カフェキュウビの日常2話8
幸いなことに、診療所はそれほど遠くなかった。
「ここだ」
白衣の女が指さした先には、古びた木造の建物があった。
入口脇の看板には「七曲診療所」と墨で書かれており、少し傾いたまま立てかけられている。
戸を開けると、ひんやりとした空気。
簡易ベッドがひとつ、机がひとつ、椅子がふたつ。壁際の棚には、薬瓶や乾燥した薬草の束が雑多に並んでいた。
まるで昔の駄菓子屋の裏部屋を無理やり診療所にしたような、質素で小さな空間だ。
「そこのベッドに転がしておけ」
こころの指示に従い、キヌと光太は平次をベッドに横たえる。
心は椅子に腰を下ろし、丸眼鏡の奥からじろりと二人を見た。
「私はここで診療所をやってる、七曲心だ。……お前らは?」
「キヌよ。こっちは光太」
光太は軽く頭を下げる。
二人はこころに、川に落ちたことから財布の件まで、一通りの経緯を話した。
「なるほどなあ……そりゃ、大変だったな」
「本当よ、まったく……くしゅんっ!」
キヌが可愛らしいくしゃみをすると、こころは小さくため息をつく。
「このままでは風邪をひくな。銭湯にでも行ってこい」
そう言って、患者用の着物と銭湯の無料チケットを二枚、ぽんと差し出した。
キヌと光太は礼を言い、銭湯へ向かっていった。
その間、ベッドの上の平次がうっすらと目を開ける。
「……やっと目を覚ましたか」
こころの冷ややかな視線に、平次はバツが悪そうに目をそらす。
「お前、キツネの財布を盗んだのか? 観念して返せ」
「……ない」
「なんだと?」
「だから、もうない。質に流した」
「はあ!? 質だと!」
こころは大きく天井を仰いだ。
「お前は命を助けられたんだぞ」
「……分かってる」
「で、どうするつもりだ」
「……買い戻すしかねぇだろ」
そう吐き捨てると、平次はベッドから身を起こし、ふらりと外へ出ていった。
──三十分後。
銭湯から戻ってきたキヌと光太が診療所の戸を開けると、平次の姿はもうなかった。
「平次のやつは帰ったぞ」
こころは机に肘をつき、あっさりと言う。
「財布だが……もう平次の手元にはない。質に流したそうだ。買い戻すと言っていたが、いつになるかは分からんな」
「……そう」
キヌはほんのわずかに肩を落とし、か細い声で答えた。