第5話 このキャラだけは守ると決めた
濡れ衣事件から三日後。
学園にはまだその余韻が残っていた。「男爵令嬢の勘違い」で片付けられたものの、一部の生徒の間では「本当に間違いだったの?」という囁きが消えない。
——もっとも、その疑いの矛先は私ではなく、リリアーナに向いているのだが。
攻略wikiには、こう書いてあった。
『第四イベント後、ゲーム内の「世論」は悪役令嬢叩きに傾く。しかし実際のプレイヤーは全員主人公——ヒロインに殺意を抱いている。このゲームのシナリオライターは、プレイヤーとゲーム内世論のギャップを埋める能力が皆無である』
私が証人を用意したことで、「ゲーム内世論」が本来の流れから外れた。小さな逸脱だが、意味は大きい。
さて——今日はもう一つ、大事な用事がある。
放課後。
ローゼリアを自室のお茶会に招いた。いつもの他愛ない話をしながら、彼女の表情を観察する。
最近、ローゼリアの笑顔に陰りがある。
原因は——わかっていた。
「ローゼリア。あなた最近、リリアーナ様に何か言われていない?」
カップを手にしたローゼリアの指が、わずかに震えた。
「……どうしてそれを」
「あなたの顔を見ればわかるわ」
ローゼリアが唇を噛む。しばらく黙った後、ぽつりと話し始めた。
「先日……リリアーナ様に呼び止められたんです。『ローゼリア様、セレスティア様のお近くにいると、誤解を受けるかもしれませんわよ? だって、セレスティア様は皆様に嫌われていらっしゃるでしょう?』と」
——来た。
これだ。ゲームの「ローゼリア離間イベント」。
攻略wikiにはこう書いてあった。
『中盤イベント「取り巻きの切り離し」。ヒロインがローゼリアに接触し、悪役令嬢から離れるよう仕向ける。このイベントは三段階で進行し、最終的にローゼリアは悪役令嬢と決裂。断罪イベントでは傍観者になる。なおこの分岐を回避する手段はない(プレイヤーに選択権がないため)。クソゲー(4回目)』
ゲームでは回避不能。でも——ここはゲームじゃない。
「それで? あなた、どう答えたの?」
「お断りしました。『セレスティア様は私の大切なお友達です。余計なお世話は結構です』と」
ローゼリアが少し赤くなりながら言った。
——ローゼリア。あなたは本当に、レビューの評価通り「このゲームで唯一まともなキャラ」だ。
「よく言ったわね。えらい」
「えへへ……でも」
ローゼリアの表情が曇る。
「でも、弟のことが……」
弟。
ローゼリアの弟、ティモ。生まれつき体が弱く、高額な治療費がかかっている。シュヴァルツ侯爵家は裕福だが、長年の治療で財政は厳しい。
ゲームのバックストーリーで読んだ時、私はこの設定に泣いた。
健気な姉が弟のために必死に立ち回る。それなのにゲームのシナリオでは、ローゼリアは「悪役令嬢に付き従っただけ」で連座退学になり、弟の治療費も払えなくなる。
レビューの言葉が蘇る。
『ローゼリアのバックストーリーだけ異常に作り込まれている。弟の病気、家計の事情、姉としての葛藤。このシナリオを書いた人は才能がある。なのになぜ、本編ではモブ扱いなのか。開発チーム内で何があったのか知りたい』
——開発が何を考えていたかは知らない。でも私は、このキャラを守ると決めた。前世でレビューを読んだあの日から。
「リリアーナ様が、弟のことを持ち出したのね」
ローゼリアの目が見開かれた。
「……なぜわかるのですか」
「想像よ。あの方は、人の弱みを見つけるのが上手だから」
リリアーナの手口は単純だ。まず優しく接近し、相手の弱点を探る。弱点が見つかったら、それを使って操る。ローゼリアの場合は「弟の治療費」。「セレスティアから離れないと、あなたの弟に影響が……」というような仄めかしをしたのだろう。
ゲームのプレイヤーたちは、この手口を何度も見せられて怒り狂っていた。
『このヒロイン、やってることが企業のハラスメント上司と同じ。弱みに付け込んで人を操るのは「天真爛漫」ではなく「悪質」です。開発はハラスメント研修を受けてこい』
……あのレビュー、辛辣だけど正しかったな。
「ローゼリア。一つ、聞いてもいい?」
「はい」
「ティモ君の病気。確か、聖氷花の薬が効くのよね?」
ローゼリアの目が大きく見開かれた。
「ど、どうしてそれを……! その情報は、家の者しか——」
「ごめんなさい。少し調べさせてもらったの」
嘘だ。ゲームのバックストーリーで読んだ。でもそうは言えないので、「調べた」ということにする。
「聖氷花は北方辺境にしか自生しない希少な薬草だけど、栽培に成功した記録がある。辺境伯領の薬師が、十年前に試験栽培に成功したという文献を見つけたの」
これもゲームのデータ解析で有志が発見した設定情報だ。
本編には一切出てこないが、ゲームの裏データに「辺境伯領の薬師」の情報が埋め込まれていた。
フォーラムには「この設定、ルシアンルートで使う予定だったのでは? 辺境伯領=ルシアンの実家。ローゼリアの弟を救う展開が本来のシナリオにあったのでは?」という考察が投稿されていた。
あの考察が正しければ——辺境伯領に行けば、ティモ君を救う手がかりがある。
そして辺境伯領は、「追放エンド」後に私が向かう場所でもある。
「聖氷花の……栽培?」
「ええ。まだ確約はできないけれど。私の方で、入手のあてを探してみるわ」
ローゼリアの琥珀色の瞳が潤んだ。
今度の涙は、リリアーナの計算された涙とは違う。本物の涙だ。
「セレスティア様……どうしてそこまで……」
「あなたは私の友人よ。友人の弟が苦しんでいるなら、力になりたいのは当然でしょう?」
「——っ」
ローゼリアが私の手をぎゅっと握った。涙がぽたぽたとテーブルに落ちる。
「ありがとう、ございます……セレスティア、様……」
「泣かないで。お茶が冷めてしまうわ」
「だって……だって、今まで誰もこんなこと言ってくれなくて……」
——前世のレビュアーたちは、全員こう思っていたはずだ。「ローゼリアを救いたい」と。プレイヤーには選択肢がなかった。モブキャラを救う方法は、ゲームには用意されていなかった。
でも私には、ある。
ゲームの外側で、私は自由に動ける。
このキャラを——この「友人」を、守り抜く。前世のプレイヤーたちが望んでも叶えられなかった結末を、私が実現する。
「ローゼリア」
「はい」
「リリアーナ様が何を言ってきても、私から離れなくていいわ。あなたの弟のことも、あなた自身のことも、私が何とかする。だから——」
涙を拭いてあげながら、笑いかけた。
「信じて」
ローゼリアが——泣き笑いの顔で、何度も何度も頷いた。
「信じ、ます……絶対に、信じます……!」
*
その夜。
寮の自室で一人、窓の外の月を見ながら考える。
ゲームのシナリオでは、ローゼリアは見捨てられるキャラだった。プレイヤーは彼女を救えない。開発がそう設計したから。
でもこの世界は違う。ローゼリアは「データ」じゃない。涙を流す、本物の人間だ。
聖氷花の件は、辺境伯領とのコネクションが必要になる。
辺境伯領——つまり、ルシアンの実家。
偶然だろうか。ゲームの裏データで見つかった「ローゼリアを救う情報」が、ルシアンの実家にある。まるで——カットされたシナリオの残骸が、この世界にもちゃんと存在しているかのように。
このゲームは、本当は——☆1.2のクソゲーではなかったのかもしれない。
完成していれば。カットされなければ。ルシアンルートが実装されていれば。
——いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
追放までの残り時間で、やるべきことを整理しよう。
ローゼリアを守る。ルシアンとの関係を——いや、距離を適切に保つ。追放後の準備を進める。
やることは山積みだ。
でも——不思議と、気持ちは軽かった。
だって、もう一人じゃない。
レビュアーたちが「救いたい」と願ったキャラが、私の隣にいてくれる。
「さて。☆1.2のクソゲー攻略、順調ですよ」
月に向かって呟き、私はベッドに潜り込んだ。
明日もルシアンが中庭にいますように。
——と思ってから、慌てて頭を振った。
それは攻略の都合であって、別に会いたいわけでは——ない。たぶん。おそらく。
……攻略wikiに「自分の好感度」は載っていなかった。困った。




