これがずっと望んでいたものなのかもしれない。本気でそう思っていた。
でも相変わらず、訓練所でのあのつらく、悲しく忌まわしい記憶と、あのカフェテリアでの忌まわしい記憶はいつでも襲ってきた。毎日、毎晩。あの嫌なつらい胃の痛みと猛烈な吐き気を伴って。
アルバイトの無いときはほとんど、CDをかけながらV―MAXで走り回った。あちこちを。そう、山道や街中や、海沿いを。何の用も無いのに。
いつも考えていた。
中東のX共和国で、訓練所での過酷な訓練を生き残り、そして仲間を何人も殺したこと。薫を護るために何人も殺したこと。家族を護ることができず、爆弾テロで、大事な人たちを一瞬で失ったこと。
僕のしたことに何の意味があるんだ? 何の意味があったんだ? このつらい思いは? 今までに感じてきた苦悩は? この苦しみの意味は? 僕はどうしたら良いのだろう?
そのことを考えるたびに、なぜか薫のことを思い出す。あの綺麗な顔、不思議な口調、しなやかな身体つき。そしてあの甘く芳しい匂いを。とても美しくて、僕の心を掴んで離さなかった、僕と僕の家族が大事にしていたあの薫のことを。
十一月十日
相変わらずの生活だった。毎日、登校途中にあるパン屋でパンを買い、そして昼休みには屋上で音楽を聴きながらそれを食べた。そして、煙草を吸った。放課後にはたまに玲子先生と他愛も無い話をし、たまにアルバイトに行ったりした。何も無ければバイクで用も無くあちこちを走り回った。
アルバイト先の喫茶店では、いつも玲子先生がカウンターに席を占め、同じ学校の女の子たちが何人も来るようになっていた。最初に来た二―Aの斉藤さんや藤田さん、それに渡辺さんもよく来ていた。なぜだか皆が僕をちらちらと見ているようで、とても落ち着かなかった。
放課後。今日はアルバイトも無く、沈んで行く太陽を見ながら煙草を吸っていた。ただ、ぼんやりとしていた。
突然、後ろから目隠しされた。
「だーれだ?」
やれやれ。誰だかわかる声で、そんな古臭いこと普通の神経でできるのか? 信じられないぞ。
「玲子先生でしょう?」
「あったりー!」
何だかすごく嬉しそうだぞ。何を考えているのかさっぱりわからん。
「で、煙草ですか?」
「そう、よくわかってるじゃない。さすがは私の創」
おいおい。何言っているんだ? 褒め言葉になってないと思うが。仕方ない。煙草を出して渡そうとした。すると彼女はまた変なことを言った。
「煙草に火を点けてからちょうだい」
はいはい。泣く子と玲子先生には勝てませんよ。彼女の要求を呑んで、煙草をくわえ、火を点けてそれを彼女に差し出した。
「えへへー。嬉しいなっと」
やっぱり何だか変だよ。この人。一度病院に行ったほうがいいんじゃないか?
「ところでさー。創ー? あんた好きな人とかできた?」
またそういう話かよ。女性って言う生き物は、そういう話が好きだね。
「別に。今のところ興味ないです」
そう答えた。そしたら、とんでもないことを言いやがった。こいつ。いや、玲子先生は。
「もしかして・・・。創? あんた・・・・?」
「男が好きなわけじゃないよ。いたってノーマルだ。ただ、今のところ興味ない、って言ったんです」
「じゃあさ、処理はどうしてるの?」
「は?」
「処理は処理よ。あんたくらいの年頃の男の子って、そういう欲求がすごく強いんだよね。で、あんたはどうしてるの?」
「???」
しばらく考えて気がついた。性的欲求の処理方法について聞いてきているんだと。
「別に何も」
「まじで? 信じらんない。嘘でしょ?」
「いや、別に嘘を言っているわけじゃない」
玲子先生は少し頬を赤らめて、本当にびっくりした表情をしていた。
「そういう欲求が無いの?」
臆面もなく聞いてくるなよ。あんただって年頃の女性だろうが。
「無いわけじゃないけれど、考えることの方が、考えなくちゃいけないことの方が多いから・・・」
「そっか、そうだよね。ごめんね。変なこと聞いて」
じゃあ聞くなよ。そうしたらまたとんでもないことを言ってきた。
「・・・私が処理してあげよう」
「は?」
理解不能。なぜだか彼女は鍵をポケットから取り出して、屋上に通じているドアに鍵を掛けた。そんな事したって校舎側から開けられるじゃないか。気づいていないのか?
「えへへー」
少し照れ笑いをしながら玲子先生がにじり寄ってきた。少し恐怖心を覚えた。
「ちょ、ちょっと。玲子先生。冷静になりましょうよ。ね? お願いですから」
「だーめー」
まじかよ。うそだろ。クラスの男どもが回し読みしていた(僕も読んだ。恥ずかしい話だが)いかがわしい雑誌の記事そのままじゃないか? 玲子先生のこと嫌いではないけれど、そういうことをする関係ではないと思いますが。あの、先生?
「あ、鍵が開いた!」
引っ掛けるつもりでドアの方を向いた。そうしたら、案の定、玲子先生は真っ赤な顔をして、もう十分寒いのに脱ごうとしていた上着を慌てて直している。
でも、本当にドアが開いて、教頭先生がやってきた。慌ててまだ持っていた煙草を火が点いたまま後ろ手に投げ捨て、ほっとした顔で教頭に言った。
「助かりました、教頭先生。いたずらされたらしくて鍵が開かなくて困っていたんですよ。ね、二条先生?」
彼女は僕と教頭を睨んで、煙草を持ったまま頷いた。
「そうか、それはタイミングが良かったな。しかし、二条先生。生徒の前での喫煙はあまり好ましくありませんな。以後気をつけて下さいよ。じゃあ君も用が無いのなら早く帰りたまえ」
「わかりました」
良かった。助かった。大きくため息をついた。彼が立ち去ってから、玲子先生に向かってこう言った。
「玲子先生、もとネタはクラスの連中が回し読みしていた雑誌でしょう? 一体何考えているんですか? もう少しで教頭先生に見つかるところだったじゃないですか」
「えへへー、ばれてたか。でもー、それがわかるってことはー、創も読んだんだー?」
ぐっ。しまった。墓穴を掘ったらしい。
「とにかく、もうこの季節じゃこんなところであんなことできませんからね」
「じゃあ、別の暖かいところならいいんだ?」
さらに墓穴を掘ったみたいだ。なんてこった。
「えへへー、じゃあ今度はどこにしようかなー」
頭を抱えた。一体この人は何を考えているんだ? 逃げられないのか?
「創? 期待していてね。うふふ」
うふふ、って、そんな。いまどき誰もそんな笑い方しないぞ。
僕は恐怖した。




