第12話 クソゲーのフラグが壊れ始めました
——王立星彩学園。セレスティア追放から一週間後。
リリアーナ・ミルフェは、焦り始めていた。
いつもの翠の瞳は穏やかな微笑みを湛えていたが、その奥にある計算機は、かつてない速度で回転していた。
——おかしい。
何かが、おかしい。
セレスティアを追放してから、全てが上手くいくはずだった。邪魔な悪役令嬢がいなくなれば、王子も騎士も魔術師も、自分だけを見てくれるはずだった。
なのに。
「リリアーナ。今日の放課後、庭園で茶会を——」
「ええ! 嬉しいですわ、殿下!」
アレクシスの誘いに、最高の笑顔で応じる。完璧な天真爛漫。完璧な純朴さ。
でも——茶会の間、会話が弾まなかった。
これまでは、セレスティアの悪口を言えば場が盛り上がった。「あの悪役令嬢にこんなことをされた」と涙を浮かべれば、アレクシスは怒り、カイルは拳を握り、フェリクスは眉を寄せた。
今は——その話題がない。
セレスティアはもういない。悪口の対象がいなくなった。
「……殿下。最近、授業が難しくなりましたわね」
「ああ。確かに魔法理論の講義は以前より——いや、以前と同じはずだが」
アレクシスが首を傾げた。
以前は理解できていた講義が、急に難しく感じる。理由は単純だ。セレスティアが予習ノートを級友に回していたこと、試験前に自主勉強会を開いていたことを、アレクシスは知らない。悪役令嬢の「裏方の功績」など、王子の目には映っていなかった。
「きっと、お疲れなのですわ。殿下はお忙しいですもの」
「そうだな。少し休むか……」
話題が続かない。
リリアーナは内心で歯噛みした。
セレスティアがいた頃は、「あの女」という共通の敵がいることで、攻略対象たちとの絆が強まっていた。敵がいなくなった途端——結束が緩み始めている。
これは想定外だった。
いや——想定できなかった。リリアーナにとって、セレスティアは「利用する道具」だった。道具がなくなった後のことなど、考えたことがなかった。
*
同じ頃。学園の教員室。
魔法理論担当のヘルマン教授が、中間試験の結果を見て溜息をついていた。
「……学年平均が、12点も下がっている」
前期の試験と比較して、全教科の平均点が軒並み低下。特に魔法理論と歴史学の落ち込みが激しい。
「エーデルシュタイン嬢が退学して以降、自主勉強会が消滅したようですね」
隣に座る社交術のベッカー教授が、コーヒーをすすりながら言った。
「自主勉強会?」
「ご存じなかったですか。エーデルシュタイン嬢は毎週末、希望者を集めて講義の復習会を開いていたんです。成績下位の生徒にも丁寧に教えていたそうで」
「……知らなかった」
「当然です。公爵令嬢が自ら勉強会を開くなど、普通はしません。ですが彼女は——あれは本当に優秀な生徒でしたよ。首席の実力は本物でした」
ヘルマン教授は試験結果の書類をテーブルに置いた。
「追放の判断は、王家が下したものだ。教員の立場からは何も言えん。だが——学園としての損失は、数値に表れている」
「ええ。それだけではありません」
ベッカー教授が声を潜めた。
「生徒会の実務が滞っています。エーデルシュタイン嬢は生徒会の書記でしたが、実質的に事務全般を一人で回していた。彼女が抜けて以来、行事の企画も予算管理も止まっています」
「副会長のヴァンシュタイン卿は?」
「……辺境に帰られました。学園を休学して」
ヘルマン教授の眉が上がった。
「ヴァンシュタインが? 学年次席の彼が?」
「はい。追放の翌日に。表向きは『家事都合』ですが——」
二人の教授は顔を見合わせた。
学年首席と次席が同時にいなくなった学園。残されたのは——ヒロインの涙に踊らされた王子と、その取り巻きたち。
「……先が思いやられますな」
ヘルマン教授は、深い溜息とともにコーヒーを口に運んだ。
*
放課後。
リリアーナは次のイベントの準備を進めていた。
ゲームのシナリオ通りなら——いや、リリアーナにとっては「計画通り」なら、次は「学園祭での大舞台」だ。ヒロインが注目を集め、攻略対象たちの好感度を一気に上げるビッグイベント。
だが——準備が進まない。
学園祭の企画は生徒会が担当する。その生徒会が機能不全に陥っている。
「殿下、学園祭の件ですが——」
「ああ。生徒会の連中に任せてある」
「その生徒会が、少し困っているようでして……。以前は書記のセレス——あの方が取り仕切っていたそうで」
アレクシスの表情が、一瞬だけ曇った。
「……あいつの名前を出すな。追放した者のことなど、もう関係ない」
「はい、殿下。おっしゃる通りですわ」
リリアーナは微笑んだ。
でも内心では——嫌な予感が膨らんでいた。
セレスティア・フォン・エーデルシュタイン。あの銀髪の公爵令嬢。追放する前は「ただの悪役令嬢」だと思っていた。嫉妬深く、プライドが高く、排除すれば全てが上手くいく邪魔者。
排除した。
なのに——上手くいっていない。
むしろ、あの女がいなくなってから、歯車が一つずつ狂い始めている。
まるで——あの女こそが、この学園の歯車の中心だったかのように。
「……まさかね」
リリアーナは笑顔の下で、小さく呟いた。
認めたくなかった。
自分が排除した「モブ」が、実は最も重要なピースだったなどと——認めるわけにはいかなかった。
*
——北方辺境、ヴァンシュタイン辺境伯領。
同じ頃、セレスティアは薬草園の一角に座り込んで、古い魔法書を読んでいた。
「土壌改良の魔法陣、基礎理論は理解できたわ。問題は触媒の調達ね……」
「この辺りの鉱石が使えるかもしれない」
隣に座ったルシアンが、鉱物のサンプルを差し出した。
「……いつの間に用意したの」
「あなたが魔法書を読み始めた翌日に、鉱山に発注した」
「……仕事が早いわね」
「合理的なだけだ」
午後の陽光が薬草園を照らしている。
聖氷花の苗が、小さな温室の中で静かに育っている。ローゼリアの弟を救う薬草。
王都では手に入らなかった希望が、ここにはある。
学園では得られなかった自由が、ここにはある。
そして——ゲームでは描かれなかった時間が、ここで流れている。
「ルシアン」
「何だ」
「……☆4.5は、控えめな評価だったわね」
「また独り言か」
「ええ。独り言よ」
薬草園の花が、風に揺れた。
追放から一週間。
学園では歯車が狂い始め——辺境では、新しい歯車が回り始めている。
その対比を、前世のレビュアーたちは「☆4.5」と評した。
——私なら、☆5をつける。




