カフェキュウビの日常4話3
「いらっしゃいませ!」
元気いっぱいのキヌの声が店内に響いた。
昨日までの不機嫌が嘘のようだ。
光太がカフェ・キュウビに入ると、
キヌの方からぺこりと頭を下げてきた。
「昨日はごめん」
その一言に、光太は少し驚いた。
もしかすると――椿が何か言ってくれたのかもしれない。
バイトが終わったあと、
光太は意を決してチケットを差し出した。
「これ……今度ライブがあるんだ。一緒に行かない?」
「行く!」
即答だった。
そして今――二人は新宿のライブハウスの前に立っている。
夜の街はまぶしいほどのネオンに包まれていた。
通りを行き交う人々のざわめき、
ビルの隙間から漏れるバンドサウンド、
空気全体が何かに浮き立っているようだ。
「ここが会場?」
キヌが看板を見上げた。
白地のボードに、黒いマジックで
いくつかのバンド名のなかに「タルタロス」と書かれている。
「あった、海のバンド」
光太は頷いた。
キヌは腕を組んで少し不安そうにあたりを見渡した。
「なんか、ドキドキするね」
「ライブって初めて?」
「うん」
「俺も」
二人は顔を見合わせて、
少しだけ照れくさそうに笑った。
ライブハウスの中からは
まだリハーサルらしいドラムの音が漏れている。
ベースの低音が地面を伝って体に響く。
光太は手にしたチケットを握りしめた。
小さな受付カウンターの向こうには、
鼻にピアスをした紫髪の派手な女が座っていた。
まるでこのライブハウスの空気そのものを体現しているような、
退廃的で、どこか楽しげな雰囲気をまとっている。
「どのバンドを見に来ました?」
低めの声。マニュアル的ではなく、慣れた調子だ。
光太は少し緊張しながら答えた。
「えっと、タルタロスです」
受付の女は無言で手元のノートを開き、
バンド名の横に正の字をひとつ足した。
ライブハウス側でデータを集めているのだろう。
そして、テーブルの上に置かれた空き缶の中から
ギターピックを二つ取り出して差し出す。
「はい、二枚ね」
光太は訳が分からないままそれを受け取った。
キヌと顔を見合わせながら、
二人は奥の通路を進む。
中ではすでに別のバンドが演奏を始めていた。
普段聞いたことのない音量に、光太は思わず肩をすくめた。
ドラムの一撃が空気を叩きつけ、
ベースの低音が腹の底から響いてくる。
――ライブとは、こんなに大きな音でやるものなのか。
音というより、もはや“空気の塊”がぶつかってくるようだった。
ドンドンと連続して押し寄せる音の圧力に、
光太の胸も高鳴る。
ステージの照明が青から赤、赤から白へと切り替わるたび、
観客たちの歓声が渦を巻いた。
前の方では、何人もの客が飛んだり跳ねたり、
リズムに合わせて身体を揺らしている。
一方、後ろの方では、
プラスチックカップに注がれたビールを片手に
ゆったりと会話を楽しむ者たちの姿。
思い思いの距離で、音楽を浴びていた。
床には、ライブのチラシらしき紙が散らばっている。
靴跡がいくつも重なり、半分に破れていた。
それでも、この混沌が――妙に心地よかった。
普段は大人しい光太のテンションも、
自然と高まっていく。
「これが、ライブってやつか……」
胸の奥からじんわりと熱が湧き上がってくる。
音の波に呑まれながら、
光太は初めて“生きた音楽”というものを実感していた。照明が点滅し、ベースやギターの音が床を震わせる。
狭い空間の中、熱気と汗の匂いが混ざっている。
光太の鼓動も音に合わせて速くなっていった。
右側には小さなバーカウンターがあり、
数人の客が列を作っていた。
光太は手にしたピックを見つめながら呟く。
「これ……ギター弾くときに使うやつだよな。記念品かな」
「たぶん、それ飲み物の券よ」
キヌが指差した先では、
客たちがピックをカウンターに置いて、
ビールやジュースを受け取っていた。
「あぁ、そういうことか」
光太は苦笑いをした。
ピックはすでに角が削れていて、
新品とは言い難い。
“記念品”にしては妙に使い込まれていると思った。
ライブハウスという場所は、
どうやら想像していたよりも、
もっと雑多で、もっと生々しい場所のようだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ライブハウスには何度か言ったことがありますが、とても楽しいところです。
ライブを楽しむならドームや武道館よりもライブハウスの方が楽しめると思います。
よろしければ感想を乾燥をお願いいたします。




