塔の導き手
空の塔の内部は、世界そのものが反転したような空間だった。天井も壁も、どこまでも続く空のように見えた。雲がゆるやかに流れ、重力の感覚すらあいまいになる。
カイルは歩いた。祖母の残した書と、白衣の男――導き手に導かれるままに。
「ここは、現実と夢の狭間。塔は“見る者”に応じて姿を変える」
導き手はそう言った。名を問うと、「名はない」と答えた。ただ「道を示す者」だと。
「塔は、力を求める者には試練を与え、捨てた者には出口を与える。だが、お前には“鍵”がある」
「……無属性のことか」
カイルはつぶやく。今まで忌み嫌われてきた力の無さ。それが鍵であるというのなら――
「信じられないよ。だって、俺は、何も持ってない」
導き手は微笑んだ。
「それが“すべてを受け入れる器”ということだ」
◆
塔の第一の間。
そこには、一本の大樹がそびえていた。だが、根が黒く腐っている。周囲は氷のように冷たく、生命の気配はない。
「試練は一つ。“命を与えよ”」
「……どうやって?」
導き手は何も答えない。カイルは、大樹の根に手を当てた。
何も起こらない。
だが――祖母の言葉を思い出す。
“心を澄ませ。空っぽであることは、すべてを映すということだ”
カイルは、ただ手を置いたまま目を閉じた。すると、大地の脈動が感じられた。風の呼吸、空気のゆらぎ、大樹の微かな鼓動――
「……生きてる」
その瞬間、大樹の幹に微かな光が灯った。
カイルの中に、風が吹いた。
まるで精霊のような声が囁く。
《お前は“空の器”か。では、契約を》
風が渦巻き、カイルの腕に紋様が刻まれた。属性を持たぬはずの少年に、風の加護が宿る。
「これは……俺の……」
「最初の力だ」
導き手が頷く。
「塔は応える。“空白”には、すべてが流れ込む」
◆
第二の間では、己の幻影と対峙した。
否定の声が、何度もカイルに向かって投げられた。
「お前は何もできない」
「誰からも必要とされていない」
「塔の力など、扱えるはずがない」
カイルは膝をつきながらも、叫ぶ。
「違う! 俺は、証明してみせる。持たぬことが、無力じゃないと!」
その瞬間、幻影は霧散した。第二の間が開く。
◆
そして第三の間。そこにあったのは、巨大な鏡だった。
鏡の中に、見覚えのない都市が映っている。
空が裂け、人々が祈り、巨大な光の柱が降り注ぐ。都市は消えていく。
「これは……未来か?」
導き手が言う。
「この世界は、神の民に支配されている。塔の力は“禁忌”とされ、お前のような者は異端として処刑される」
「……なんでだよ。塔は、誰にでも力を与えるんじゃないのか」
「それが恐ろしいのだ。“選ばれた血”だけが力を持つ。それがこの世界の偽りの秩序」
カイルは拳を握る。
「じゃあ、俺が変えてやる」
「その覚悟があれば、塔はお前の味方だ。……次の間が最後だ。精霊たちが眠る部屋、“空の心臓”へ」
扉が開いた。
風が吹く。
塔の最深部への階段が、カイルの前に現れた。