カフェキュウビの日常3話7(改)
読み返していたら抜けてるところがあったので追加してあります。
キヌと光太は深川のカツ丼を食べ終え、カフェキュウビへ戻ってきた。
そのカツ丼は卵でとじない新しいタイプで、厚みのあるカツを低温でじっくり揚げたものだった。しっとりとした肉は肉汁を逃さず閉じ込めていて、驚くほど美味かった。ただ──あんな出来事がなければ、もっと味わえたのに。光太はそんなことを思った。
店のドアを開けた途端、予想通り椿の雷が落ちた。
「お前ら、どこをほっつき歩いとったんじゃ」
キヌと光太は神妙な顔で謝った。ちょうど入れ違いで平次が訪れていたらしく、権助も帰ってしまったあとだった。店内には数人の客が残るだけで、外はすでに暗くなっていた。
そこへ、初老の男性がやってきた。
「あぁ、西岡さんか。お前ら、もう時間だから帰れ」
椿が告げる。カフェキュウビは午後六時からバーへと姿を変える。光太はいつも五時で上がるので、西岡に会うのは初めてだった。
西岡は白い髭を蓄え、丸眼鏡を掛けている。その目は細く、どこか慈愛を帯びていた。椿や客に軽く会釈をすると、静かに仕事の準備を始めた。
「椿さん、ちょっと話したいことが」
光太は思い切って声をかけた。
「話?──ちょうどこれからバーの時間じゃ。外に出るか」
「お願いします」
三人は連れ立って隅田川のテラスへと向かった。夜風が涼しい。ドッグランではボーダーコリーが飼い主の投げたボールを追いかけ、別区画の小型犬のところではチワワやダックスが甲高い声でキャンキャンと吠えていた。
川の対岸には新しいマンション群が並び、その屋上には高速道路が通じている。看板のネオンが煌々と光り、川面に揺れていた。浜町公園を抜け、三人は清洲橋のたもとに辿り着いた。
ドイツのケルン市にあったヒンデンブルク橋を模したそのデザインは、夜になると青白いライトアップに浮かび上がり、ひときわ存在感を増す。橋の下では屋形船や水上バスが行き交い、提灯の明かりが川面に映えていた。
光太は、甘酒横丁で見た奇妙な出来事を椿に語った。
話している間、キヌは珍しく口を挟まず、黙って耳を傾けていた。
一通り聞き終えると、椿は煙管をくるくると指で回し、夜空を見上げながらつぶやいた。
「なるほどのう」
しばらく考え込んでから、椿は口を開いた。
「実はの、さきほど平次のやつが来てな。買い物横丁から猫が人間界へ紛れ込んでいるかもしれぬと聞いた」
「猫?その猫がどうしたんです?まさか、ただの猫じゃないってことですか?」
光太も、妖怪の存在に少しずつ慣れてきていた。
「そう、その猫が──猫又になっておるかもしれんのじゃ」
「猫又!?」
光太とキヌの声が重なった。
椿は頷き、煙をふっと吐いた。
「猫又とは、猫が長生きして妖怪に変じた姿じゃ。人の言葉を話し、二本足で歩き、人に化けることもできる。性格も二面性を持っておる。飼い主に恩返しをすることもあれば、悪さを働くこともある」
「じゃあ、悪い面が出てるってことですか?」
光太が息を呑む。
「平次の話を聞く限りでは、その可能性が高いのう」
「でも、どうして人間界に?」
キヌが問いかけると、椿は平次から聞いた話を二人に伝えた。
猫はタバコ屋の婆さんに長年可愛がられていたが、婆さんが亡くなった。その死を受け入れられず、猫が人間界に探しに出たのではないか、と。
「……」
光太とキヌは言葉を失った。
やがて光太は意を決して尋ねた。
「その猫又って、強いんですか?椿さんでも敵わないとか」
椿はしばらく煙管を見つめてから答えた。
「妖怪の強さは“思いの強さ”による。思いが強ければ強いほど力を得る。そして妖怪として過ごした年月が長ければ長いほど力は増す。件の猫又はなったばかりゆえ、まだ時間による力は弱いはずじゃ……。妾が本気を出せば抑えるのは造作もない」
「じゃあ、大丈夫ですね」
光太は少し安堵の声を漏らした。
「──ただし、未知数であることに変わりはない。だから二人とも油断するでないぞ。何かあったらすぐ妾に知らせよ」
向こうから平次が小走りでやってきた。
「おーい!」と手を振っている。
「どうした?」
椿が振り返ると、平次は息を整えながら報告した。
「実は、木場にある美術館で――太刀が消えたそうです」
「消えた? 盗まれたの間違いではないのか?」
「それがカメラにも映ってないんですよ。状況的に見て、“消えた”としか言いようがないらしい」
椿の表情がわずかに険しくなる。
「ふむ……で、その太刀がどうした」
平次は声を潜め、言葉を選ぶように続けた。
「それが、消えた太刀が――あの《都牟刈》なんです」
「都牟刈、じゃと?」
椿の眉がぴくりと動く。
光太は首を傾げた。
「都牟刈って……なんですか?」
「草薙剣は知っておるな?」
「はい、漫画とかアニメでよく出てくるやつですよね」
「草薙剣、またの名を天叢雲剣。そして都牟刈太刀――どこかの好事家が所有しておったが、事業に失敗して手放したと聞いていた」
椿は腕を組み、目を細める。
「都牟刈っていや、かなりの曰く付きだ」
平次が補足するように言った。
「手にした者の心を奪って、必ず悲惨な末路を辿るって噂です」
「なるほど……」
椿は唇を噛み、風に長い髪を揺らした。
「今回の件と関係があるかは分からぬが――」
その声は低く、どこか張り詰めていた。
「頭に置いておく必要はありそうじゃな」
椿の目が鋭く光った。
川風が冷たく吹き抜け、三人はしばらく無言で清洲橋のライトアップを眺めていた。
その夜、椿は「夜廻りをしてくる」と言い残し、闇に溶けるように姿を消した。
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