死んだ衛星由来とみられる電波を、空から一度だけ拾った
「死んだ衛星由来とみられる電波が、観測されたんだって」
三國純は、画面を見たままそう言った。
夜の研究室には、空調の低い音だけが残っていた。
櫻未來は、机の上に置いていたマグカップを持ち上げる。
「死んだ、という言い方は少し強いですね」
「でも、60年近く動いていなかった衛星なんでしょ?」
「ええ。NASAの古い通信衛星、リレー2号です」
「リレー2号……」
「1964年に打ち上げられて、1967年には機能停止したとされる人工衛星です」
三國は眉を寄せた。
「つまり、昭和の時代に止まった機械の近くから、令和の空で電波が来た?」
「そう表現すると、少し怪談みたいですね」
「本当に衛星が返事をした、みたいな話じゃないの?」
櫻は小さく笑った。
「怪談でも、衛星が生き返った話でもありません。ただ、天文学者にとっては、かなり困る出来事です」
「困る? すごい発見じゃなくて?」
「発見ではあります。でも、喜んでばかりはいられません」
三國は椅子を引き、櫻の向かいに座った。
「順番に聞かせて。何が起きたの?」
櫻は画面に、南半球の夜空の図を出した。
「オーストラリアのASKAPという電波望遠鏡が、非常に短く、強い電波信号を捉えました」
「ASKAP?」
「広い空を一気に見ることができる電波望遠鏡です。高速電波バーストのような、一瞬だけ現れる信号を探すのが得意です」
「高速電波バーストって、宇宙の遠くから来る謎の電波だよね?」
「そうです。遠い銀河や極端な天体現象と関係している可能性がある、天文学では重要な観測対象です」
「じゃあ、今回もそれだと思った?」
「最初は、その可能性がありました」
三國の目が少し大きくなった。
「でも違った」
「ええ。詳しく調べると、その信号は遠い宇宙ではなく、地球の周りを回る人工物から来た可能性が高かったのです」
「それがリレー2号?」
「位置が一致したと報告されています。ただし、衛星が再起動したという証拠はありません」
三國はしばらく黙った。
窓の外には、街灯の光が薄く滲んでいた。
「でもさ、動いていない衛星の近くから、どうやって電波が出るの?」
「そこが、この話の中心です」
櫻はペンを持ち、紙に小さな四角を描いた。
「人工衛星を、金属や部品のかたまりだと思ってください」
「うん」
「宇宙空間には、太陽から飛んでくる粒子や、地球の磁場の影響があります。そういう環境に置かれると、衛星の表面に電気がたまることがあります」
「静電気みたいなもの?」
「かなり近いです」
「冬にドアノブを触って、バチッとなるやつ?」
「そう考えると分かりやすいですね」
三國は自分の指先を見た。
「じゃあ、古い衛星で宇宙版のバチッが起きた?」
「可能性の一つは、それです。もう一つは、微小な粒子が当たって、短いプラズマ放電のようなものが起きた可能性です」
「それだけで電波望遠鏡が驚くほどの信号になるの?」
「一瞬だからこそです」
櫻は紙に細い縦線を引いた。
「今回の信号は、時間としては極めて短いものです。けれど、電波望遠鏡から見ると、非常に明るく見えた」
「明るい?」
「電波でも、強いものは明るいと表現されます」
「でも、危険な爆発ではないんだよね?」
「そこは大事です。地上に被害を出すような強力さではありません。問題は、観測データの中でとても目立つことです」
三國は少し納得した顔をした。
「つまり、人間の目で見たら小さな火花でも、観測装置から見ると、宇宙の大事件みたいに見えることがある」
「その通りです」
「それは困るね」
「ええ。天文学者は、遠い宇宙から来た本物の信号を探しています。そこに、地球の近くにある古い人工衛星由来とみられる信号が混ざると、見分けなければなりません」
三國は画面を見つめた。
「宇宙の謎を探していたら、昔の人間が残した機械の痕跡を拾ったわけか」
「捨てた、というより、当時はそこまで長期的な観測上の問題として考えられていなかったのかもしれません」
「背景は、宇宙ごみ問題?」
「大きく言えば、そうです」
櫻は、今度は地球の周りに点をいくつも描いた。
「地球の周りには、運用中の衛星だけでなく、機能停止した衛星、ロケットの破片、衝突で生まれた小さな破片があります」
「宇宙ごみって、ぶつかる危険の話だと思ってた」
「それが一番分かりやすい問題です。でも今回の話は、もう一つの側面を示しています」
「電波のノイズ?」
「ええ。宇宙ごみは、ぶつかるだけではなく、観測を惑わせることもある」
三國は腕を組んだ。
「じゃあ、何が問題なのかを一言で言うと?」
櫻は少し考えた。
「人類が過去に打ち上げた人工物が、今の科学観測を惑わせることがある時代に入っている、ということです」
三國はゆっくり息を吐いた。
「遠い宇宙を見るための望遠鏡が、近くの人工物に惑わされる」
「そうです」
「皮肉だな」
「けれど、悪いことばかりではありません」
「メリットもあるの?」
「あります」
三國は意外そうに顔を上げた。
「動いていない衛星の近くで、変な電波が出たのに?」
「今回の観測によって、古い衛星の静電気放電や、微小な衝突に伴うプラズマ放電を、地上から検出できる可能性が見えてきました」
「それは何に使えるの?」
「将来的には、衛星の異常検知や、宇宙環境の監視に役立つかもしれません」
「衛星の異常検知?」
「もちろん、まだ実用技術として確立した話ではありません。けれど、運用中の衛星でも、帯電や放電は故障の原因になります」
「なるほど。宇宙でバチッとなると、電子機器が壊れるかもしれない」
「そうです。もし地上からそういう現象を安定して検出できるなら、衛星設計や運用に役立つかもしれません」
三國は少し身を乗り出した。
「じゃあ、宇宙ごみや古い人工物をただの邪魔者として見るだけじゃなくて、観測対象として研究できる可能性もあるわけだ」
「その見方は大切です」
「メリットと見る人は、宇宙の安全管理に使えるかもしれないと考える」
「ええ」
「逆に、デメリットと見る人は?」
「天文学者にとっては、偽の信号が増えることです」
「偽の信号か」
「たとえば、遠い宇宙から来た珍しい現象だと思って追跡したら、実は地球の周りの人工物だった。そうなると時間も観測資源も使います」
「研究者にとっては痛いね」
「さらに、衛星や軌道上の人工物が増えれば増えるほど、この種の混入を警戒する場面は広がる可能性があります」
三國は窓の外を見た。
「星空って、静かだと思ってた」
「実際には、かなりにぎやかです」
「見えないところで?」
「ええ。通信衛星、測位衛星、気象衛星、観測衛星。地球の周りには、人間の活動の層ができています」
「宇宙にも生活圏が広がってるんだな」
「その生活圏の管理が追いつかなければ、将来の観測や通信に影響します」
三國はふと顔をしかめた。
「これ、日本人の生活にも関係ある?」
「直接、明日困る話ではありません」
「スマホが急に使えなくなるとか、天気予報が外れるとかではない?」
「今回の一回の信号だけで、そういう影響はありません」
「少し安心した」
「でも、間接的には関係します」
三國は、もう一度櫻を見た。
「どういう形で?」
「私たちの生活は、すでに衛星に支えられています」
「GPSとか?」
「そうです。スマートフォンの位置情報、カーナビ、船や飛行機の運航、災害時の通信、天気予報、農業や漁業の観測。衛星が関わる場面は多いです」
「ひまわりもそうだよね」
「気象衛星ですね」
「もし宇宙ごみが増えて、衛星が壊れやすくなったら?」
「天気予報、災害監視、通信、位置情報の安定性に、間接的に影響する可能性があります」
三國は小さくうなずいた。
「すぐに生活が止まるわけじゃない。でも、生活を支える土台が少しずつ不安定になる」
「その理解でいいです」
「今回の電波は、その土台の問題を考えるきっかけになる小さな警報みたいなものか」
「小さくて、強い警報のように見えますね」
櫻はそう言って、画面を閉じた。
研究室の白い光が、二人の間に落ちた。
「でも、どうして今になって見つかったんだろう」
三國が言った。
「昔から起きていたかもしれません」
「え?」
「ただ、観測できなかっただけかもしれないのです」
「装置が進歩したから、見えるようになった?」
「そうです。望遠鏡が高性能になり、一瞬の信号を拾えるようになった。だから、今まで見過ごしていた現象が見えてきた」
「それって、いいことでもあり、困ることでもあるね」
「科学ではよくあります」
「見えなかったものが見えると、世界が単純ではなかったと分かる」
「ええ」
三國は苦笑した。
「宇宙は広いから謎が多い、じゃなくて、地球の近くにも謎が残っていたんだ」
「しかも、人間が自分で作った謎です」
その言葉に、三國は黙った。
古い人工衛星。
動かなくなった機械。
けれど、周囲で起きた一瞬の現象までは、完全には沈黙させられなかったのかもしれない。
「今後はどうなる?」
「まず、電波天文学では、人工衛星由来の信号をより正確に除外する仕組みが必要になります」
「本物の宇宙信号と、地球近くの人工物を見分ける技術か」
「そうです」
「衛星の軌道データと照合するとか?」
「それも重要です。どの方向から、どの時間に、どの衛星が通っていたのかを確認する必要があります」
「天文学者は、空を見るだけじゃなくて、地球の周りの交通整理もしないといけないんだね」
「まさにそうです」
「宇宙ごみの対策も進む?」
「進めなければなりません」
「でも、止まった衛星を全部片づけるのは難しいよね」
「難しいです。だからこそ、新しい衛星には、運用終了後に安全に軌道から外す設計が求められます」
「出したら終わり、じゃない」
「宇宙にも後始末が必要です」
三國は、机の上に置かれた古い万年筆を見た。
「人間って、便利なものを作るたびに、後始末の問題も作るんだな」
「地上でも、海でも、空でも、宇宙でも同じです」
「衛星って、未来の象徴みたいに思ってた」
「未来の象徴であることは変わりません」
櫻は静かに言った。
「ただし、未来を続けるには、過去に置いてきたものも見なければならない」
三國はその言葉を繰り返すように、ゆっくりうなずいた。
「過去に置いてきたものの近くで、60年後に一瞬だけ光る」
「今回は、電波として」
「それを、天文学者が拾った」
「ええ」
「遠い宇宙からのメッセージかと思ったら、人類自身の忘れ物の近くで起きた現象だった」
櫻はマグカップを机に置いた。
「だから、このニュースは面白いのです」
「面白い?」
「ただの珍現象ではありません。宇宙開発の歴史、天文学の進歩、宇宙ごみ問題、そして私たちの生活インフラが、ひとつの短い電波信号をきっかけにつながって見えます」
三國は少し笑った。
「一瞬の信号なのに、ずいぶん遠くまで話が広がるね」
「電波は短くても、意味は長く残ります」
そのとき、窓の向こうで、夜空に飛行機の光が動いた。
三國はそれを見上げた。
「空って、もう人間のものもたくさん飛んでるんだな」
「そうですね」
「でも、星を見るためには、その人間のものも理解しなきゃいけない」
「はい」
「少し分かった気がする」
三國は画面に残った衛星の軌道図を見つめた。
「このニュースの怖さは、死んだ衛星が生き返ったことじゃない」
「では、何だと思いますか」
櫻が尋ねた。
三國は少し考えた。
「人間が忘れたものが、未来の観測や生活に影響しうること」
櫻は満足そうに目を細めた。
「いい答えです」
「じゃあ、記事の見出しはこうかな」
「どんな見出しですか」
三國は、少しだけ迷ってから言った。
「死んだ衛星の声ではなく、人類の忘れ物が鳴らしたかもしれない警報」
櫻は小さくうなずいた。
「それなら、読者にも届くかもしれません」
夜の研究室で、二人はしばらく黙っていた。
60年近く前に打ち上げられた人工衛星は、もう通信衛星としての役目を終えていた。
けれど、その周囲で生まれたとみられる一瞬の電波は、遠い宇宙を見ようとする人間の目に、はっきりと映った。
それは、星からの声ではなかった。
怪奇現象でもなかった。
ただ、人類が宇宙に残してきたものが、いまの人類に向けて鳴らしたように見えた、短い警告音だった。
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