カフェキュウビの日常4話22
カフェキュウビの午後は、いつも少し眠たい空気に包まれている。
コーヒーミルの低い唸りと、カップが触れ合う乾いた音。光太はエプロンを結び直し、慣れた手つきでテーブルを拭いていた。
「いらっしゃい」
ドアベルが鳴り、振り向くと二郎がふらりと入ってきた。
いつも通り、気怠そうで、どこか場違いな存在感を放っている。
「コーヒー」
それだけ言って、カウンターの席にどさりと腰を下ろす。
「はい」
光太はサイフォンに水を入れながら、ちらりと二郎を見た。
コーヒーを差し出すと、二郎は一口すすり、満足そうに鼻から息を吐いた。
「姉さんはいねぇのか?」
「椿さんなら、今ちょっと買い出しに行ってます」
光太はそう答えながら、手にしたグラスを丁寧に拭いていた。
布越しに縁をなぞり、光にかざして曇りが残っていないか確かめる。
普段ならここまでしないが、今日は店も静かで、手持ち無沙汰だった。
「買い出しねぇ……」
二郎は意味ありげに鼻で笑い、
「とか言って、実はパチンコでも行ってんじゃねぇの?」
と豪快に笑った。
「さすがに……」
光太は一瞬否定しかけて、言葉を飲み込む。
「……いや、ありえますね」
「だろ?」
二郎は満足そうに頷き、カウンターに肘をついた。
「あっそうだ、そういえばな」
何か思い出したように、二郎が言った。
「スクーターが一台あるんだが、光太、乗るか?」
「スクーター?」
光太は思わず聞き返した。
「でも、免許持ってないですよ」
「免許? 何日か勉強して試験受けりゃ、すぐ取れるぞ」
あっさりと言う。
「そんな簡単なんですか……」
光太は半信半疑だった。免許というと、もっと大変なものだと思っていた。
「原付だしな。筆記だけだ。落ちてもまた受けりゃいい」
「へぇ……」
光太はカウンター越しに、自分の手を見た。
まだ何も掴んでいない手。
どこへでも行けそうで、どこにも行っていない手。
「……取ってみようかな」
ぽつりと漏れた言葉に、二郎はニヤリと笑った。
「そう来なくちゃな」
コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「じゃあ、スクーター持ってくるわ」
「え、今ですか?」
「今だ」
それだけ言って、二郎は店を出ていった。
ドアベルが鳴り、再び店内に静けさが戻る。
光太はしばらく、その音の余韻を聞いていた。
スクーター。
免許。
行ける場所が増える、ということ。
胸の奥で、何かが小さく動いた気がした。




