カフェキュウビの日常4話2
「ただいま」
「おかえり。お風呂、もう湧いてるわよ。私これから仕事で出かけるから」
キッチンから母の声がした。
いつものように慌ただしい。母がゆっくりしてるところをみたことがない。
――きっと、母は仕事が好きなのだろう。
光太は小さく返事をして、自室に荷物を置くと、そのまま浴室へ向かった。
シャワーの音、湯船に沈む音。
体の芯までじんわりと温かさが広がる。
「ふう……」
思わず声が漏れた。
湯を指ですくっては落としながら、ぼんやりと天井を見つめる。
気づけば、頭の中はキヌのことでいっぱいになっていた。
――キヌは、自分のことをどう思っているんだろう。
少なくとも、嫌われてはいない。
むしろ、どこか好意を感じるときがある。
けれど、それは“好き”ということなのか?
好きとは、どういう気持ちなんだろう。
もし誰かがキヌのことを好きになって、
その人と仲良くしていたら……自分は、腹が立つのだろうか。
わからない。
キヌのことを可愛いと思う時もある。
けれど、それは兄妹みたいな親しさなのかもしれない。
恋と呼べるほどのものなのか、自信がなかった。
湯気が浴室にこもり、視界が白く霞む。
光太は長く息を吐いた。
――考えても仕方がない。
けれど、考えるのをやめられなかった。
頭の中で何度も同じ問いが渦を巻き、
気づけば湯船の温度以上に頭が熱くなっていた。
「……やば、のぼせた」
湯船から立ち上がると、世界がぐらりと揺れた。
タイルの冷たさが、ようやく現実へと引き戻してくれた。
冷蔵庫から作り置きの麦茶を取り出し、コップに注ぐ。
光太はそれを一気に飲み干した。冷たい液体が喉を滑り、
熱のこもった体の中を通り抜けていくのが分かる。
「ふう……」
首にタオルを掛け、部屋に戻ろうとした。
ドアを開けた瞬間、ひやりと夜風が頬を撫でた。
「あれ……? 窓、開けっ放しだったかな」
そんな覚えはない。
訝しげに視線を窓の方へ向けると――そこに、椿が腰かけていた。
「なんじゃ、いないと思ったら風呂か?」
「な、なんでいるんですか!」
光太は心臓が跳ねるのを感じた。
椿は部屋を見回し、ふうと小さくため息をついた。
「しかし、色気のない部屋じゃのう。本当に高校生か?」
「うるさいな……」
「光太、お前、女に興味ないのか? セクスィーなポスターの一枚もないではないか」
――セクスィーってなんだよ。
椿はやれやれと頭を振る。
「何しに来たんですか?」
「ん? あぁ、なんじゃ、キヌのことじゃ」
その名前に光太はぴくりと反応した。
さっきまで風呂で考えていたばかりだ。
「キヌもな、よく分かっておらんのじゃ。許してやれ」
「え、なんで椿さんがそんなことを」
「少し光太が不憫に思えてのう。フォローじゃ」
「……そうですか」
光太の声は素っ気なかったが、
その言葉の奥に椿の優しさを感じ、その気遣いに感謝した。
「まあ、色々言おうと思ったが――これ以上は野暮じゃの」
椿はそう言って、夜風を背に微笑んだ。
光太はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「椿さんは……」
「妾か?」
椿は光太の心を読んだように笑う。
「長く生きておるからな。それなりにあったぞ。
死のうと思ったことも、殺そうと思ったこともな」
遠い昔を懐かしむように、椿は窓の外を見つめた。
月明かりがその横顔を照らしていた。
光太は、ただ息を呑む。
――椿に“釣り合う”誰かなど、想像すらできなかった。




