第9話 追放エンド到達——レビュー☆4.5の世界へ
翌朝。
荷物をまとめるのに、さほど時間はかからなかった。
五ヶ月分の学園生活の痕跡を、二つの旅行鞄に収める。教科書、筆記具、最低限の衣服。思い出の品は——あまりない。このゲームの学園パートに、持ち出すべき思い出は少なかった。
ただ一つだけ。
引き出しの奥から、押し花を取り出した。中庭の薔薇。ルシアンと初めて会話をした日、ベンチの傍に落ちていた花びらを拾って、本に挟んでおいたもの。
……これは持っていく。
「セレスティア様。お支度が整いました」
侍女のメルが、赤い目をして立っていた。泣いていたのだ。
「メル。泣かないで。新しい場所でも、あなたが必要よ」
「は、はい……お供いたします。どこまでも」
この子もゲームでは名前すらなかったモブだ。でもこの五ヶ月——いや、この十五年間、ずっと傍にいてくれた。メルの忠義は、☆1.2のゲームには描かれなかった本物だ。
寮の廊下を歩く。
早朝だ。すれ違う生徒はほとんどいない。昨夜の舞踏会の余韻で、皆まだ寝ているのだろう。
——と思ったのだが。
正門に着いた時、そこには思いがけない光景が広がっていた。
「……セレスティア様」
ローゼリアが立っていた。
目は真っ赤に腫れている。一晩中泣いていたに違いない。
その隣に——クラリッサ。濡れ衣事件で証言してくれた伯爵令嬢。
さらにその後ろに、五、六人の女子生徒。皆、この五ヶ月間で私が勉強を教えたり、相談に乗ったりした子たちだ。
「何をしているの、こんな朝早くに」
「お見送りに……決まってるじゃないですか……!」
ローゼリアが泣きながら駆け寄ってきた。
「セレスティア様がいなくなったら、私……私、どうしたらいいか……」
「大丈夫よ。あなたには全部伝えたでしょう? 聖氷花の情報も、弟君の治療のことも。一人で大丈夫」
「でも……!」
「ローゼリア」
彼女の両肩を持って、まっすぐに目を見た。
「あなたは強い子よ。私がいなくても、あなたはちゃんと立っていられる。だって——あなたは、この学園で一番まともな人間なんだから」
レビューの受け売りだ。でも嘘じゃない。
ローゼリアが唇を噛んで、それでも頷いた。
「……待っています。絶対に、また会いましょう」
「もちろん」
他の令嬢たちも、口々に別れの言葉をくれた。
「セレスティア様に教えていただいた魔法理論、忘れません」
「困った時はいつも助けてくださいましたわ」
「あなたが追放されるなんて、間違っています……」
——ゲームでは、悪役令嬢の追放を見送る者は一人もいなかった。
嘲笑と冷笑の中、たった一人で学園を去る。それが「悪役令嬢の追放エンド」だった。
レビューにはこう書いてあった。『追放シーンが辛すぎる。誰一人味方がいない。開発は人の心がないのか』
でも——現実は違った。
私は「悪役令嬢」を演じなかった。十年間準備し、五ヶ月間を誠実に過ごした。その結果がこれだ。見送りに来てくれる友人たち。涙を流してくれる仲間。
☆1.2のクソゲーの脚本を、私は書き換えた。完全にではないけれど——少なくとも、追放シーンの「演出」は、☆4以上にアップグレードできたと思う。
「さあ、行きましょう」
馬車に乗り込む。メルが隣に座った。
窓の外で、ローゼリアたちが手を振っている。
馬車が動き出す。
学園の白亜の校舎が、少しずつ遠ざかっていく。
*
学園を出て半刻ほど。
王都の門をくぐった時、馬車の窓から後方を振り返った。
王立星彩学園の時計塔が、朝日に照らされて輝いている。五歳の日に書斎の窓から見た、あの塔だ。
十年間、あの塔に向かって歩いてきた。
そして今、あの塔から離れていく。
「……☆1.2のクソゲー本編、クリアです」
小さく呟いた。
メルが不思議そうにこちらを見たが、聞こえなかったふりをした。
さて。ここからは——攻略wikiの「Step4」の先。
前世でスマートフォンの画面から読み切れなかった、あの続き。
『追放エンド攻略チャート——Step4. 新天地で——』
新天地で、何を?
答えは、これから自分の手で書く。
馬車は王都を出て、北へ向かう。辺境伯領のある、北方の大地へ。
追放令の範囲は「王都からの退去」。行き先は自由だ。
そして北方には——ヴァンシュタイン辺境伯領がある。
ルシアンの、実家が。
「メル」
「はい、セレスティア様」
「北に行くわ」
「……かしこまりました。どこまででもお供いたします」
窓の外を流れる景色が変わっていく。王都の華やかな街並みが消え、緑の丘陵地帯が広がり始める。
空が、広い。
学園の壁に囲まれた空よりも、ずっとずっと広い。
——ああ。
これが、「追放後の世界」か。
レビュアーたちが「追放エンドだけ☆4.5」と評した、この世界。
まだ何も始まっていない。辺境に着いてもいない。
でも——空の色だけで、わかる気がした。
ここからの物語は、☆1.2じゃない。
馬車が丘を越えた時、不意に——北の方角から、一騎の馬が駆けてくるのが見えた。
黒い髪。灰色の瞳。
朝日を背に受けて、風を切って走ってくる。
ルシアン・ヴォルフ・ヴァンシュタイン。
手配は済んでいると、昨夜彼は言った。辺境に発つと。
——まさか、先回りして待っていたのか。
馬車が止まる。窓を開けた。
「……ルシアン」
「遅かった。もう少し早く出ると思っていた」
「見送りに来てくれた人がいたの。予想外に」
「……そうか」
ルシアンの表情が、わずかに——ほんのわずかに、柔らかくなった。
「辺境まで、護衛を引き受ける」
「護衛?」
「追放された令嬢が一人で旅をするのは危険だ。辺境伯家嫡男として、領に向かう客人を護るのは当然のことだ」
理屈が完璧すぎて笑いそうになった。
この人は、助けるための理由を用意するのが上手い。「助けたいから助ける」とは言わない。でも行動は——明確に、助けている。
「……ありがとう。お言葉に甘えるわ」
ルシアンが馬を馬車に寄せた。並走する形で、北への道を進む。
窓の外、馬上のルシアンの横顔が見える。朝日が黒髪を照らし、灰色の瞳が北の空を見つめている。
この光景は——ゲームのどのCGにも存在しなかった。
攻略wikiに「追放エンド後にルシアンとの隠しイベントが発生する」と書いてあった。バグとされたそのイベントが、今まさに——現実として起きている。
「ルシアン」
「何だ」
「……ありがとう」
「先ほども聞いた」
「何度でも言うわ」
灰色の瞳が、一瞬だけこちらを向いた。
何も言わなかった。
でもその瞳の奥に、小さな光が灯ったのを——私は、見逃さなかった。
馬車と馬が、北へ向かう。
☆1.2のクソゲーは、終わった。
ここからは——レビューの☆では測れない、私だけの物語。




