カフェキュウビの日常3話8
死神・佐川二郎は甘酒横丁で長蛇の列に並び、ようやく手に入れた鯛焼きの袋を抱え歩いていた。
家に持ち帰れば妹に取られるに違いない。冷めてしまうのも癪だ。
そこで二郎は、そのまま浜町公園へ向かった。
すっかり夜は更けて、公園には人影がない。街灯に照らされたベンチに腰を下ろし、二郎は鯛焼きを取り出した。
「やっと食えるぜ」
そう思った矢先、隣に人影が落ちた。女だった。
着物を纏い、三味線を抱えている。顔は深い被り物で隠れてよく見えない。
なぜわざわざ隣に座るのか、と二郎は訝しんだが、構わず鯛焼きを口に運ぼうとした。
すると女は、三味線の弦をはじきながら低くつぶやいた。
「……お前、婆さまを知らぬか」
鯛焼きにかじりつこうとした二郎の動きが止まる。
「はぁ?婆さま?知るわけねえだろ」
「そうか、知らぬか……いや、こやつ嘘をついておるやもしれぬ。そうだ、そうに違いない」
ヒュン──。
女は三味線のバチを抜き放ち、二郎の顔めがけて振り下ろした。
「おいっ!」
二郎はすんでのところで首を逸らし、髪の毛が数本宙に舞った。
「危ねえじゃねぇか!」
ピクピクと、こめかみに青筋が立つ。二郎の声は低く震えていた。
「婆さまはどこじゃ」
女は再びバチを振るう。ヒュン、ヒュンと二度続けざまに。
二郎は紙一重で身をかわしたが、着ていたシャツの袖が裂けた。
「……てめぇ。この服、高かったんだぞ」
静かな怒りがこもる。
「婆さまは、どこじゃあ!!」
女の咆哮と共に、撥が再び振り下ろされる。
二郎は鯛焼きの袋を胸に庇いながら長い脚を振り上げ、撥の軌道を弾き飛ばした。
ズシリと重い衝撃が足裏に伝わる。違和感を覚え、ブーツの裏を見やる。
「……なんだぁ、刃物でも仕込んでやがんのか」
お気に入りのブーツのソールが、刀で裂かれたように切り裂かれていた。
「おいおい、ソール交換だって金がかかるんだぞ」
女は狂気を帯びた声で叫ぶ。
「婆さまはどこじゃッ!」
大きく振りかぶった撥が、ブンッと唸りを上げて薙がれる。
二郎が身をひねってかわした瞬間、背後の桜の木がバキリと折れて倒れた。
「……なんだそりゃ。ほんとにバチかよ」
呆れ顔の二郎。
だがその目の奥には、確かに怒気が宿っていた。
「なんだ、なんだ!」
近くの路地から人が集まってきた。夜とはいえ、ここまで騒ぎが大きくなれば当然だ。
二郎は周囲をぐるりと見回し、舌打ちした。
「チッ……めんどくせえ」
胸に抱えた紙袋を見下ろす。鯛焼きの甘い匂いが、まだ漂っていた。
二郎は一つ取り出し、そのまま大きく口にほうばる。
そして、近くに停められていた自転車に手を伸ばす。
片手で軽々と持ち上げると、勢いよく女に向かって放り投げた。
「おらよッ!」
自転車は空気を裂き、鉄塊のごとき速さで女に迫る。
しかし女は怯むことなく、ヒュンッ、ヒュンッと撥を振るった。
ギン、と鋭い音を響かせ、自転車は三つに断ち割られ、無惨に地面へと崩れ落ちる。
女は警戒の構えを崩さず、じりじりと辺りを見渡した。
だが、そこに二郎の姿はなかった。
「……消えた?」
しばし立ち尽くした後、女は三味線を抱き直し、やがて闇に溶けるように去っていった。




