時計は誰のもの?アメリカ議会と大統領と戦争
「未來さん、この5月1日って、何の締切なんですか」
三國純は、画面の見出しを指でなぞった。
『米国防長官、イラン撤収の法的期限「5月1日」は適用されず』
櫻未來は、すぐには答えなかった。
壁時計を見上げてから、静かに言った。
「戦争を続けていい時間の、ひとつの区切りです」
「戦争に、時間制限があるんですか」
「あります。少なくとも、議会の承認なしに続ける場合には」
「つまり、大統領が勝手に軍を出しても、ずっと続けてはいけない」
「そうです」
「それが5月1日」
「今回の記事では、そういう意味です」
純はノートに書いた。
『5月1日=戦争の時計が鳴る日』
「でも、国防長官は適用されないと言っています」
「停戦したからです」
「停戦したら、時計は止まるんですか」
「そこを議会が疑っています」
「法律に、停戦したら時計を止めていいと書いてあるか」
「はい」
純は少しだけ顔を上げた。
「なるほど。政権は、戦いが止まったから時計も止まったと言っている」
「はい」
「議会は、その停止ボタンは法律のどこにあるのか、と聞いている」
「その理解でいいです」
純は画面を見つめた。
「でも、政権側の言い分もわかる気がします」
「聞かせてください」
「停戦していても、軍を急に引いたら危ない。イランがまた動くかもしれない。海峡が不安定になれば、船も止まるかもしれない」
「その通りです」
「じゃあ、政権側は完全におかしいわけではない」
「おかしくありません。危機対応、抑止、海の安全。どれも現実の問題です」
「では、なぜ議会は疑うんですか」
未來は紅茶のカップを机に置いた。
「便利な理屈だからです」
「便利?」
「停戦したから時計は止まった。任務名を変えたから戦争ではない。防衛だから議会の承認はいらない。そう言えてしまうと、期限の意味が薄くなります」
純のペンが止まった。
「戦争を止めるための時計なのに」
「はい」
「止めたことにできる」
「そう疑われているのです」
雨が窓を叩いていた。
テレビの中では、公聴会の映像が流れている。
議員が書類を掲げ、国防長官に何かを問いかけていた。
純は音量を少し上げた。
『その根拠は、法律のどこにありますか』
純は小さく息を吐いた。
「今ので、ほとんどわかりました」
「何がですか」
「これは、アメリカの政権と議会が喧嘩しているだけじゃない」
「はい」
「戦争を続ける権限を、誰が見張るのかという話です」
「はい」
「でも、未來さん」
「何でしょう」
「それが日本の生活にどうつながるんですか」
未來は窓の外を見た。
夜の道路を、トラックのライトが流れていく。
「海峡が不安定になれば、船の動きが鈍ります」
「石油ですか」
「石油だけではありません。燃料、電気代、輸送費、保険料。遠い海の緊張は、値札になって店頭に来ます」
純は、ゆっくりノートに書いた。
『戦争は、爆発より先にレシートで来る』
未來が少し笑った。
「いい表現です」
「つまり、日本人が戦場にいなくても」
「影響は受けます」
「ガソリン代、電気代、弁当、配送費」
「はい」
「それが上がったとき、遠い国のニュースは遠いままではなくなる」
「そうです」
純は画面に向き直った。
「わかりました」
「何がですか」
「これは、イランから米軍が下がるかどうかだけの話ではない」
「はい」
「大統領が戦争の時計を止めていいのか」
「はい」
「議会がそれを見張れるのか」
「はい」
「そして、その時計が曖昧になると、軍事緊張が長引いて、日本の生活にも届く」
未來は静かにうなずいた。
「その通りです」
純は最後に一行を打った。
『時計は止まったのか。それとも、止まったことにされたのか。』
壁時計の針は、まだ動いていた。
この記事が参考としたもの
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN011JT0R00C26A5000000/




