第8話 「罪状を述べよ」——☆1のクソ脚本
学園舞踏会の夜。
大広間はシャンデリアの光で満たされ、数百人の生徒と来賓が華やかな衣装に身を包んでいた。弦楽の旋律。グラスの音。囁き合う声。
——背景美術☆3。BGM☆3。演出☆2。総合☆1。
レビューの評価が脳裏をよぎる。背景と音楽は確かに素晴らしい。この大広間の美しさは、ゲームのCGで見た時以上だ。
だが、これから始まる「イベント」の脚本は——☆1だ。
プレイヤーフォーラムにはこう書いてあった。
『断罪イベント、脚本が酷すぎる。証拠が一つもないのに王子が激昂して悪役令嬢を断罪。周囲も全員同調。弁護の機会なし。中世の魔女裁判のほうがまだ手続きがマシ。これをシナリオと呼ぶな。便所の落書きと呼べ』
……辛辣だが、的確だった。
私は大広間の柱の傍に立ち、静かにグラスを傾けていた。銀のドレスに身を包み、髪を高く結い上げている。公爵令嬢として、最後の夜にふさわしい装いで。
「セレスティア様。お美しいですわ」
隣にいるローゼリアが、少し寂しそうに微笑んだ。
——この子には、今夜何が起きるか伝えてある。全てではないが、「何かが起きるかもしれない」「でも心配しないで」とだけ。
「ありがとう、ローゼリア。あなたも素敵よ」
「……セレスティア様。本当に、大丈夫ですか?」
「大丈夫。全部、予定通りだから」
ローゼリアの手をそっと握った。
大広間の向こう側。金色の髪が動いた。アレクシス王子が、リリアーナを伴って中央に進む。
二人の周りには、カイルとフェリクスの姿もある。
——攻略対象、全員集合。
舞踏会の音楽が止まった。
ざわめきが広がり、やがて静まる。
数百の視線が、大広間の中央に立つ王子に集まった。
*
「——セレスティア・フォン・エーデルシュタイン」
アレクシスの声が、広間に響いた。
来た。
「前に出よ」
周囲の視線が一斉にこちらに向く。好奇、不安、期待、優越。人間の暗い感情が、シャンデリアの光の下で渦巻いている。
グラスをテーブルに置いた。
背筋を伸ばし、まっすぐに歩く。一歩一歩、ヒールが大理石の床を叩く音が、静まり返った広間に響いた。
王子の前に立つ。
アレクシスの碧い瞳には、正義感に酔った熱がある。自分が正しいことをしていると心から信じている目。
——前世のレビュアーが書いていた。『この王子、自分が正義だと信じている時が一番たちが悪い。なぜなら、自分で何も確かめていないから』
その通りだ。
「セレスティア・フォン・エーデルシュタイン。罪状を述べる」
アレクシスが宣言する。
「第一。リリアーナ・ミルフェへの度重なる嫌がらせ及び脅迫」
——していない。
「第二。学園内での権力を笠に着た他生徒への圧迫」
——していない。
「第三。聖女たるリリアーナの名誉を貶める虚言の流布」
——虚言を流布しているのはそちら側だ。
「以上の罪により、本日をもってエーデルシュタイン家令嬢の学園在籍資格を剥奪し、王都からの退去を命ずる」
証拠の提示、なし。弁明の機会、なし。裁判も審議もなし。王子の一声で、公爵令嬢の人生が決まる。
——☆1のクソ脚本。レビュー通りだ。
広間がざわめく。
「やはり……」「公爵令嬢がそんなことを」「聖女様がお可哀想に……」
リリアーナが、アレクシスの隣で涙を流している。大きな翠の瞳から、大粒の涙がぽたぽたと落ちる。
「わ、私……セレスティア様に嫌われるようなこと、何かしてしまったんでしょうか……ごめんなさい、ごめんなさい……」
——涙の供給量は無限。成分は九割が計算、一割が水分。
レビューの一節が、不謹慎にも脳裏をよぎった。
広間の端、柱の影で——ルシアンが立っているのが見えた。灰色の瞳がまっすぐにこちらを見ている。怒りを押し殺した表情。
大丈夫。
目だけで、そう伝えた。
「セレスティア! 何か言うことはないのか!」
アレクシスが苛立ちを隠さずに問う。ゲームでいう「弁明」の選択肢だ。
ここで弁明しても無駄だと、攻略wikiが教えてくれている。何を言っても王子は聞かない。リリアーナの涙の前では、全ての言葉が無力になる。
だから——弁明はしない。
代わりに。
私は、微笑んだ。
穏やかに。静かに。公爵令嬢として、一点の曇りもない笑みを浮かべた。
「殿下」
声は落ち着いていた。自分でも驚くほど。
「罪状の三つ、いずれも身に覚えがございません。ですが、殿下がそう判断なさるのであれば——私は異議を申し立てません」
広間がどよめいた。
弁明しない? 公爵令嬢が?
アレクシスも一瞬、戸惑った表情を見せた。ゲームのシナリオでは、悪役令嬢は「弁明する」か「泣く」か「逆ギレする」の三択だったはずだ。穏やかに受け入れるルートは——ない。
「ただ一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「私は、この学園で首席の成績を修め、生徒会の実務を担い、多くの級友と共に学びました。それらの日々が、嘘だったとは思っておりません」
広間が静まり返った。
「そして——殿下。いつか、真実が明らかになる日が来るでしょう。その時、殿下がどのようなお気持ちになるか。それだけが、少し心配です」
アレクシスの顔が、わずかに引きつった。
怒りではない。もっと原始的な感情——不安。自分が間違っているかもしれないという、かすかな恐怖。
でもすぐにリリアーナの涙が視界に入り、その恐怖は消えた。
「……出て行け」
王子の声は、震えていた。
「もう、お前の顔は見たくない」
*
大広間を出る。
背中に数百の視線を感じながら、一歩も速めず、一歩も遅れず。
背筋を伸ばし、銀のドレスの裾を翻して。
扉に手をかけた瞬間——
「セレスティア様!」
ローゼリアの声が追いかけてきた。泣き声だった。
振り返らなかった。振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
「大丈夫よ、ローゼリア。約束したでしょう。——信じて」
大広間の扉が閉まる。
廊下に出た瞬間、深く息を吐いた。
——終わった。
断罪イベント、完了。
攻略wikiの「追放エンド攻略チャート」、Step3まで達成。
プレイヤーフォーラムの投稿を思い出す。
『断罪イベントをクリアした瞬間、コントローラーを投げた。こんな理不尽なシナリオがあるか。でも追放後の展開を見て、投げたコントローラーを拾い直した。ここからが本番だった』
——私もコントローラーを拾い直す時が来た。
廊下を歩く。月明かりが窓から差し込んでいる。
と——足音。
壁に寄りかかるようにして、一人の青年が立っていた。
黒い髪。灰色の瞳。
「……ルシアン」
「よく、耐えた」
彼の声は平静だったが、その拳が白くなるほど握り締められていた。
「言っただろう。会いに行くと」
「まだ追放の手続きも——」
「明日、辺境に発つ。手配は済んでいる」
……この人は。
「ルシアン。あなた、いつから準備を——」
「あなたが『見送ってくれ』と言った日から」
——ずるい。
泣くまいと決めていたのに、涙が込み上げてきた。
☆1.2のクソゲーの断罪イベントで、泣く予定はなかった。レビュー通りの茶番に、感情を揺さぶられるつもりはなかった。
でも——この人の言葉だけは、レビューのどこにも書いていなかった。
「……ありがとう」
声が震えた。
ルシアンが一歩近づいた。そっと、私の涙に手を伸ばし——伸ばしかけて、止めた。
「……すまない。許可を取っていなかった」
「何の許可よ」
「涙を拭く許可だ」
「……そんな許可、要らないわよ」
灰色の瞳が、わずかに揺れた。
指先が、そっと私の頬に触れた。涙を拭う、不器用な手つきで。
冷たい指先。でも——温かかった。
「行くぞ。ここにいる理由はもうない」
「……ええ」
月明かりの廊下を、二人で歩く。
背後に残してきた大広間の喧騒が、もう遠い。
さようなら、☆1.2の世界。
——ここからは、レビュー☆4.5の物語。




