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人外討魔伝記  作者: 一ノ瀬カイヒロ
第二章 弾丸の魔女
28/85

第27話 日本最後の空襲

今回のお話は、数年前に霊が私に見せてくれた記憶の一部を使っています。

あの時はなんで?って思ってましたが、この時のためだったのかと今は納得しています。

どうかこの記憶の霊に哀悼の意を示してくれたら幸いです。


では、セツの目線からどうぞ!

1945年 8月14日

熊本県(くまもとけん)八代市(やしろし)


アタシが子供の頃、『生島いくしま 節子せつこ』として日本で住んでいた頃だ。



アタシ達の家族は、戦争の真っ最中で命を繋いでいた。



何度も何度も空襲に遭い、国による食料配布も止まり、アタシはえをしのために、小学校に通うのを辞めて、弟と一緒に働きに出ていた。


兵士として戦争に行ったお父さんが、小さいながらも人気ひとけの無い所に田んぼと畑の農地を持っていて、アタシはそこで肥溜こえだめから肥料ひりょういて土をたがやして、川から水をんでいていた。


当時のアタシにはとても過酷かこくな重労働で、お米を作っても全部お国に持って行かれて、私達はどうにか収穫したいもなどを持って帰ることと、仲良しのご近所さんからお裾分けを貰ったりして食べれてはいた………。


それでも、持って帰る最中に大人に略奪されたり、弟がいわれのない暴力を受けてかばってる間に食料を奪われたりして…………それでも私達家族は懸命に生きていた。



「ただいま、お母さん」



家に帰ってきた私達はサツマイモとゴボウ、そしてカボチャを持って帰ることが出来た。

お母さんはアタシ達の姿を見てホッとした笑顔を浮かべて、優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。



「お帰りなさいセッちゃん、大丈夫だった?」

「うん、頑張ってちゃんと育てたよ!」

「そう、ありがとね」



お母さんは片腕を失っていた。


前の空襲の時に、防空壕ぼうくうごう避難ひなんするのが少し遅くれて、爆弾の直撃を避ける為に叔父おじさんがお母さんを投げて、その時にお叔父おじさんは爆弾で吹き飛ばされて帰らぬ人に………。

お母さんは爆弾の直撃はまぬがれたものの、右腕を失ってしまった。


アタシとお母さんは悲しみに暮れたが、弟の重正しげまさが泣きながら「ぼくがおかさあんをまもるんだ!!」と言って、幼いいさましさをみせて、お母さんは微笑ほほえみながら弟の頭を撫でてあげて、アタシ達家族はどうにか立ち直った。


でも…………




「ぼくもがんばったよ!」

「ふふ、ありがとねシゲちゃん」


お母さんは大粒の汗を吹き出しながら、苦しそうな表情を見せずに微笑ほほえみ続けた。


当時のアタシは、お母さんが無理をしているということだけは分かっていたけど、片腕を失ってたお母さんは、この時にやまいかかっていた。


失った腕の傷から雑菌が入って、お母さんの傷は糸を引いていた………。


今だからこそ分かるが、お母さんは蜂窩織炎ほうかしきえんという感染症かんせんしょうかかっていた。


今の時代なら、早期に適切な処置をほどこされる為に、まず罹患りかんすることはほとんど無い。


だが、薬も医者も不足して、野戦病院やせんびょういんですら満足いく治療が出来なかったこの時代では、私達一般庶民(いっぱんしょみん)は後回しになっていた…………。


すごつらいはずなのに、お母さんはアタシ達姉弟(きょうだい)の前ではずっと微笑ほほえみ続けて、子供(アタシたち)の前では、決してつらそうな表情は見せなかった……。



「さ、それじゃぁご飯の前にちょっと色々とキレイにしましょうか」

「ぼくせんたくものとってくるよ!」

「じゃあ、アタシは水を汲んでくるね」



当時は飲水のみみずすら貴重で、私達は身体をキレイにするのも洗濯をするのにも数日に……いや、10日に1回くらいの頻度にして節約し、あらゆる物を我慢していた。



それ程までに……戦争によって色んなものを制限していた。



身体や洗濯をするのにも、灰と水を混ぜて灰汁あくを作り、それを手拭いに染み込ませてゴシゴシと身体をく程度。

同様に溜まった洗濯物も、灰汁あくに漬けてから洗濯板でゴシゴシして洗う。


石鹸なんて高価なものだ。




今の時代の人間では、話では理解しても、体験しなければ本当に理解する事は出来ない。




テレビの終戦記念特番で、当時の状態をドラマとしてやってはいるが、あんな優しいモノじゃない。


…………いや、むしろその特番をただのエンタメとして見て笑っている馬鹿も存在する。

馬鹿にとってそれは、安全が約束された舞台の上のエンタメでしかない。



アタシ達親子は、そんな中を懸命に生きていた。



少しでもお母さんの負担が減らせればと、アタシと弟は頑張っていた。

でも、そんな日が突如として終わりを迎える事となる………。



=================================


その日の夜………。

8月14日、午後22:30分。


早めに就寝したアタシ達の眠りを、大嫌いなあの音が叩き起こした。




空襲警報だ。




普段からいつ空襲が始まるかわからないから、アタシ達の常に近くには、防空頭巾ぼうくうずきんを置いてあった。



またあの恐怖の時間が始まる……。



アタシは重正しげまさと一緒に、お母さんが寝ている部屋に駆け込んで、一緒に逃げようとした。


だけど、お母さんは布団の中では大量の汗をかいて、苦しそうな表情とともに、失った右腕の傷を強く押さえていた。

傷が赤くれ上がっていて、強い痛みがお母さんを襲っていた。


蜂窩織炎ほうかしきえんの症状が強く出ていた。


敗血症も併発へいはつしていて、臓器不全ぞうきふぜんも起こして、立つこともままならなかった。



苦しむお母さんを放おっておけないアタシ達は、弟と二人でお母さんをかついででも、防空壕ぼうくうごうへと逃げようとした。



「お母さん!早く逃げよう!!」

「ハァ、ハァ……セッちゃん、シゲちゃん………お母さんを置いて、行きなさい」



子供のアタシ達にとって、この時のお母さんの言葉は理解出来なかった……。



苦しそうにしていたのは分かっていた………だけど………




「お母さん…?」

「セッちゃん……お姉ちゃんなら、分かるでしょ?」




アタシは、頭は良くなかった。


小学校を中退して、勉強の機会を失ってでも、アタシは家族と過ごす事を選んで、後悔は無かった。


無かったけど……お母さんの病気がここまで深刻化するなんて、微塵みじんにも思っていなかった。




「ごめんね……お母さん………もう…痛くて、動けないの…………だからお願いセッちゃん、シゲちゃんを連れて逃げて」




アタシの頭は真っ白になった………。


アタシの心が……お母さんの言った言葉を、理解するのを拒否していた。


親からこんな事を、12歳の少女が言われて理解しろと言われたら誰だってそうなる。

でも、空襲はそんな理解も考える時間を与えてくれることは無かった。


近くで爆発する音がした。


空襲警報くうしゅうけいほうが鳴れば、少し猶予ゆうよがあるはずなのに、今回は空襲くうしゅうは早かった!



爆弾が投下されて、辺り一面が火の海と化し、人の悲鳴が彼方此方あちこちから響き渡った。


使用されたのは焼夷(ナパーム)弾だった。



「そんな!お母さんも一緒に……」

「行きなさい!! あなた達だけでも、生きていきなさい!!」



お母さんは自分の命の灯火ともしびが無いことをさとっていた。


痛み止めの無いなか、傷の痛みにえ続けてきたが、ついには身体を動かす事もままならないほどに憔悴しょうすいしきっていた。

お母さんは次に空襲くうしゅうが来たら、自分は逃げられないと考えていた。



そしてついに来てしまった……。



子を思う母親(ゆえ)の………子供達の足枷あしかせになりたくないというの覚悟だった。


たとえ子供に心の傷(トラウマ)を残してしまうとしても、この先生いきていくのは子供達なんだ!




未来を担うのは、生き残った人と子供達なんだ!




だからお母さんは必死に叫んだ。



「生きなさい、節子せつこ!!」


悲鳴にも似たお母さんの叫びに、アタシは涙を流しながら、お母さんにしがみついて「イヤだ!」とわめいてた弟を、ちからずくで引きはがして、無理矢理防空壕(ぼうくうごお)へと走った………。




走っている間、弟の「おかあさーーん!!」と叫ぶ声が、グサグサと心に突き刺さった………………。




そこからは歴史でも書いてある通り、空襲くうしゅうは翌15日未明にまで続けられた。


火のいきおいが収まった頃を見計らって防空壕ぼうくうごおから出ると…………そこは焼け野原だった。




死者500人以上と資料では明記されていたが、そんな数では収まらない……。




焼夷(ナパーム)弾の火のせいで、遺体は識別不能な程にまで焼かれて炭化たんかしていた。



しかもこの空襲が行われた8月14日は、日本政府がポツダム宣言受諾(じゅだく)を決定した日であり、翌15日に降伏が正式に発表される予定だった。



そのため、この攻撃は「戦争の最終局面における無意味な破壊」と後世に批判されることとなった。



……………もし、この空襲くうしゅうが無かったら、お母さんは生きてたかもしれない。


そう思うと、今でも悔しくて仕方がない思いがぐるぐると私の中でめぐる。

弟だって、あんな心の傷(トラウマ)を植え付けることだって無かったんだ。



私だって…………あんな心の張り裂ける思いを…………………でも、





『生きなさい、節子せつこ!!』




アタシは泣き続けて…涙がれるまで泣き続けた。


お母さんは死んだ。


アタシと弟だけが生き残った。


これから先、何があっても、弟と二人で頑張って生きていかなくちゃならなくなった。


アタシより先に泣き疲れた弟の頭を優しくでて、当時お母さんと仲良くしていた、隣のオバさんに弟を預けて、アタシは畑に向かった。



ジッとしているよりも、何かしていなかったら気が狂いそうになってた。



だからアタシは畑に向かった。





そして、畑に着いた私は、また失意のどん底に落ちた…。





「畑が…………」



周囲は人里から離れていたから、まだ畑の周りは被害は少なかった。


だけど、頑張って育てた野菜が………全て丸ごと盗まれ、燃やされて炭と化していた。




カボチャも、ゴボウも、サツマイモも、その他全部無い。




「なんで……………」


どうしてこんな目に合わなくちゃならないの?

どうして戦争なんかしたの? どうしてお父さんもお母さんも死んだの?


なんで?


なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?





頭の中がグルグルして、枯れたはずの涙がまた出てきた………。


「お母さん………アタシ、どうしたら良いの?」


つらい状況だったなか、家族みんなが食べれるようにと、必死になって育ててきた。


この畑は、お父さんさんがのこしてくれたものであり、私が頑張ってきた結晶でもあった。



それなのに……………なんでこんなことに…………………



悔しい思いと虚無感が、アタシの頭の中を支配した。



そして気付かなかった。


「んぐっ!?」


これ以上の地獄へといざなう、人の皮を被った悪魔達の足音を………………。





















「………お姉ちゃん、どこ?」

正直、思い出しながら書いていたのでトイレで吐きまくってました。

かなりマイルドに仕上げましたと思います。


あと私18歳で自衛隊に入ってたのですが、この当時の資料館が駐屯地内でありました。

その時も、徴兵されて戦いに行く日本兵さんの遺書を見て「涙ちょちょぎれるわ〜w」って言って笑ってた三人が居ました………。


私は知ってる。

ガチでこういうのをダダのエンタメとしてでしか認識出来ないのを者たちを………。


どうか、そういう人が近くに居たら思いっきり怒ってやってください。

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