第11話 辺境の朝は空気が違う
目が覚めた時、最初に感じたのは——静けさだった。
学園の寮では、朝の鐘が鳴り、廊下で生徒たちがばたばたと動き回り、窓の外からは馬車の音が聞こえていた。
ここには、それがない。
代わりに聞こえるのは、鳥の声。風が木の葉を揺らす音。遠くで牛が鳴く声。
窓を開けると、冷たい朝の空気が頬を撫でた。
目の前に広がるのは、朝靄に煙る牧草地と、朝日に照らされた雪山の稜線。
「……きれい」
何度見ても、慣れない。王都にはなかった景色だ。ゲームのCGにもなかった。追放エンドのプレイヤーたちは、この景色を見ることなく物語を読んでいたのだ。
もったいない。この朝だけで☆3はつけられる。
「セレスティア様、おはようございます。朝食の準備が整いましたの」
メルが嬉しそうに入ってきた。この子は辺境の暮らしにすっかり馴染んでいる。空気が合うのか、王都にいた時より顔色がいい。
食堂に降りると、ルシアンがすでにテーブルについていた。
「おはよう」
「おはよう。……早いわね」
「日の出とともに起きている。辺境の習慣だ」
焼きたてのパンと、辺境特産のヤギのチーズ。蜂蜜をかけた果物。温かいハーブティー。
素朴だけれど、胃に優しい朝食。
「今日は領内を案内する。この地に住むなら、まず土地を知るべきだ」
「案内してくれるの?」
「辺境伯家嫡男の務めだ」
——「務め」と言うが、嫡男が直々に案内するのは明らかに特別扱いだ。マルクスが奥の方で微笑んでいるのが見えた。
*
馬を借りて、ルシアンとともに領内を巡った。
ヴァンシュタイン辺境伯領は、王国の北端に位置する広大な土地だ。牧草地、農地、森林、鉱山。資源は豊富だが、王都との距離があるため交易は限定的。
ルシアンが馬の上から、淡々と説明してくれる。
「この一帯は牧草地。乳牛と羊を飼育している。品質は王国一だが、輸送に時間がかかるため王都の市場には出回らない」
「鮮度が落ちるから?」
「ああ。保存魔法のコストが高い。結果として辺境の産物は辺境で消費される」
「……もったいないわ」
「同感だ」
二度目の「同感だ」。ルシアンは語彙が少ないのではなく、同意する時はシンプルに同意する人なのだと、最近わかってきた。
村を通りかかった時、農夫たちがルシアンに挨拶をした。「若様」と呼ばれている。畏怖ではなく、親しみのある呼び方。
「よう若様、お連れの方は?」
「客人だ。しばらく領に滞在される」
「へえ、美しいお嬢さんだ。若様の——」
「違う」
即答。早すぎる。
農夫がにやにやしている。ルシアンの耳が赤い。
「……行くぞ」
「ええ」
馬を進めながら、私は唇を噛んで笑いを堪えた。
ゲームでは「冷たい辺境伯家の嫡男」。現実では、農夫にからかわれて耳が赤くなる青年。
☆1.2のキャラ設定と現実のギャップが、日に日に広がっていく。
午後。ルシアンが連れて行ってくれたのは、領の南端にある小さな集落だった。
「ここは領で最も貧しい地域だ。土壌が悪く、作物があまり育たない」
確かに、畑は痩せていた。家々も王都どころか他の村と比べても質素だ。でも——人々の表情は暗くない。
「困窮しているわけではなさそうね」
「最低限の支援はしている。だが根本的な解決にはなっていない。辺境伯家の財政にも限界がある」
ルシアンが珍しく苦い表情をした。領の問題に、真剣に向き合っている。ゲームの「脇役」は、こんな顔をしない。領主の嫡男としての責任を、この人は本気で背負っている。
「……ねえ、ルシアン」
「何だ」
「この土壌の問題、魔法で解決できるかもしれないわ」
ルシアンが馬を止めた。灰色の瞳がこちらを向く。
「学園で首席を取った魔法理論は、伊達じゃないの。土壌改良の魔法陣は高度だけど、理論上は可能よ。実際に——」
言いかけて、止めた。
「前世のゲームのデータ解析で、辺境伯領の土壌改良イベントの残骸が見つかった」とは言えない。
「……学園の図書館で、古い文献を読んだことがあるの。辺境の土壌に適した魔法陣の研究論文。試す価値はあると思う」
「……本気か」
「本気よ。追放されて暇なんですもの。何か役に立つことがしたいわ」
ルシアンが——笑った。
あの微かな笑み。中庭で初めて見た時と同じ、唇の端がわずかに上がるだけの、小さな笑顔。
でも今は——あの時よりも、ずっと温かく見えた。
「あなたは本当に——予想外の人だ」
「褒めてる?」
「最大の賛辞だ」
馬を並べて、集落を後にする。
夕暮れの光が牧草地を金色に染めていた。
追放されて四日目。
☆4.5の世界は——思っていた以上に、可能性に満ちている。
そして隣にいるこの人は——レビューの☆では、到底測れない。




