第二話 よく理解ってるじゃないですか
(大丈夫だ。卓球は俺の土俵。ここなら勝てる)
サーブの構えをし、目線を相手側へ向けると、澪がにこにこ笑っている。
ボードゲーム部のくせに、ラケットの構えだけはやたら様になってるのが腹立つ。
(……いや。腹立ってる場合じゃねぇ)
俺はいつものサーブを放った。短く、低く。
澪の返球が少し浮く。
(よし、来た)
三球目をフォアで叩く。
乾いた音。ボールが角をかすめて落ちる。
「チョレイ!」
思わず声が出た。
澪は悔しそうな顔をする……かと思ったのに、首を傾げるだけだった。
「へぇ。先輩、最初だけ強いんですね」
「最初だけじゃねぇよ!」
(くそ。ムカつく)
次も同じ流れ。
短く出して、浮いたところを叩く。テンポを上げて、澪に考える時間を与えない。
澪は返してくる。ちゃんと返してくる。
でも“返すだけ”だ。俺の方が先に決められる。
点差が開くたびに、胸の奥が少し軽くなる。
(いける。今日は……いけるぞ)
「先輩、調子いいですね」
「黙ってろ。集中できない」
「えー。集中してる人って、そんなこと言わないんですよ?」
澪がくすっと笑う。
その瞬間だけ、返球が一段深くなった気がした。
(……気のせいだ)
俺はそのまま押し切った。
十一対七。
一セット目は俺が取った。
「……よし」
(勝てる。ちゃんと勝てる!)
思わず息を吐いた俺に、澪が拍手みたいに指を鳴らす。
「おめでとうございます、先輩」
「……素直に悔しがれよ」
「悔しいですよ?」
澪は涼しい顔のまま、ラケットの面を指で軽く叩いた。
「でも、今のでデータが揃いました」
「データって……卓球を何だと思ってんだ」
「ゲームです。盤面があって、手があって、癖があって……」
澪はさらっと言う。
「先輩、“勝ち方”が一個しかないと、詰みますよ?」
「は?」
「次のセット、ちょっとだけ遊び方変えますね」
嫌な予感がした。
すごく。
(でも、もう二セット取れば俺の勝ちだ。落ち着け)
俺はラケットを握り直して、第二セットの準備をする。
(さっきみたいに、テンポで押す。考えるな。打て)
澪が球を持った。
さっきと同じ笑顔なのに、目だけが妙に冷たい。
「じゃ、いきます」
二セット目が始まる。
澪のサーブは――ふわりと浮いた。
高い。甘い。ありえないくらい甘い。
(もらった!)
俺は踏み込んで、フォアで振り抜いた。
……はずだった。
「——っ」
ラケットの芯を外した。
ボールがネットに刺さって、情けない音で落ちる。
「……え?」
一瞬、空気が止まったみたいになった。
自分の呼吸だけがやけに大きい。
(今の、何? なんで外した?)
澪が首を傾げる。
「先輩、今“勝った顔”してから打ちましたよね」
「してねぇよ!」
「してました。勝ち確だと思った時だけ、先輩、左手をグーにするんです」
澪はさらっと言った。
まるで、前から知ってたみたいに。
(……左手? グー?)
俺は思わず自分の左手に意識を向ける。
(ダメだ。余計なこと考えちゃいけない)
そう自分に言い聞かせて次のラリーを始めた。
澪の返球が――遅い。強くない。
なのに、嫌に深い。
(バックに……深い!)
下がらされる。返す。
次は短い。台の手前に落ちる。
「っ……!」
前に出る。拾う。
その瞬間、また深い球。今度は逆サイド。
(は? さっきまでこんな……)
テンポが崩れる。
俺の足が止まる。呼吸が乱れる。
澪は、急いでいない。
“待って”いる。
(こいつ……俺が崩れるのを待ってる)
「先輩」
澪が、ラリーの隙間に小さく笑った。
「さっきのセットは、先輩のゲームでしたねぇ?」
次のボールが、ふわりと来る。
無回転。落ち方が読めない。
俺の返球が浮いた。
(しまっ――)
「だから今度は」
澪が踏み込む。
フォームが小さい。なのに、当てた瞬間の音が違う。
「私のゲームです」
打たれたボールは、俺の届かないところに落ちた。
「……っ!」
点が取られた瞬間、背中が冷たくなった。
(やばい。流れが……)
俺はラケットを握り直す。握り直すほど、指先が汗で滑る。
(落ち着け。まだ一点だ。まだ……)
なのに、澪の声が追い打ちをかける。
「先輩、今ので分かりました?」
「……何がだよ」
「先輩が勝てるのは、“先輩が作った盤面”の中だけです」
「……っ」
頭に血が上がる。
(ふざけんな。卓球はスポーツだ。盤面とかじゃ――)
反論が喉まで出かけて、飲み込んだ。
言い返した瞬間、こいつの思うツボだ。
(……違う。今は点を取るのに集中しないと)
俺はサーブを出す。短く。低く。
さっきみたいに、三球目で叩く――はずが。
澪は返球の回転を変えた。
ほんの少し。ほんの少しだけなのに、俺の感覚がズレる。
「っ……!」
返したボールが、また浮く。
(また……?)
澪は待っていたように踏み込んで、同じコースに刺した。
「先輩。焦ると、同じミスしますね」
(……くそ)
たった二点。
なのに、二点じゃない。
第一セットの“勝てる感覚”が、指の隙間からこぼれていく。
(まただ。勝ちかけた瞬間から――)
俺は歯を食いしばって、澪を見る。
澪は笑っていた。
嬉しそうでも、楽しそうでもない。
ただ、当然みたいに。
「先輩」
その声が、やけに優しく聞こえてしまって余計に腹が立つ。
「次、勝ち確の球が来たら……ちゃんと打ってくださいね?」
「……って言って容赦しないんだろ?」
俺はそう言い返して、構えた。
「先輩、よく理解ってるじゃないですか」
——この時、まだ知らなかった。
本当に澪が“勝ち確の球”を、わざと何度も作ってくることを。




