カフェキュウビの日常2話10
「パンケーキといえばメイプルシロップよね。でも蜂蜜となにが違うのかな」
キヌが首をかしげながら言った。
「メイプルシロップは楓の樹液から作るものじゃ。少しカラメルのような風味がある。一方で蜂蜜は蜂が集めた花の蜜でな、花の種類によって味わいが変わるんじゃ」
「へぇー、知らなかった。同じものかと思ってた」
キヌはいたく感心している。
「できたぞ」
椿の声に二人が顔を上げる。
うさぎ達が皿の縁をぐるりと走り回っていた。人参を抱えていたり、転んで尻もちをついていたり──遊び心のある模様が皿を飾っている。
その中央には、キツネ色にこんがりと焼き上がったパンケーキが三枚、ふっくらと積み重なっていた。表面からはまだ湯気が立ちのぼり、真ん中に置かれたバターがじわじわと溶けて黄金色の液体となり、パンケーキの表面を覆っていく。そこにメイプルシロップがとろりと垂らされると、甘やかな香りがさらに広がり、否応なく食欲を刺激した。
「いただきまーす!」
キヌは目を輝かせてフォークとナイフを手に取り、ふわりと切り分けると、嬉しそうに口へと運んだ。
「……おいしぃ」
頬をほころばせるその姿は、見ているだけでこちらまで幸せになるようだった。
カランカラン──と、扉のベルが鳴った。
入口を振り向くと、そこに立っていたのは権助だった。
「ちきしょー、雨に降られた」
どうやら雨宿りに立ち寄ったらしい。
「なんだ、美味そうなもん食ってんな」
そう言いながら、権助は光太の横へどっかと腰を下ろした。
「今日は閑古鳥みてぇだな」
店内を見回しながら呟く。
「権助、お前もパンケーキ食べるかえ?」
椿が尋ねる。
「はっ! 俺がそんな小洒落た食いもん食えるかよ。酒くれ、酒」
「昼から酒とはな……まぁ、今日くらいは良いかもしれんな」
椿は肩をすくめ、タオルを差し出した。
「焼酎くれ。芋だ」
権助はタオルで頭を拭きながら答える。
「魔王じゃ」
椿はさらりと銘柄を言い、グラスを差し出した。
権助は豪快にぐびぐびと半分ほど飲み干す。
「かぁーっ! これこれ!」
「お酒、あるんですか?」光太が驚いて尋ねた。
「あるぞ。話さなかったか?この店、夜はバーもやっておるからの」
ちょうどその時、鉄板で何かを焼く音がして、甘い香りに代わって香ばしい匂いが漂い始めた。
「どれ、イカでも炙ろうかの」
椿が呟くと、権助が嬉しそうに膝を叩いた。
「さっすが姉さん、分かってる!」
「お酒のどこがいいのか、さっぱりだわ」
キヌはパンケーキの皿を抱え、そそくさと奥の席へ避難する。
「ガキだねぇ」
権助がからかうと、キヌは舌を出して抗議した。
「うどん屋はどうじゃ?」
「あぁ、ボチボチだな」
焼酎をあおりながら権助は答える。
「なんだぁ、ジャズかけてんのか。演歌だろ、演歌」
二杯目の焼酎を注ぎながらぼやいた。
「残念じゃが、演歌はないのう」
椿も、いつの間にか自分のグラスを手にしていた。
「権助、生まれは四国じゃったか?」
椿がグラスを回しながら尋ねた。
「へい」
権助は椿を一瞥して短く答える。
「四国じゃと、どんな焼酎があるのかの?」
「ダバダ火振とか……あとは鳴門金時ダバダ。あれは栗だけどな」
「ほう、ダバダ火振か。面白い名じゃの」
椿は唇の端を上げた。
「鳴門金時といえば焼き芋も有名じゃな。甘い香りと焼酎、よう合いそうじゃ」
権助は「まあな」と肩をすくめ、再びグラスを傾けた。
「栗!? おいしそーう!」
キヌがリスのように口いっぱいにパンケーキを詰め込みながら叫んだ。
権助は苦笑してグラスを揺らす。
「山里で人が集まる場所を“駄馬”って呼ぶんだ。四万十川じゃ“火振”ってのは火振漁のことだ。夏の夕暮れに松明を振って鮎を追い込むんだぜ」
「それで“ダバダ火振”か。面白い名じゃのう」
椿は感心したようにうなずく。
奥の席では、光太がキヌの口を拭こうと手を伸ばし、二人でわちゃわちゃと騒いでいた。キヌはもう酒の話にはまるで興味を示していない。
「夏の夕暮れ、四万十川、松明のあかり……画に
なる光景じゃな」
椿が目を細めて言う。
「姉さん、今どきは“ばえる”とか、“えもい”って言うらしいですよ」
「えもい? そうか、それは勉強になったわ」
「えもいのう」
「えもいねぇ」
権助は焼酎をぐびりとあおり、イカを噛みしめた。
外はさっきよりも雨脚が強くなっていた。道端には大きな水たまりができ、排水溝には水が勢いよく流れ込んでいく。突然フラッシュを焚いたように外が光り、数秒遅れてゴロゴロと雷鳴が響いた。
その間に、キヌと光太はいつの間にかトランプを始めていた。キヌがキャーキャーと声を上げ、カードを投げ出すように遊んでいる。普段なら「うるせえな」と思うところだが、酒がほどよく回っている椿と権助には、それがむしろ心地よいBGMになっていた。
椿も権助も、いい塩梅に酔いがまわっていた。
ジリリリリーン──。
古めかしいベルの音が店内に響いた。
「それ……置物じゃなかったんですね」
光太は思わず声をあげる。
「もちろん使えるぞ」
椿はカウンターの隅に置かれた赤電話の受話器を取り、耳に当てた。
「ふむふむ……なるほど……。あい、わかった。伝えておく」
数言やり取りしてから、椿は受話器をそっと戻した。
「誰からです?」光太が尋ねる。
「平次からじゃ」
「平次!」
名前を聞いた瞬間、キヌが椅子を蹴るように立ち上がり、駆け寄ってきた。
「姉さん、平次だったの? なんて言ってたの!?」
「うむ。詳しいことまでは言わなんだ。ただ……とにかく明日、こっちに来てくれと」
椿の「こっち」とはもちろん、あの妖怪たちがひしめく“買い物横丁”──妖怪の町のことを意味していた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
後書きは初めて書くので、なにかいてよいのやら。
キャラ名って悩みますよね。
インパクトある方がいいのか普通の名前がいいのか、悩みました。
あまり読みにくくない感じにしました。
この物語が終わる頃には、この名前以外ありえん、ってなるように頑張ります。