カフェキュウビの日常4話9
カフェ・キュウビに戻ると、すでに店の奥のボックス席にはタルタロスのメンバーが揃っていた。
カウンター越しにそれを見た椿が、軽く顎をしゃくる。
「――あれがバンドの連中じゃな。さっさと行ってやるがよい。店はそんなに客もおらんようじゃし」
椿は隣でコーヒーを淹れていた権助を労い、交代で彼を帰らせた。
キヌはシンクで皿を洗っていた。光太は頷き、ボックス席の方へ向かった。
そこにはリーダーのアキ、ギターのケイ、そして――あのライブで観客にドロップキックを食らわせた女の姿があった。
「やぁ、君が海の幼なじみの光太君だね。僕はジュンだよ」
帽子を目深にかぶり、淡いブルーのサングラスをかけたジュンは、柔らかな笑みを浮かべていた。
長い髪を後ろでひとまとめにし、涙の形をしたメイクが目元を強調している。
体つきは華奢で、あの狂気じみたステージの姿からは想像もつかないほど穏やかだった。
「どうも、橘光太です」
「どーもどーも、よろしくね」
ジュンは光太の手を両手で包み込むように握りしめた。
「この前はごめんねー。気がついたら手が出てた」
「手じゃなくて足でしょ。まったく……何かやるとは思ってたけど、まさかドロップキックとはね」
アキが呆れたように肩をすくめる。
「あははは、確かに! 知ってる? ドロップキックって外すと自分にダメージあるんだよ。
そのあとボコボコにされるし!」
「笑ってる場合か!」とケイがツッコミを入れ、周囲に笑いがこぼれた。
アキは軽く頭を下げる。
「ほんと、ごめんね。今日も本当は私と海が行く予定だったんだけど、海が来れなくなっちゃって。
そしたらジュンが“行く”って言いだしてさ。だから、念のためケイにも来てもらったの。ジュンがやらかすといけないから。」
「そうだったんだ」
光太は頷いたが、隣に座るジュンの視線がやけに気になって仕方なかった。
サングラス越しでも、まっすぐ自分を見ているのがわかる。
「少ししか聞けなかったけど、すごく良かったです」
光太は素直に感想を述べた。
アキが微笑む。
「ありがとう。今日はわざわざそのためだけに来てくれたの?」
「実は、それもあるだけど……ちょっと気になることがあって」
「気になること?」
「海のことなんだけど、あの子、最近変なのよ」
「変?」
光太が眉を寄せる。
「なんか練習にも身が入ってないし、話しかけても上の空だったりして」
「変っちゃ変かもしれないけど……そんなに気になることですか?」
「そうなんだけどね。幼なじみって聞いたし、何か分かるかなと思って」
ジュンが横から口を挟んだ。
「僕は気にしすぎだと思うなぁ。練習に身が入らないことなんて、僕だってあるし」
「アンタはいつもでしょ」
アキがすかさず突っ込み、ジュンは「やぶ蛇だった」とぼやいた。
アキは苦笑しながら続ける。
「ま、とにかく気にかけてやってよ。何かあったら連絡して」
そう言ってスマホを取り出す。
光太は一瞬何をするのか分からなかったが、連絡先を交換するのだと気づいて慌てて自分のスマホを取り出した。
交換を終えると、アキとケイは椅子を引いて立ち上がった。
「じゃ、私たちはこれからバイトだから」
「お疲れー」
ジュンが軽く手を振る。
だが、アキは席を立ったままジュンを見つめていた。
「……何してるの?」
「え?」
「え、じゃないわよ。あんた帰らないの?」
ジュンはにっこり笑った。
「うん、今日バイトも予定もないし。もう少しここにいる」
そう言うやいなや、ジュンは光太の腕にしなやかに抱きついた。
「ちょ、ちょっと……」
「アンタ、迷惑かか――」
「アキ、時間ないよ。早く行こ」
ケイが察してアキの言葉を遮る。ケイは分かっていた、ジュンは普段はおっとりしているが、自由を阻害されるされることを良しとしない。
アキは一瞬ジュンを見つめ、それから深くため息をついた。アキも感づいたようだった。
「……じゃあね」
そう言い残してケイと一緒に店を出て行った。
取り残された光太は呆然とし、腕に残る柔らかい感触にどうしていいか分からなかった。
「仲がいいでしょ、僕たち」
ジュンがご満悦の笑みを浮かべて言う。
「仲がいい、ねぇ……?」
光太は苦笑しながらも、ジュンの底知れぬ明るさと何か危うい雰囲気に、少しだけ圧倒されていた。




