カフェキュウビの日常2話4
腹ごなしにキヌと光太は街を歩いていた。
「鳥居だ」
光太が指さした先には、古びた稲荷神社の鳥居が立っていた。
「お稲荷さんね。ちょうどいいわ、お参りしましょ。ここのはすごくご利益があるって有名なのよ」
キヌはそう言って、鳥居をくぐって石畳の参道を進む。二人が小さな社の前に立つと、キヌは賽銭を出そうと裾に手を入れた。
しかし──
「あれ!? ない……」
「どうしたの?」光太が心配そうに尋ねる。
「どうして……あっ!」
キヌの顔にハッとした表情が浮かぶ。
「さっき、子供にぶつかったでしょ。あの時だ!」
確かに、少し前に小さな子供とキヌがぶつかった場面があった。子供はキヌの腰くらいの背丈しかなかった。
「子供が? まさか……だって、あんなに小さかったじゃないか」光太は腰の高さに手を当てる。
「忘れたの? ここは妖怪の街よ。小さな子供に変化するなんて、朝飯前よ!」
キヌは一気に顔色を変え、怒りで頬を膨らませる。
「うー、許せない! 私の財布をスるなんて!」
ダンダンッと地面を踏み鳴らして地団駄を踏むキヌ。
「そうとなれば聞き込みよ、行くわよ!」
そう言うなり、キヌは駆け出した。
「ちょっ……もう、仕方ないな」
光太は「もう少し冷静に考えよう」と言いかけたが、結局キヌを追いかけることにした。
光太がキヌに追いつくと、彼女はすでに団子屋のネズミの店員に話を聞いていた。
「子供にぶつかってスられたんだけど、何か知らない?」
「そうねぇ、それ、多分スリの平次よ。うちのお客さんも何人も被害に遭ってるわ」
「それって、これくらいの子供?」
キヌは自分の腰のあたりに手をやる。
「うーん、子供じゃないけど……ウワサによると、平次は変化の上手なイタチらしいわよ」
「やっぱり変化するのね」
キヌは難しい顔をしながら頭をかいた。
それから二人は魚屋、八百屋、定食屋などを回って話を聞いた。断片的な情報が少しずつ繋がっていく。スリの平次は変化が得意で、見分けが難しいこと、男でイタチであること、そして何より賭け事が好きらしいということが分かった。
「賭け事というと賭場かぁ……この辺にあるの?」光太が尋ねる。
「一軒だけあるわ。行ったことはないけど、さっきの神社の近くにあるらしいの」
気がつけば太陽は西に傾き、あたりは橙色に染まり始めていた。
「賭場が開くのは日が沈んでからよ。もう少ししたら行ってみましょ」
キヌはどこかムキになっているようだった。
「……危なくない?」光太が心配そうに言う。
キヌは少し黙ったあと、ぽつりと漏らした。
「正直、お金はもうどうでもいいの。大事なのは財布の方。あれ、母さんの形見なんだ」
「キヌ」光太は静かにいった。そして「そうだったんだ……」と言葉を繋いだ。
「母さんね、私が小さい頃に死んじゃったの。記憶はあまりないけど、四つの時にくれたのがあの財布。それだけは今でもハッキリ覚えてるの。もう顔も思い出せないけど、あの財布を見ると“ああ、母さんは確かにいたんだ”って思えるの。だから、どうしても失いたくないの」
キヌの目は真剣で、光太はこれは止められないなと思ったし、止めるべきでもないと思った。
二人は手持ちがないので、川沿いを歩きながら話した。食べ物屋の前は通らないようにしていた。見てしまえば、きっとお腹が空いてしまうから。
川には太鼓橋が架かっていて、二人がその上を歩くと「かつん、かつん」と音が鳴った。橋の真ん中に差しかかると、両岸には満開の桜が咲き誇っていて川に沿って赤い提灯がいくつもぶら下がっていた。
花見をしている一団がちらほらと見える。酒を飲みながら、妙な歌を歌っている者もいた。内容は「たぬきを蹴飛ばすと金が出てくる」とかで意味不明だったが、周囲は「いいぞいいぞ」と大笑いしていた。一升瓶を抱えて眠る者、酔いすぎて木陰でもどしている者もいた。
色んな者たちの色んな想いを満開の桜はただ包みこんでいた。
老若男女、良いも悪いも綺麗も汚いもない。すべてを分け隔てなく、ただ包みこんでいる。
ごーんと、どこか遠くで時間を知らせる鐘の音がした。
キヌと光太は、先ほど訪れた神社の前まで戻ってきた。辺りに人影はなく、時折吹く風が木々の葉をかさかさと鳴らすだけの静けさだった。
鳥居をくぐり、境内を見回すと、正面から少し外れた位置にひっそりと隠された建物があった。窓からは淡い明かりが漏れ、威勢の良い声が中から響いてくる。
「どうやらここみたいね」
キヌは腕を組み、建物を鋭く睨んだ。
「そうみたいだね」
光太はやや不安げに周囲を見渡した。
「いざ!」
キヌが勢いよく戸を開くと、擦り切れた畳の上で賭場が開かれていた。
中ではサイコロや花札を囲み、男たちがギラギラと目を光らせていた。跳ねて喜ぶ者、絶望して頭を抱える者。煙草の煙が部屋に充満し、空気はどこか重い。倒れた一升瓶からこぼれた酒が床に広がり、鼻をつくアルコールの匂いが漂っていた。
二人は壁際に立ち、イタチの平次らしき姿を探したが、それらしい者は見当たらない。
目の前でサイコロを振っていた男が「ちくしょー」と叫んで外へ出ていった。入れ替わりに、胴元らしき女と目が合う。女は着物を半分はだけ、肩を露わにしながらサラシの胸元でサイコロを弄んでいた。
「おや、見ない顔だね。どうだい? いっちょやるかい?」
そう言って女はサイコロを茶碗に放り込んだ。サイコロはカランカランと乾いた音を立てて跳ね、茶碗からこぼれそうになりながらギリギリで止まる。
「私たち、平次っていうイタチを探してるの。何か知らない?」
キヌが切り出すと、女は目を細め、ゆっくりと煙草を吸い込んだ。その仕草にキヌが苛立ち、何か言おうとしたとき、女が口を開いた。
「ここは賭場だよ。あんたら、これで勝ったらアタイの知ってること、話してやってもいい」
「うっ……でも、私たちお金ないもの」
キヌはぷいっと顔を背ける。
「へぇ〜そうなのかい。でもね、賭けるもんは何も金だけとは限らないのさ」
女の口元がにやりと歪む。完全に一枚も二枚も上手な態度だった。
「一体何を賭けるんですか?」
光太が慎重に尋ねる。
「そうさねぇ……命、とまではいかなくても、腕?足?指?」
そう言いながら、女は舐めるようにキヌを見たてた。
キヌは青ざめて叫んだ。
「い、いやよ! そんなの賭けるわけないでしょ? バッカじゃないの?」
「ふふふ、冗談よ。そんなに怒りなさんな」
女は煙を吐きながら肩をすくめる。
「そうさねぇ、アタイの言うことを一つ聞く──ってのはどう?」
「そんなことでいいの?」
キヌの瞳が好奇心で輝いた。
「キヌ、口車に乗るな」
光太がすかさず制止した。
「命とか、そういうのじゃないですよね……?」
その言葉に、キヌもハッと我に返る。
「まさか。そんな大それたことじゃないさ」
女は肩を揺らして笑った。
「誰にでもできる、簡単なことよ。ちょっと一杯、付き合ってもらうだけさ」
「……俺たち、未成年ですけど」
「大丈夫、大丈夫。マタタビ茶だから」
「お茶なら問題ないわね」
キヌはにこりと笑った。