カフェキュウビの日常2話7
川は思ったよりも深かったが、幸いキヌも平次も無事だった。
キヌは冷たい水をかき分け、岸まで泳ぎ着く。
そこへ、全力疾走で追いかけてきた光太が息を切らせて現れた。
「大丈夫?」
「大丈夫だけど……大丈夫じゃない」
キヌは情けない声を出し、ずぶ濡れの着物の裾をギュッと絞る。
水がポタポタと地面に落ち、白い足があらわになった。少し細めだが、健康的で滑らかな肌。
光太はドキリとし、慌てて視線を逸らす。
髪も着物もびっしょりで、その姿はなんだか見てはいけない気がした。
「そ、そういえば……平次は?」
「平次? ……あれ、どこ行ったのかしら」
その時――
「たすけてくれーー!」
川の中央から情けない叫び声が響いた。
光太が指をさす。
「あれ、平次じゃない?」
「はっはーん、アンタ、さては泳げないのね。バチよバチ。いい気味だわ」
キヌは口元を吊り上げ、満足そうに笑う。
だが光太の声は急に真剣味を帯びた。
「やばくない? ……あれ」
見ると、最初は激しく水をかいていた平次が、徐々に動きが鈍くなっている。
胸まで浮かんでいた体が、今は頭がやっと水面に出ている程度。
「ちょ、ちょっと……」
キヌも流石に焦った。
憎らしくても、ここで沈まれたら寝覚めが悪い。
「助けよう」
光太はためらわず川へ飛び込んだ。
「ひいっ、つめたっ!」と思わず声が裏返る。
「もう……仕方ないわね」
キヌも続いて川へ飛び込み、二人で平次のもとへ泳ぐ。
平次はすっかり力が抜け、ぐったりしていた。
キヌと光太は両側から着物をつかみ、必死に岸へと引き上げた。
「ねえ……これ、死んでないわよね」
キヌが不安そうに光太を見上げる。
光太は答えなかった――いや、答えられなかったと言うべきだろう。
何か言って安心させたい気持ちはあったが、喉がひゅっと詰まって言葉にならない。
二人がどうすべきか迷っていると――
「おやおや、一体どういうことかね」
ひょい、と白衣を羽織った小柄な女が現れ、平次の顔を覗き込んだ。
「へぇ、へぇ……ふむぶむ」
何か珍しい玩具でも見つけたかのように、じろじろと観察する。
そして、唐突に――
「えいっ」
ドゴッ、と肘鉄が平次の腹に突き刺さった。
キヌと光太は「うわ、痛そう……」と反射的に目を背ける。
「ぐえ!」
蛙が自転車にひかれたような情けない声が響き、平次の口からピューッと川の水が噴き出した。
「ゲホッ、ゲホッ……」
咳き込みながら、ようやく息を取り戻す平次。
女は丸い眼鏡をかけ、背丈は小学校低学年ほど。だが、その目が一瞬ギョロリと爬虫類のように光ったかと思うと、すぐ元に戻った。
「……一応、診療所に運ぶか」
そう言って、女は光太をまっすぐ見据える。
「お前ら、コイツを運んでくれ」
勝手なことを言うな、と光太は思ったが、平次をこのまま放っておけるはずもない。
それに、周囲にはもう見物人が集まり始めており、これ以上騒ぎを大きくしたくもなかった。
ちらりとキヌを見ると、「仕方ないわね」と肩をすくめる。
近くの家から戸板を借り、平次を横たえる。
そして、白衣の女の背を追って歩き出した。